【完結】それぞれの、しあわせ ~クリスマス掌編集~

天野橋立

第1話 苦手なあの子

 猫が、怖い。

 子供の頃から私は動物全般が苦手で、今までペットを飼ったこともなかった。

 中でも特に、猫が怖い。あの、何を考えているのか全く分からない、ガラス球のような瞳でじっと見られると、足がすくんでしまう。


 なのに結婚を決めた彼、運命の人だと私が信じる彼は、大の猫好きなのだった。

 何という種類なのかは知らないけど、全身が灰色の毛で覆われた雌猫を一匹飼っていて、「アーニャ」というその子のブルーの瞳が、やはり私は怖かった。


 結婚、そして同居が決まり、だからと言って彼女アーニャを放り出すなんてとんでもないことで、そんなことをされたら私も怒る。だけど、苦手なこの子と一緒に暮らすことには、相当な覚悟が必要だった。


 彼も心配してくれて、とりあえず私が慣れるまでの間、アーニャは新居の彼の部屋で暮らしてもらう、リビングへの出没は我慢してもらおう、ということになった。

 元々彼女アーニャはワンルームマンションの一部屋で彼と長らく一緒に暮らしていたわけで、狭いのはまずまず平気らしい。

 ごめんね、と彼女アーニャにこわごわ詫びながら、しかし私はその子に近付くことも、ましてや触る撫でることなんて全く無理なのだった。


 こうして二人プラス猫一匹の、新婚生活が始まった。

 約束通り、彼は彼女アーニャを部屋からは出さず、そりゃ時には外に出てくることもあったけれども、基本的には自分の部屋で飼ってくれた。

 どうも、私と過ごす時間よりも、彼女アーニャと一緒の時間のほうが長い気もして、ちょっと複雑な気分にはなったけれど、猫にヤキモチを焼くのはさすがに人間様としていかがなものか。私にも正妻としてのプライドがあるから、文句は言わなかった。


 結婚から三箇月で、クリスマス・シーズンがやって来た。

 私も彼も、クリスマスが大好きだったから、ちゃんとリビングに立派なツリーを飾った。明かりを消すと、LEDの青やオレンジ、白に輝く無数の光点が、室内を美しく彩る。

 イブの夜は、一緒にご馳走を作って食べよう、と約束もした。


 でも、十二月という時期は、やっぱり仕事も忙しい。彼は毎日遅くなり、家で夕食を食べることもほとんどなくなった。

 頑張ってくれているのだから、もちろんそんなことに文句を言うつもりは全くない。窓から、凍てつく街の夜景を、時には雪が舞い降りる風景を見ながら、私は独りきりの部屋で夕食を取るのだった――。


 いや、すぐ近くの部屋には、あの子もいるはずだった。でも彼女は物音一つ立てず、大人しくお留守番をしているようだった。ご飯をくれとか、にゃあにゃあ騒ぐようなこともなかった。


 イブの夜だけは、彼も仕事を早く切り上げて、帰って来てくれるはずだった。でも、お得意先の関係で緊急の仕事が入ったとかで、その夜も彼は帰ってこなかった。


「うん、しょうがないよね。頑張ってね」

 そう言って電話を切った。一人リビングに佇み、ツリーを見る。抑えていた感情が、噴き出してくる。今夜くらい、どうして……。何が一緒にご馳走を作ろう、よ。何がクリスマスだ。こんなもの!

 ツリーを蹴り倒したくなる気持ちを、こらえる。そんなこと、できない。

 その時だった。私の苦手なあの子、灰色の彼女アーニャが、音もなくリビングに姿を現した。一体どうやって、彼の部屋から出たの? 出ようと思えば、いつでも出られたのだろうか。

 

 立ちすくんだ私を一瞥した彼女アーニャは、突然勢いよく床の上を駆け出し、一瞬しゃがんだ後に大ジャンプした。その先には、あのツリー。

 ものすごい音を立てて、ツリーは倒れた。唖然としている私に向かって、彼女アーニャは得意げな顔をして見せた。

「こうしたかったんでしょ? あたしがやったげたわよ」

 そう、言わんばかりに。


 そして私は、彼女アーニャのことがすっかり大好きになった。後片付けは、とても大変だったけれど。

 結局、パーティーは彼女も一緒に三人で、翌日の夜にやりました。

(了)

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