29話 聖都の終焉
聖女が近隣の町の浄化へと旅立ってから5日。
元近衛騎士カイルは聖殿内の牢獄で、その身の終わりが近づいていることを確信していた。
彼の中の魔素は既に手遅れなほどに高濃度なものと化している。ともすれば、本来ならいつ魔獣へと変貌していてもおかしくはないほどに。今日まで、彼が人としての理性を保ち、その姿形が変わることがないのは、一重に彼の努力とその尋常ではない精神力によって得られた奇跡。
だが、その奇跡を持ってしても、訪れるべく瞬間から永遠に逃れることはできない。
その身の内で今にも蓋を吹き飛ばして、溢れ出しそうになっている高濃度の魔素をカイルは自らの気力のみで必死に押さえつける。
(……まだ、まだその時ではない)
彼にはまだ為さねばならないことがある。
聖女を犠牲にした瘴気の安全区域の確立。この計画に携わっているものは決して少なくない。聖教国の多くの上層部がこの計画を了承し、実行しようとしていた。それほどまでに進んでしまっているこの計画を潰すにはまだ、足りない。枢機卿1人殺して終わるものでは到底ない。
カイルは今、枢機卿の殺害によって囚われ、その身は牢獄に繋がれている。そんな状況ではとても全ての関係者を殺して回ることなどできない。そしてそれではこの計画の要であるイズミを救うことはできない。
このままいけば、カイルは枢機卿の暗殺という罪状で処刑を言い渡されるのは明白。しかし、そのような絶望的に見えるこの状況においてもカイルの表情に諦観の色はない。
絶望的な状況に見えるこの状況にこそ自らの勝機はあるとカイルが確信しているからだ。カイルとて何の考えもなく大人しく捕まっているわけではない。彼の魔素の力を持ってすれば、ここから出ることなど容易。逃げ出そうと思えばいつだって逃げられるのだ。それでもあえて逃げず、大人しく牢に鎖で繋がれているのはその処刑の宣告の為だ。
ご苦労なことで、この処刑の宣告の為だけに、この計画に携わっているであろう聖教国の上層部が数多くやってくるのだ。
今まで、瘴気の問題を全て枢機卿に一任していた彼等は、頼るべき存在がいなくなったことで随分と慌てている筈だ。
聖女の人柱計画が果たされれば、彼等の安全は保証されるが、その計画の主導をしていたのは枢機卿だ。当然、枢機卿がいなくなった現状では計画の混乱は免れない。この牢獄に入って5日、このわずかな間に自らの牢獄を訪れる人間の多さが彼等の混乱具合をよく表してくれている。
なによりも、彼等はプライドが高い。
瘴気に怯えることなく過ごせる安楽の地を、手に入れられるというその直前になって、一介の騎士如きが妨害行為を働き、自らの手を煩わせているのだ。さぞ怒り狂っていることだろう。
そして、そんな騎士の処刑宣告ともなればその憂さ晴らしの為に彼等は喜んで処刑の場に足を運ぶ。
(馬鹿は単純で扱いやすい)
この処刑の宣告はカイルにとって計画に携わった者を一掃する唯一の機会となる。
カイルの計画に問題があるとすれば、それは彼自身の魔素の状態だ。すでに暴発寸前となっている異常濃度とかした魔素は、僅かな刺激でも瘴気と化してしまうだろう。そうなればものの数秒でカイルは魔獣となって理性なく暴れ回ることになる。カイルの策を成功させる為には、囚われている状況を打開する必要があるが、それには魔素を使った身体能力の向上が必須。しかしそれは自らの魔獣化を促進させることになる。しかも、今の状態ではおおよそ身体強化を使ってもまともに動くこともできないだろう。
そうなるとカイルのとれる手段ははっきり言って一つしか残されてはいない。
(ことに及べば、自分を止めることができるのはイズミ様以外にはいらっしゃらない)
だが既に、聖女であるイズミや護衛の近衛騎士一行は、近隣の街の浄化に向かっておりこの聖都にはいない。
止めるものがいない以上、破壊は際限なく進む。聖都は甚大な被害を被ることになるかもしれない。
逆に言えばイズミを巻き込む危険はないということでもあるが。結果として関係のないもの達まで巻き込むことになる。
(それでも、それしかないのなら……)
カイルの覚悟はとうのむかしに決まっていた。
◆
それから2日後枢機卿の死から1週間、カイルを裁く為に処罰の決まった名ばかりの裁判が始まろうとしていた。
(ようやくと言うべきか、早かったと思うべきか)
牢獄より荒々しく引きづり出され、裁判の場へ連れて行かれるカイルはその顔を能面のように無表情とし、凍てつくような瞳で前を向いて堂々と歩きながらそんなことを思っていた。
聖殿内は未だ枢機卿の死の混乱から立ち直っていないのだろう。あちこちでバタバタと忙しそうに人が動き回っているのがカイルの視界の隅に映る。今まで実質、枢機卿1人で瘴気対策が回っていたのだから、それも無理のないことではあるが。
カイルが密かに聖殿内を観察している間にも足は進み、目的地である法廷へと近づいていく。
「ここで待て」
カイルを連れてきた騎士達が、周囲を囲むように固めたところで、ゆっくりと扉が開かれる。
騎士に小突かれて先に進むように促されるとカイルはゆっくりと部屋の中に入っていく。
法廷に入ったカイルへと向けられる数多の眼差しに、優しさや同情などかけらもない。口元を愉快に歪めてクスクスと笑い合う者、苦虫を噛み潰したような表情をする者。前者はカイルのみすぼらしい姿と鎖に繋がれた様子を見て、状況も理解せず憂さ晴らしをしにきただけの連中。後者は枢機卿を失ったことの重さを理解している者。
前者と後者、割合で言えば8対2と言ったところだろうか。多くは救いようもない馬鹿ということになる。この比率そのものが、今の聖都の腐敗具合を表していると言ってもいい。後者が多ければ、まだ立て直しも効くだろうがこの様子ではカイルが何をしなくても、遠からず聖教国は滅びることになっていたやも知れない。まあ後者にしてもイズミを犠牲にする計画を容認している連中だ。結局のところ、カイルがやることは何も変わらない。この場にいる多くの者達は自身が助かるために何人だろうと民を犠牲にし、他者の笑顔の為に祈り続ける少女を、憐れとあざわらって犠牲にする者達なのだから。
「これより、近衛騎士、カイル・エーリッヒの裁判を始める」
裁判長の言葉によって始まった茶番劇は実に単調なものであった。
読み上げられる数々の罪状は自らの身に覚えのないものばかり。よくもまぁそれだけ集められたものだと、それらの文言を聞き流しながら、カイルはここに至るまでの短くも長いこれまでの道を思い返せしていた。
多くの者達を殺してきた。その意味を考えながらも答えを出すことを恐れて、何かを考えている振りをしてきた。
そんなどうしようもない自分に、答えを出す勇気を教えてくれた人がいた。その命でもって一つの答えを示してくれた者達がいた。罪を背負い嘆きを生むだけの自分を、愛してくれた人がいた。
多くの命を奪った自分が、たった1人の少女の命を守りたいなどと思うのはきっと、傲慢なことなのだろう。
(だが、なんと思われ揶揄されようと、もう僕の答えは決まっている)
「以上の罪状をもってカイル・エーリッヒを死罪とする。
女神様の慈悲により死の前に言葉を残す権利を与える。
……何か言い残す言葉はあるか?」
カイルが思考の波に飲まれている間にこの茶番に満ちた長ったらしい裁判が終わりを迎えようとしていたらしい。
賛否も何もなく、ただただ罪状を読み上げ、決まっていた処分を言い渡すだけのこれが裁判とは、随分と笑わせてくれるが、そんな者達のおかげで自らの策もうまくいくわけだから、ある意味では彼等に感謝するべきなのかもしれない。
ここでカイルは改めてこの広い部屋に集まった者達を見ていく。
この部屋に来ること事態は初めてではないが、罪人としてくるのは初めての経験で、こうして見渡すと意外と新鮮な感じがする。
(見る視点が変わっただけで、随分と見えてくるものが違ってくるのだな)
法廷の席に着く誰も彼もが歳をとり、その身を醜く肥やしている。
この時勢において幸せ一杯の贅沢なその体付きこそが、彼等の在り方を示していると言ってもいいだろう。これまでこんな者達が人に罪を与え、裁いて来たというのだから全くもって人間とは本当に業が深い生き物だ。
この場にいる全ての者が計画に関与している訳ではないのだろうが、自らの処分にほくそ笑むような連中に気遣いなど無用だろう。
彼等よりも哀れなのは自らを取り囲むように配置された騎士達だ。聖女を犠牲にした計画に関与していたとしても、所詮は足切り要員でしかないような存在。利用されるだけの彼等を巻き込んでしまうことになるのは幾分気が重いが、それでもここで引くわけにもいかない。カイルにとっても譲ることのできない想いだから。
法廷の内部は通常の警備体制よりも配置されている騎士の数が多い。
それだけ自分を警戒してのことだろうが、この程度の対応だけで済ませているあたり、彼等が如何に自分の脅威を理解していなのかがよく分かる光景でもある。警備の数のせいか、それとも鎖に繋がれているせいなのか、安心しきったアホ面で此方にニヤニヤと目線を向けてくる彼等をカイルはゆっくりと見渡すと静かに、しかし部屋中に行き渡るように、はっきりとした口調で最期と言われた言葉を紡ぎ始める。
「……僕は今日まで多くの命を奪ってきた。
生きたいと願う人を、世界に絶望し、死を願う人を、憎しみに身を焦がした人を、教義のため、国の為、世界の為、女神のため。……そんなくだらないことの為に」
カイルのその言葉に法廷は騒然となる。今でこそ罪人となっているが仮にも女神に仕える近衛騎士だった者が女神を『くだらないこと』だと公然の場ではっきりと卑下したのだ。女神を信奉する彼等への衝撃は想像を絶するものだっただろう。
「きっ、貴様!女神教徒でありながら女神様を侮辱するというのかっ!」
「なんということを!直ぐに処刑せよ!!」
場内のあちこちでカイルへと向けた悲鳴のような罵詈雑言が飛び交う。
「静粛に!静粛に!!もう良い!おい!その者を黙らせよっ」
あまりの場内の乱れように、カイルに発言を許可したこの場を仕切る裁判長が急いで近場にいた騎士にカイルを黙らせようとする。
(悪いが僕はもう黙ってやるつもりはない)
近づいてくる騎士を尻目にカイルは身のうちに閉じ込めた瘴気の蓋を少しずつ開いていく。
騎士がカイルへとその手を伸ばした直後、カイルを中心に突風のような風が舞起こり、彼の周囲を取り囲んでいた騎士達をまとめて吹き飛ばす。突然の暴風と轟音に、部屋に集まった者達はそれまでの騒ぎようが嘘であったかのように静まり返る。
「生きるものが生きたいとそう願うのは至極当然のこと。
其方達がその為にあらゆる手段をこうじたことはその想いの前ではある意味では当然だ。
だが、其方らはそれによって起こる犠牲の意味を理解せず、女神の代弁者を騙り、強欲にも自身の至福を肥やす為だけに、あらゆる犠牲を許容してきた」
尚も言葉を続けながら、その身から青白い光を放ち始めたカイルに、時が止まったかのように周囲は息を呑んでその光景を見つめ続ける。
「……いいかよく聞け。この場は既に僕を裁く為だけの場所ではない。其方らが犯した罪は今日この場を持って裁かれる」
「わ、我々が罪を犯しただと、ふ、ふざけるな!
罪を犯したのは貴様であろうが、我々の為にこれまで多くの成果を挙げてきた枢機卿を殺害し、あまつさえ、今女神様を愚弄した貴様こそが裁かれる対象なのだ!」
「……なるほどな。其方達がいかに救い難い愚かものであるかということはよくわかった。
確かに枢機卿はこれまで多大な犠牲を強いて、其方達の言う成果を挙げてきた。だがそれは断じて貴様達が私服を肥やす為などではない!
この世界の今は、常に誰かの犠牲によって成り立ってきた。枢機卿はそのことをよくご存じだったがこの場にいる者達にその意味が理解できるものが果たしているのか?」
カイルの問いかけに応えることが出来るものは、その場には誰1人としていなかった。誰もが視線を右往左往させるばかりで何を聞かれているのかすら理解出来ていない。
「やはりか、ならば知るがいい。其方達が今まで耳を塞ぎ、その身から遠ざけていた想いを、今日この場でもって理解しろ」
カイルから溢れる光とカイルの中心に渦巻く風がこの光景を一層神秘的なものとしている。騎士が近づけないほどの暴風が渦巻いているというのにカイルの声は不思議とこの部屋に響き渡る。もはやこの場はカイルの言葉通り、カイルを裁く為だけの場所ではない。この場は、ここに集まった全ての為政者を裁く場所でもあるのだ。
「……判決だが、無論、死刑だ」
瞬間、カイルから溢れる青白い光がその輝きを増し、室内を吹き荒れていた風はカイルを中心に収束し始める。周囲の騎士達が立つことすらままならないほどの強風の中心でカイルはポツリと言葉を溢す。
「申し訳ありません、イズミ様」
—— まだまだ続く貴方の道を見守っていきたかった ——
その言葉を最後にカイルは静かに意識の目を閉じる。
カイルを中心に異常濃度と化した魔素が渦を巻き、まるで強大な竜巻のようになっていく。高濃度の魔素の嵐に周囲の騎士達は立っていることすらままならない。このままでは吹き飛ばされると彼等がそう思った矢先、瘴気の渦はまるで最初から存在しなかったかのように、ふっと唐突にその姿を消した。それまで吹き荒れていた風も、カイルから放たれていた光も消えて、先ほどまでの喧騒が嘘のように部屋にはシーンとした静かな空気だけが立ち込めていた。
だが、決して勘違いをしてはいけない。それは所謂嵐の前の静けさでしかない。彼らの悪夢はこれから始まるのだ。
瘴気の渦が晴れ、騎士達が罪人席に目を向ければ、カイルの姿はどこにもなかった。しかし代わりとでもいうかのように、そこには巨大な人ではない何かがいた。
4、5mはありそうな巨大な体躯に赤黒い頑強な筋肉の鎧、頭から飛び出した二本の角は東の果てにいるという鬼を彷彿させる。
— 魔獣 —
瘴気によって生み出される化け物。
それも、人間を媒介にして生まれた最上級クラスの魔獣。
それが聖都に、女神の加護を賜った、今世界で最も安全なはずの都に突如として現れた。
突然の魔獣の出現に、周囲を取り囲むようにしていた騎士達は呆然とただ佇んでしまう。本来ならば直ぐに退避するべきところだが目の前にある困惑と恐怖から素早く動くことができない。そんな哀れな騎士達を魔獣は一瞥するとその豪腕ともいえる巨大な腕を横に振るう。まるで人が羽虫を払うかのようなその動作でブンッという強烈な風なりが響き轟音と共に部屋は吹き飛ぶ。一瞬にして人が集まる法廷はその姿を無惨な瓦礫の山へと変貌させた。
破壊による粉塵がもくもくと立ち上るなか、1人の騎士が瓦礫の中より立ち上がる。
衝撃により吹き飛ばされ、既にボロボロとなったその身で周囲を見渡せば、そこはまさに死屍累々であった。
「……なんだ、これ?」
まさに茫然自失といった様子で騎士はそう呟く。
一撃だ、あの化け物はわずかに腕を横に振るっただけだ。
たったそれだけで法廷は吹き飛び、20名近くいた騎士や席にいた多くの貴族が瓦礫の一部と化した。
法廷に空いた巨大な穴から差し込む陽の光を浴びながら騎士はその場に力なく崩れ落ちた。
この日、聖都中心部に突如として現れた魔獣は聖殿を徹底的に破壊。
多くの騎士と聖教国上層部を殺害し、その後、聖都の北北東へと侵攻、多くの住民と建築物に被害を出しながら、堂々と街を出で行った。
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