終末世界は微笑んだ

夜野 桜

1話 少女から聖女


 どんよりと重い雲の下に広がる真っ白な世界。

 一面を雪で覆われ雪原となったその場所で1組の男女が一本の大樹にもたれかかるように座り込んでいた。


「雪、…やまないね」


 重く掠れた声で少女はそう言った。


「…今日は…止みそうには…ありませんね。」


 少女以上に重く、掠れ、今にも消えてしまいそうな声で隣に座る青年は答える。


 青年は騎士だった。

 幼い頃より聖女を守る神殿騎士団にはいることが決まっており、毎日、毎日、剣を振り鍛錬を続けてきた。そうして過ごすうちに神殿騎士の中でも一握りの精鋭として最年少で聖女の近衛という大役を任されるに至った。


 だが、その大役も今日をもって終わりを迎えようとしている。


「……ねぇ? 覚えてる?

貴方の最初の誓い、私になんて言ったか?」


 ほっと、白い息を吐きながら少女は青年に問いかける。


「…もちろん、…覚えております。

あの時から、私は貴方の騎士になったのですから」


 まるで懐かしむように青年は力なく、ふっと微笑む。




「ようこそ、聖女様。我らの世界へ」


 絢爛な円形の広間の中央で壮年の男性が声高々にそう叫ぶ。


「……へ?」


 それが彼女、橘 泉がこの世界で発した最初の言葉だった。


 この聖教国では世界が危機に陥るたび盛大な儀式によって、慈愛の女神の使いである聖女を異界より召喚し、聖女の協力によって国を発展させてきた。もっとも、協力とは名ばかりのもので、実際のところはどの時代においても聖教国が聖女という強大な力を強制的に使役していただけだ。

 とはいえ、聖教国は建前上は聖女の名のもと建国800年と大陸にも類を見ないほどの長い歴史と大きな領土を持つに至った。


 そんな、歴史と権威溢れる教国の首都にある、これまた歴史と権威ある聖殿の中で今日もまた、その怒号は響わたる。


「だから!早く私を帰す方法を見つけてって言ってるの!」


 彼女の言うことは単純だ。どの代の聖女も必ず一度は言うセリフ「元の世界に返して」彼女達の言葉は、願望はかなえられるべきなのだろう。仮にも慈愛の女神を讃える国でその女神の加護を受けたとされる聖女の願いだ。聖女が願うならそれはどんな夢であろうと叶えなければならない筈だ。


 だが、実際にはその夢を叶えることはできない。

 少女が聖女であるが故に。


 例え、無理矢理連れてこられ、望んで聖女になったわけでないとしても、奴隷のように抗うことができない呪いの命令に身を侵されようとも彼女はこの国の聖女なのだから。


 胸糞が悪くなるような気持ちになりながら青年は今日も扉の前で護衛に立つ。


 (自分はこれでいいのだろうか?)


 かつて彼が目指した騎士とは従者として主君に忠実で主君の願いを叶え、主君を守ることができる完璧な騎士としての姿だった筈だ。神殿騎士となり夢であった名誉ある聖女の近衛として、自身は聖女を主君として自身の描く騎士となるそう思っていた。


 だが、今そのどれも自分は果たすことができていない。


 彼女の願いも、彼女の身も自分は守ることはできていない。

 故に主君に忠実などとは口が裂けても言えない。


 人に与えられた理想のために剣を振り、努力し続けてきたが、聖女召喚とともに叶えた筈の自身の理想はあまりに滑稽な姿だった。


 彼女達はもちろん召喚されてから聖女になったのだから召喚される前は当然、ただの少女だ。そこらの村娘と変わらない。魔力の扱い方から、精霊との対話、簡単な護身術、貴族のマナーこの世界で必要なありとあらゆる教養を一気に教え込まれ、それに逆らうことは許されない。

 だが、そこは聖女たる所以かあるいは彼女が優秀だったのか教えたことはパンが水を吸い込むようにすんなりと吸収していく。逆らえば与えられる激痛に通常ならすぐに従順に死んだような目になっていくそれが聖女の常なのだそうだが、彼女の目はずっと光輝き、生き続けている。


 そして、今日も彼女は彼女の願いを叫ぶのだ。


「聖女様、何度も申し上げておりますが、あなたを元の世界に返すことはできません」


 そして、今日もそれは叶わない。


「何度も聞いてるわよ!それで私が諦めないのも、わかってるでしょ!?」


 それが引き金となったのか、彼女の首の刻印が光り始める。


「っああ!っくぅ」


 途端、彼女はその場にうずくまるようにしゃがみこむ。


 刻印は聖印と呼ばれ、女神の寵愛を受けているものを示す。と一般的には教えられるが、事実は異なる。彼女の様子からも明らかだがあれは寵愛などと優しいものでは決してない。あれは女神の呪いなのだ。彼女が女神の意思にそぐわない行動を取ればそれは光を放ち、絶望的なまでの痛みを施すのだという。


 その痛みはどんな屈強な戦士も悲鳴をあげるほどだと言われているが実際のところは受けている彼女にしかわからない。



「……やれやれ、あなたも大概凝りませんね。

  その痛みを受けてなおそのような目ができるのはさすがに聖女に選ばれる

 だけのことはありますがね」


 そう、何度繰り返しても、彼女の目は変わらない。呪いにその身を犯されようと、異世界で奴隷のように使役されようと、彼女の目はずっと前を向いて、こちらを見続ける。


「はぁはぁ、……聖女に選ばれたっていうのなら、っく、…もうちょっと

 丁重に扱って欲しいわね」


 本来なら喋れること自体が呪いの効果に疑問を覚えるほどなのだが、間違いなく呪いは正常に発動していて、実際、彼女の額には冷や汗が浮き上がっている。にもかかわらずこのような悪態までつけるのだから、彼の言う通りさすが聖女

と考えるべきなのだろうか。


「これでも、こちらはずいぶんと丁寧に扱わせて頂いているのですがね。

 その聖印は、あなたの対応次第で十分丁重に扱ってくれると思いますよ」


 彼の言う通り、ある程度、いやかなり丁重な扱いはされている。部屋はもちろん豪華だし、食べ物も望めばなんだって出てくる。健康には十分に配慮され、その上こうして自分のような護衛が常に近くにいるのだ。奴隷のように使役されようと聖女である。命令は奴隷と同じく絶対でもその扱いには天と地ほどの差がある。


「しっかり働いてるじゃない。私はただ、帰りたいだけよ。」


 なんだかんだ文句を言いながら彼女はその役目を果たしている。

 聖女の役目はある意味で単純だ。

 一つ目は世界中に広がる魔力の汚染地域、超高濃度の魔素、これを瘴気と我々は呼んでいるが、瘴気が広がり生物が住めない死の土地となった場所、これを浄化すること。

 二つ目は汚染地域で瘴気によって魔物とかした生物の駆除、三つ目は瘴気がたまらないよう儀式を行うことこれらが聖女がこの世界で行う主な仕事。


 正直、口で言ってしまえば簡単だが控えめに言ってもかなり多忙である。

 特に一度汚染された地域を浄化するのは通常なら宮廷魔道士が100人いて一晩中儀式で魔力と祈りを捧げ続けることが必要だが聖女なら1人で、それも半日もかけずに広大な範囲を浄化できるのだから、

 この世界に広がり続ける汚染地域を少しでも減らす為に今や聖教国以外にも

様々な場所から引っ張りだこである。


 そして、聖女が行くので有れば我々近衛も護衛として向かわねばならない。

 ぶっちゃけて言えば、過酷である。聖女召喚からはや2年、北の帝国から南の連合王国、東の共和国。世界一周旅行もいいところである。


 そうは思うものの、なんだかんだで働き続ける聖女様を差し置いて休暇などとれまいし元の世界に帰りたいと願いながらもこんな世界の為に懸命に働き聖女を演じ続ける彼女から目を離すことなど自分にはいや、1人の人間として出来なかった。



「さて、次の仕事ですが聖教国南部の町、イリスの浄化です。

 町の瘴気の濃度がわずかに上昇し始めていると報告が上がっています。

 かの町は南部の主要な交易路に近い。

 汚染地域ともなれば経済的な損失は非常に大きいです。

 一刻も早い、浄化をお願いしますね。」


 こうして早くも次の仕事を依頼される始末だ。つい昨日、帰還したばかりだというのに、少々人使いが荒すぎる。だが、最も文句を言いってくれそう、もとい言いそうな当の聖女様とくると


「……今度はまあまあ近いのね、明日の朝、出発でいいの?」


 などと、さっきまで帰りたいと願っていた少女と同じとは思えないほど

物わかりのいい発言をする。


「…2日後で構いませんよ。先日も寝込んだばかりと伺っています。

 旅路には魔道馬車を用意させますのでその中でせいぜい休んでください。

 それと今夜の食事はあなたの好きな店を

 予約させておきましたから、行くと良いでしょう」


 そう、残念ながら彼女はあまり体が丈夫とはいえないのだ。

 儀式を行っては移動を繰り返す生活ともなれば大の大人ですら疲労が溜まる彼女のような虚弱なものならその負担はその比ではないはずだ。


 頻繁に熱を出して寝込む彼女にこちらはいつ死ぬかと戦々恐々とさせられる。だが、彼女をしっかりと療養させておくほどの時間的余裕はこの世界にはないし何より彼女自身がやたら動きまわりたがるので体よく利用されまくりである。


 彼女を働かせつつ、その上で休ませる。

 おかげで、仕事を依頼してくる枢機卿ですらこうして慣れない気を使う始末である。


「ほんと!? ありがとう!あそこのマカロニは絶品なのよ!」


 たかだか好きなものを食べれるだけでたいそうな喜びようである。


「……聖女様、飛び跳ねないでください。また倒れますよ」


 あまりの興奮っぷりに聖女の後ろに控えていた騎士長が注意するが、まるで耳に入っていないのか


「マカロニ!マカロニ!」


 と大はしゃぎである。


 無邪気な子供のようなその姿に古より伝わる聖女の面影などかけらも見られない。




 だが、一度現場に赴きその役目を果たす姿を見れば紛れもなく彼女が聖女であることを誰もが確信するだろう。


 その神々しさと慈悲深さ、あまりにも儚いそのあり方に。

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