マネージャーの刃くんはパンストふぇち!?
深山鬱金
プロローグ
心が清ければ光沢の良い糸ができる
グンゼ
すべての女性の美しさと快適さに貢献したい…。
アツギ
足袋から靴下へ
福助
***
単位、デニール。
ほとんどの男子は生涯聞かずに終わるかもしれない日本語である。なぜなら、それはパンティストッキングの糸の太さに使われる単位だからだ。
他に”テックス”という単位もある。こちらはJIS規格。
しかし、ドラッグストアでは”デニール”が一般的である。正確にいうと三十デニール以上はパンティストッキングではない。
タイツだ。
生地がパンストより厚く、保温効果が高いため冬場によく売れる。また、バレエで名高いロシア連邦ではバレエ男子もタイツなるものを履いて、かの「マリインスキー劇場」の舞台に立つ。
薄手のストッキング、つまり三十デニール未満のパンストは女子のモノである。だから男子が履くことは、まずない。もし、あなたが履いているとすればマニアックな人種かもしれない。
そもそも女性の脚をより美しく見せるためにアメリカ合衆国で開発されたのだから………。しかも、パンツを履かずに直に着用するタイプだったらしい。
自分とは縁がない異性のファッションやパーツは往々にして興味をかき立てる。それを人はフェティッシュと呼ぶのだろう。
これはそんなフェチの一部、パンストに翻弄される一介の男子のストーリーである。
***
「うわー、暇だぁ!」
オフィス用の椅子に背を預けると俺は誰もいないオフィスに目をやった。どうせなら海老で鯛を釣るような人生を送りたい。
そう思って、ブラック企業を見事に回避して就職したものの定時までは会社にいないといけない。
ネットサーフィンにも飽きたので、外でアラビカ種の缶コーヒーを口にしていた。
すると買ったばかりのiPhoneがブルった。
「もしもし?」
「おお、
「ああ、じいちゃん。どうしたの?」
実家の静岡からの電話だった。
「至急、三島まで戻れ!」
「だって、今仕事中だよ」
「そんなもん、ほっといてさっさと帰るんじゃっ!」
あまりの剣幕に俺はたじろいだ。
始終優しいイメージしかない祖父が雷鳴の如く叫んでいる。耳から十センチほどスマホを離しても聞こえる音量だ。
俺は慌てて空き缶入れを探し、ストンッとリサイクルに貢献すると東海道線に飛び乗った。
東京駅から実家の三島までは各駅停車でも二時間半ほど。
日が落ちる頃には、じいちゃんのいる母屋に到着できた。
「来たな」
「ハァハァ、急になんだよ」
「実はお前に隠していたことがある……。茶だ」
ズズズと茶柱を見つめながら緑茶を喉に流し込むと、いくらか心が落ち着いた。
「やっぱり、お茶は静岡だな」
「少しは静まったようじゃな…」
「うん。で、話しって?」
「東京の谷中の墓地で会った”かえで”を覚えているか?」
「最近会ってないけど、名前は覚えているよ」
「そのかえでが東京での仕事を引き受けた」
「えっ! だってまだ高校生だろ?」
「週末限定じゃ」
「ああ、そうか。…それで何の仕事なの?」
「アニメとかの声を吹き込むそうじゃ」
「声優ね」
「そこでお前には芸能事務所にマネージャーとして潜入してもらう」
「藪から棒に何を!」
「わしは本気じゃ。今の会社の社長には事情を説明して辞表を提出してある」
「なっ、勝手に!」
「それで潜入先の事務所の書類がこれだ。早くハンコを押すんじゃっ!!!」
一瞬、ためらったが祖父の気迫に押されて鞄に入れてあった印鑑を押した。
「ふむ、物分かりのよい孫じゃ」
「それで何をするんだ?」
「名目はマネージャーだが、実質的にはボディーガードじゃ」
「そんなハリウッド映画じゃあるまいし……」
「何を言っている。お前の高祖父は江戸幕府の隠密じゃ」
「コーソフ?」
「平たく言えば、ひいひいじいさんだ」
「隠密って、殿様を裏でサポートするやつ?」
「おお、意外と博識じゃな。現代風に言えばスパイだな」
「ス、スパイ!? じゃあ、拳銃とか持てるの?」
「寝ぼけたことを。今は平和の世じゃ、そんなもん持ったら銃刀法違反で手が後ろに回ってしまうぞ」
「くっ、残念」
「そのかえでなんじゃが、けっこうな売れっ子らしくてな」
「ふーん。意外だな」
「何しろ、性格が性格じゃろ? マネージャーのフリして付き添ってやってくれんか?」
「ああ、わかった」
かえでは高校生なので一人で東京へ行くぐらいなんてことはない。ただ少し天然なところがあって新社会人の俺から見ても頼りないところがある。
「かえでの東京行きは明日だ。新幹線のホームで落ち合うといい。これは切符だ」
用意周到な家柄だ。
俺は座席番号を確認すると丁寧に鞄にしまった。
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