リモートソサエティー《遠隔社会》
寅ノ尾 雷造
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「やれやれ、ようやく終わった」
休日を前に、やり残した仕事を片付けて残業を終えた僕、
会社のエントランスを出る前に、受付に居る警備員に声を掛ける。
「お先に失礼します」
「今日も残業か? お疲れだったな、気をつけて帰れよ!」
すっかり頭が白くなった警備員は、その姿には似つかわしく無い快活な声で、
彼は夜番の警備員だが、最近残業が増えたせいで、今ではすっかり顔なじみだ。
公務員を定年退職した彼は、職場の再雇用を断り、この会社が委託している警備会社に再就職したそうだ。
なぜ、慣れているだけで無く、安定している職場を蹴ってまでして、警備会社に再就職したのかと尋ねると、彼は笑いながら答えた。
『一日中端末の前に座って、目の痛くなる画面を眺める仕事より、体を使う仕事がしたかったからだよ。そうしないと、どんどん体が朽ちて行きそうな気がしてな』
かく言う彼も、一応スマホは持っているそうだが、調べ物がある時と電話以外では使った事が無いらしい。勿論、通勤中の電車内では絶対触らないとの事だ。
曰く。
『何が悲しくて、疲れているのに目に厳しい画面を見続けにゃならんのだ?』
僕はそれほど気にならないが、彼にとっては苦行らしい。
彼の労いに頭を下げ、エントランスをくぐり抜けると、駅へと急ぐ。
駅までの道中で、何度も人と当たりそうになる。
主に原因は相手だったが、その何れもがスマホに夢中になりながら歩いていた。
傍から見ても器用だと思うが、相手が車やトラックだと、タダでは済まないだろうに。
夢遊病者さながらに歩く人々を躱しつつ、何とか駅まで無事に辿り着いた。
駅のコンコースでは、発車時刻示している掲示板を見上げ、次の電車を確認する。
発車まで少し時間はあるが、もう電車はホームで待機している。
今なら電車の座席も空いているはずだ。
僕は脇目も振らず、ICカード付き定期券の入ったパスケースを鞄から取り出し、自動改札機にかざして改札を通り抜ける。
今でこそ鉄道の運賃は、ICカードを翳すだけでで決済出来るが、一昔前は券売機で買ってきた切符を、改札機に通さなければならなかったし、更にその昔になると、窓口で売っている切符を、改札に立っている駅員に渡して、鋏を入れて貰わなければならなかったそうだ。
定期券の場合だと鋏の時代は兎も角、
僅か五十年ほどで、随分進化したものだ。
その内、ICカードやスマホを持っているだけで、改札を通り抜けられる様になるかも知れない。
ホームでは、自宅の最寄り駅まで行く列車が、発車の時刻を待っていた。
やはり、発車まで十分以上あるせいか、車内のあちらこちらに空席が目立つ。
その一つに腰を下ろすと、スマホを取り出して、今日のニュースに目を通す。
一昔前だと、夕刊や週刊誌を読んでいる者が多かったが、今ではそれらが殆どスマホに入れ替わっている。
記事を斜め読みしていると、テクノロジーの記事が、やたらと目に付く。
AI技術の発展や自動運転の技術向上、作業用パワースーツの実用化など、様々な技術について書かれていた。
不意にドアチャイムが鳴ると、電車の扉が閉まる。
記事に目を通している内に、発車の時刻になったらしい。
周りを見ると、随分と乗客も増えていた。
立ち客も含め、その殆どが自分と同様、手にスマホを握っている。
ゲームをする者、SNSで会話している者、ブログを更新している者、そして自分と同様ニュースに目を通しているなど、人によってそれぞれだが、車内に居る殆どの者がそうしている姿は、今や通勤電車内の風物詩と言って良いだろう。
周りから視線を戻し、先程の記事について色々と検索してみる。
技術者向けの話から、その技術によって齎される未来予想など、興味を引く記事も多かったが、中にはそれによって齎される弊害や、ネガティブな未来予想を綴る記事もあった。
それらを鼻で笑いながら読み進めている内に、何故か子育てのブログに行き当たり、ふと思い出す。
出掛けに嫁さんから、生まれてくる子供の名前を考えて置けと言われていた。
それからは、男の子の場合はどうしようとか、女の子だったらこんな名前が良いかもとか、スマホアプリや人名辞典とにらめっこしながら考えていた。
だが慣れない考え事を続けたせいで、眠気を催してウトウトし始める。
そして・・・・・・
ゴトン!
何かが床に当たる音で、ハッと目が覚める。
どうやら完全に寝入って、手に持っていたスマホを床に落としたらしい。
席から立って床のスマホを拾っていると、電車の扉が開いている事に気付く。
見慣れたいつもの駅だ。
朝、この駅から電車に乗って出勤した。
慌てて鞄を取り、電車から降りる。
だが、ホームに立って違和感を覚えた。
静かで、そしてホームには人っ子一人居ない。
いつものこの時間なら、他にも乗客はたくさん居るはずだ。降りる乗客だけでは無く、逆方向へ向かう乗客も居て、結構賑わっている。
どうやら思った以上に寝込んでいたらしい。
降車した客は既にホームから離れ、残りの乗客は向かい側に到着した電車が運んでいったのだろう。
僕は、連絡待ちしているバスに乗り遅れた事に気付き、次のバスが何分後かを思い出しつつ改札へと向かう。
改札へと辿り着き、違和感どころではない風景を目の当たりにする。
今朝、ICカード付き定期券を翳したはずの改札機が、一台も無かった。
しばらくの間、立ち竦んでいたが、このままでは埒があかないので、恐る恐る改札機のあった場所を通り抜ける。
だが、駅員は居ないのか、誰も咎める事は居ない。
脳の中で疑問符が飛び交いながらも、僕はバス停目指して歩いた。
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