修学旅行物語

ヤマ

修学旅行前日――(1)

 秋も中旬になり、もう半袖ではいられなくなった。

 と、思っているのはまだごく少数だという事実に僕は少し頭を抱えた。ということもなく、それをごく当たり前に受け入れていた。きっと衣替えの時期だというのもあるのだろうけれど、今日は特に他の日に比べて少し暑く感じる。そして暑く感じる理由は気温だけではないと思っている。

 クラスの皆がそわそわしている風に見える。その理由も明確だ。明日が学校だから。

 普通の学校だったなら、土曜日に学校があると聞けば今日がもっと寒く感じるはずだ。だがそうはならない、そうなってしまっては世も末だ。いや、一概にそうとは言い切れないが、僕自身、明日が楽しみでしょうがない。

 三年生になって、大きなイベントはたくさんあった。確かにどれも楽しかった。去年と比べてもいいのなら、今年はそれらの何百倍も楽しめた。

 ――あの春、『怪物』としての秋斗を過ごし、感情を手に入れ、春さんたちとの日常を手に入れた、あの春休みの物語。いろんな人と会い、いろんな意見を見てきた、あの春休みの物語。

 それを乗り越えて、僕がここにいて。『怪物』はもう、きっとどこかへ旅立った。

 話がずれてしまったが、中学校生活で三年生限定の行事。それはもう、あれしか思いつかない。

 ――修学旅行だ。修学旅行が明日、僕たちの学年に来る。――僕達が行く方なのだが……。

 行き先もこの温度に起因しているのかもしれない。

 沖縄だ。一年を通して暖かい沖縄に、三泊四日の旅に出る。

 今日のうちに、お土産のために知り合いのところにでも回ろうか。移動中に寝ればいいだけだし。ぼんやりと考えてから、帰宅する準備を始める。皆はもう帰っていて、教室には僕しかいない。

 ――僕は何も、思考するためにこの時間まで残っていたわけではない。この時間帯に帰ることを約束しているからだ。

 リュックを背負って――もちろん僕が最後なので――教室の消灯、窓もちゃんと閉めて一度教室を見渡して、教室を後にする。

 そして――約束したあの場所へ、裏庭の今は咲かぬ桜の木の元へ、足早に向かう。




「――やっぱ遅かったか」


「うん、遅かったね」


 少し冗談交じりに春さんが僕に笑いかける。

 透き通るような肌と、『春』という名前とは逆の季節の紅葉が、とても映える。風に揺らぐ髪が、さわやかで、儚い感情を引き立てる。


「帰ろうか」


「その前にさ……寄りたいところがあるんだけど、いい?」


 どこだろう? 僕は疑問に思うが、春さんが――わざとか天然か分からないが――可愛らしい上目遣いで頼んでくるので断れるわけもなく、強制連行された。

 そんな僕ら二人の日常を、いつもの夕日が照らしてくれていた。




 春さんの向かった先には、僕達には馴染みの深い場所であり、全ての原点であり、確かに修学旅行前に来るにはうってつけの場所だった。

 ここに来てしまうと、色々なことを思い出す。それだけ馴染みの深い場所。ここを起点に、僕の、春さんの物語が始まった。

 ただ、ここによると、どうしても寄りたい場所が出来てしまう。それは、この神社の奥。


「さ、帰ろっか」


 春さんがそう言ったが、僕は。


「――ちょっと寄りたいところがあるんだ」


「へ?」


 やはり春さんは拍子抜けした。そういえば、春さんとあの人は会ったことがない気がする。――僕の思い違いかもしれないけれど。


「だめ?」


「いや、いいけど……」


 季節も季節、すぐに暗くなってしまうので、春さんとしてはすぐに帰るつもりだったのだろう。

 それなのに、僕がそれを崩してしまった。

 少し申し訳ないと思いながらも、その神社の裏、森へと続く道を僕と春さんは歩く。

 少し歩いたところで春さんが言った。


「ここでもいろいろあったね」


「そうだね」


 今思ったら謎でしかないが。


「何でこの森に首吊ってる人がいたんだろう……」


「何でだろうね。今思ったら、帰る時だったもんね」


 そういえばそうだ。――まあ、今更それについて言及するつもりはない。あの時の真相を知ったとしても、過去の話だ。春さんもその場にいた、過去の話。今になってどうこうできる問題ではないから。


「やっと着いた~……」


 山道を荷物を持ちながら登る、それは登山に等しいものであり、素人にはそれはしんどすぎた、それだけの話。運動もそれなりにしているはずなのに、とも感じたが、やはり帰宅部、体育系の部活動の体力には全く敵わないだろう。しかも、運動といっても少しの筋肉トレーニングだけで、そのメニューの中に有酸素運動は含まれていない。

 と、一通り心の中で思い終わった後で、目の前に広がる景色を――春、一晩を過ごしたその場所を、僕は見た。

 広く広がる庭。そしてその中で大きく佇むその古家を、僕は見つめる。

 ――彼の人はまだ、いるのだろうか。まさか、新だけをこちらに寄越しておいて、自分だけ隠居なんてしていないだろうか。

 なんて杞憂をしていると――もうネタバレも甚だしいだろう。

 ――古家から、見たことのある着物が見えた。

 無礼を承知で覗く。――ほとんどの確率で鬼秋さんだが、絶対とは言い切れないところが怖い。――後で何を言われるものか。


「失礼します……」


 僕と春さんはほとんど同じタイミングで言い、トーテムポールのような感じに頭を覗かせる。

 そこには――誰もいなかった。


「何しとん?」


「うわぁ!」


 後ろから声が聞こえたので驚いていると、呆れた顔で立っていた鬼秋さんがいた。


「何を勝手に人の家に……」


「「すいません……」」


 二人で声をあわせて謝る。といっても、鬼秋さんもこんなことでは怒らない人だ、それは分かる。


「んで、何をしに来たんや?」


「いや、実は明日から修学旅行だから挨拶ついでに来ようかなーと」


「そんなことかいな」


 僕からしたら、結構来たかったところなのに、そんなことと言われてしまった。少し心外だ。


「まあ、せっかく来てくれたんや。何も持たせず帰すんはわっちの性に合わん。――ってことで」


 と言い、懐から髪を取り出し、それにサラサラと何かを書き始める。

 それを真正面から見ながら、首をかしげて待つ。いったい何を書いているのか。


「ほれ」


 どうやら書き終えたらしい鬼秋さんは、その紙を僕達に渡す。


「じゃあ、頼んだわ♪」


「何々……お土産……? 一、酒。二、ストラップ。三、着物……鬼秋さん……?」


「なんじゃい」


「口調さえも変わってしまっている……」


 呆れながら、ちゃんと律義に最後まで読むと、紙の一番下の方に、小さい字で『最高の思い出』と書いてあった。


「最後のは、君らが買ってくるもんや」


「鬼秋さん……」


「とか言っても、チャラになんないですよ」


 少しの感動に浸る間もなく春さんのツッコミが発動した。


「なんやなんや。見たことない娘やと思って、面白いんか思たら、まさかのツッコミ属性かい」


「――! まさかとは何よまさかとは!」


 またしてもツッコミが発動した。――鬼秋さんと春さんは、今日が初めての会話だったはずだ。春さんだって、敬語を使っていた。

 だが、やはり春さんはツッコミ属性なのだろう、もう敬語はない。


「楽しい娘やねぇ」


「釈然としない……!」


 カカっと笑う鬼秋さんと、イライラし始めている春さんを見ると――やはり春休みを彷彿とさせる。

 ――新と鬼秋さんが、あのころから仲が良くなっていたなら、こんな未来が見れたのだろう。だけど、そうだったなら、あの夜、僕は新に慰められなかったし、そもそも鬼秋さんのところさえ行けなかったのかもしれない。そう考えると、新と鬼秋さんは、仲が悪かった方がよかったのかもしれない。現に、今は仲がいい、というより、前のような隔たりがなくなった関係だから。


「それじゃあ、少年。よろしく頼んだわ~」


「それはそれで貫いていくのね……」


「いやはや、正直なこと言うとな、こんな成りでも神様なんよ。神様が働く、なんて聞かんやろ? そういうことや、わっちにもプライドはあんねん」


「そんな……」


 いや、これ以上言うと、僕自身何が起こるか分からない。

 確かに、神様が働く、という字面だけを見ていると、何かのアニメかと思うだろう。しかも神様だ。働く概念すら存在しないだろう。


「まあ、頼んだわ」


 ひらひらと手を振り、はんなりと笑う鬼秋さんのその言葉には――きっと二つの意味が含まれているのだと思う。 

 一つは、おつかいのこと。もう一つは――まだ根に持っていたのかってほどに子供らしく――鬼秋さんらしいもの。だけど、それがなくなってしまったら……と思うと、その思いやりがあるからこその、鬼秋さんなのだと思える。


「素直じゃないなぁ」


 僕が言えた義理ではないが、そう言って、その場を後にした。

 ――夕日はもう沈みかけて、僕たちの影が長く伸びていた。

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