二十七章 若様と鬼将軍(3)

 若様は身を翻すと、お殿様を金木犀の森の奥に巧みに誘い込みました。年経た古木たちが互いの枝を絡ませ合うように深く茂り、迷路のような細い小径が続いています。お殿様は木々に阻まれて、やむなく長い太刀を肩に担いで追って来ました。サルの大納言もお殿様の足下を走っています。


 やがて小径の先にぽっかりと空が見えました。龍の泉のある丘の上です。青々と茂る草地に白い霧が流れていました。泉から湧きでた水はさらさらと細い流れをつくりだしています。森を抜け出した若様は、姿を隠すもののないこの場所で、泉を背にして振り返りました。追いつめたと見たお殿様は太刀を構え、一気に間合いをつめようとしました。


「いまだ!」


 花野子ちゃんが木の上から合図すると、隠れていた和真先生が力一杯縄を引きました。すると草陰に渡されていた縄がぴんと張ったので、足を取られたお殿様はつんのめって太刀を落として転びました。その一瞬の隙に、梢という梢にびっしり留まっていた素羽鷹の鳥たちが、それぞれに特有の鳴き声を上げながら、立ち上がろうとするお殿様に被さるように飛びまわって視界を奪いました。


「けるー、けるー」 「がーぐわ、がーぐわ」 「ついーっちょ、ついーっちょ」


「たあっ」 「かーりゅー」 「ほいぴぴぴ」 「けれけれけれ」 「ごあー」


 素羽鷹は鳥の国。この鳥たちは狭霧丸と仲間のチョウゲンボウたちが素羽鷹沼から呼び集めてきたのです。


「ええい、どけ!」


 お殿様が腕を振り回して鳴き騒ぐ鳥たちを追い払おうとしている隙に、狭霧丸が翼を閉じて急降下し、お殿様の腰帯から龍の剣を奪いました。


「おのれ! 返せ!」


 お殿様が叫ぶと同時にサルの大納言がジャンプして狭霧丸につかみかかりました。しかしチョウゲンボウの首を閉めつける指に狭霧丸のくちばしが突き刺さります。


「ぎゃっ、ぎゃっ!」


 大納言は痛みに顔を歪めながらも、もう一方の腕で狭霧丸の尾羽をつかんで地にねじ伏せ、龍の剣を奪い返しました。ところがそこへ、力強い羽音とともに黒い影がサルの目前を掠めたと思うと、鋭いかぎ爪がサルの腕に食い込みました。堪らず狭霧丸から手を離した大納言は龍の剣を振り回しました。

 大納言が戦っている相手は黒いハヤブサでした。いったん空に逃れたハヤブサは急降下すると、サルの顔を狙って襲いかかりました。


「ぎゃー!」


 目玉を狙ったクチバシから逃れた次の瞬間、龍の剣は奪われていました。ハヤブサが羽ばたいてサルを振り切ると、替わって大勢の水鳥たちがサルに襲いかかり、体中をクチバシで突つつきました。


「不動丸!」


 若様は懐かしいハヤブサの名を呼びました。


「やあ、若様、御機嫌よう」


 若様が突き出した拳に留まった不動丸は、若様に龍の剣を渡しました。


「ありがとう。どうしてここに?」


「見知らぬリスが鷹小屋の鍵を開けてくれた。そいつが竜宮島に行って若様を助けてくれと言ったのだ」


「ああ、それはきっと倫太郎さんだ」


 若様は龍の剣を腰に差しながら、嬉しくて泣きそうになりました。


「不動丸が来てくれて、ほんとうに助かったよ」


「役に立ててなによりだ」


 不動丸は片目を閉じて見せました。




 もがくお殿様の足にはまだ縄がからまっていました。この縄は家老が若様の荷物に入れてくれた、あの縄です。縄を噛み切ろうとした大納言に今度は狭霧丸が襲いかかり、翼で横っ面を思いきりはたきましたので、大納言は目を回して倒れました。お殿様が草むらに膝をついたところを、鳥たちと若様と花野子ちゃんと和真先生が飛びかかり、みんなで手足を縛り上げました。


「捕まえたぞ!」


 和真先生がお殿様の上に坐り込んで息を切らして言いました。しかし次の瞬間には跳ね飛ばされ、縄は恐ろしい力で千切れられてしまいました。


「剣と鏡を寄越せ。この娘が死ぬぞ」


 立ち上がったお殿様は、肘で花野子ちゃんの細い喉を締め付けていました。


「花野子!」


 和真先生が立ち竦みました。若様は声も出せませんでした。

 そのとき。


「おん! おん! おん!」


 虎千代が頭を低く下げて激しく吠えかかると、お殿様の顔が苦しげに歪みました。


「おん! おん! おんおん!」


 お殿様の力が緩んだと見るや、花野子ちゃんは身を低く沈めてその腕を解き、お殿様の膝裏を蹴って膝をつかせると、走って逃げて和真先生の胸にしがみつきました。


「御初代様!」と花野子ちゃんは叫びました。


「龍の鏡は桔梗御前が俺に託してくれたのです。御初代様が元に戻ってほしくて。桔梗御前は今でも御初代様を待っているんです。そう伝えてくれと言われました!」


「桔梗なんぞ知らぬわ!」


 お殿様は息を切らして立ち上がりました。


「思い出してください。御初代様を最期まで慕っていた方です」


「わしにはかたきしかおらぬ!」


 お殿様は血走った目で虎千代を睨みました。


「この犬護法めが!」


 お殿様が虎千代を蹴ると、「ぎゃん」と悲鳴を上げた小さな体は宙を飛んで泉に落ちました。


「虎千代っ!」


 若様が泉に駆けよる背後から、お殿様が太刀を拾って振りかぶりました。


「若様! うしろ!」


 花野子ちゃんが悲鳴をあげました。


 その背に太刀を浴びた若様は、血に染まって泉に沈んでゆきました。

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