二十四章 モモンガの助っ人(2)

 そのとき背後のヤブをかき分けて、ひょっこり花野子ちゃんが現れました。


「先生! 龍の鏡を見つけました!」


 和真先生は飛び上がって花野子ちゃんを抱きしめました。


「花野子! いったいどこからでてきたんだ! よく無事でいてくれた!」


「先生、それより鏡ですよ。龍の三宝ですよ」


「そんなものはどうでも、えっ! 三宝を見つけたのかい? すごいな!」


 二人の足元ではイノシシの坊やが花野子ちゃんの匂いを嗅いでいました。


「ああちゃん。この子もワカの匂いがいっぱいする」


「それなら、助けてあげなくちゃね」


 イノシシのおかあさんがうなずきました。


「あれ、こんなところに可愛いウリボウがいる」


 花野子ちゃんは足元のイノシシに気づいて、その頭を撫でました。


「そのことだがな、花野子。ウリボウの後をそっとみてごらん。かなり上の方だ」


「かなり上……ですか」


 ゆっくり視線をゆっくり上げていった花野子ちゃんは大イノシシと目があいました。


「こんばんは、お嬢ちゃん」


 イノシシのお母さんは牙を見せて優しく頬笑みました。


 顔を真っ赤にして口を押さえた花野子ちゃんに、先生はすっかり感心しました。


「むやみに叫ばないところが、さすがは宮司の跡取りだね」


「ううう。叫んだら襲われるからですよ。摩利支天様のおつかいではありませんか」


「お知り合いかね。顔が広いな」


「とんでもない。生まれてはじめてお目に掛かりますよ」


 花野子ちゃんは声をひそめてささやきました。


「素羽鷹の主とも摩利支天様のおつかいと呼ばれているオバケイノシシです。ここまでデカいとは思わなかった。先生、よく御無事でしたね。まともに出遭って怪我しなかった者はいないはずですよ」


「そうか。そんなお方にお目に掛かれるとは私達は余程幸運なんだな」


 先生はおかしな喜び方をして、改めておかあさんを見上げました。


「どうやって手なずけたんですか」


「それなんだよ。また若様のお友だちが助けてくれたのだ」


 ナナカマドの枝で仙吉が後足で立ち上がって胸をそらせました。


「モモンガじゃないですか!」


 花野子ちゃんは目を丸くしました。


「危ういところで摩利支天様を止めてくださったのだ」


 すると突然、水鳥たちが甲高く叫んで一斉に飛び立ちました。ギイギイと舟の櫓をこぐきしみが水面を伝わってきます。舳先へさき松明たいまつをかかげた五六そうの舟が、鏡権現の岸にこぎ寄せてきました。



「いたぞ! あそこだ!」


 大声で叫ぶ声がして、手に手に松明を握った男たちが、舟板を蹴って水際に降り立ち、やかましい水音が続けざまに響きました。一団は火の粉を撒き散らしながら、まっすぐにこの石段へと向かってきます。


「先生、火を消して! 素羽鷹の御家来衆だ!」


 花野子ちゃんに言われて、先生は急いで灯を消しました。


「どうしよう。龍の鏡を取られてしまう」


 立ちすくむ花野子ちゃんを先生は背中に隠しました。


「私がここで闘うから、花野子はもう一度井戸に隠れなさい」


「いやだ! そんなの、だめです。先生!」


「いいから逃げろ。花野子は龍の鏡を守ってくれ!」


「だって、先生、殺されちゃうよ! あんなにたくさんいるのに!」


「勝てるわけがないのは百も承知だ! 私のやられている間に早く逃げなさい!」


「そんなのダメです!」


 足音が入り乱れ、松明の火が石段を駆け上がる男達の顔を照らし出します。抱きあった二人はそのとき、この世の終わりのような悲鳴を聞きました。大イノシシのお母さんが、御家来衆目がけて巨大な身を躍らせたのです。


「なんなの、お前たち! 若様のお友だちに何をするつもりなの!」


 家より大きなイノシシが雪崩のように落ちてきたのです。御家来衆は一人残らず逃げだしました。


「いまだ!」


 先生は花野子ちゃんの手を取ると、沼とは反対の草深い丘を目指して走り出しました。二人の頭上ではモモンガの仙吉が木から木へと渡り、のぼりはじめた明るい満月が逃げてゆく二人を照らしました。


「先生。これからどうするんですか?」


「わからん。とにかく走れ!」


 二人の背後では大イノシシの暴れまわる地響きと御家来衆の悲鳴が続いていました。

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