十三章 虎千代(1)
お城から逃げだした若様と虎千代は城山を駆けくだり、お堀にかかる橋のたもとのシラカシの下に飛びこみました。そうです。昨日若様が隠れた、あの大木です。
時を移さず四五人の御家来衆が追いかけてきましたが、二人に気づかずに通り過ぎてゆきました。若様がやぶの陰からそっとのぞくと、どの家来も石のような目をして走っていくのでした。
「どうしよう。虎ちゃん」
若様は虎千代を抱きしめました。
「僕のせいで家老が大怪我しちゃった。これからどうしたらいいんだろう」
虎千代のやわらかな毛並みに顔をうずめて若様は泣きました。
虎千代と若様の不思議な縁が結ばれたのは鷹狩りでのことでした。
今年の春、若様は初めて鷹狩りに連れていってもらったのです。鷹狩りというのは鷹を捕まえて飼い馴らし獲物をとらせる狩りのことです。お殿様は若い頃から鷹狩りが大好きで、鷹と
狩り場へと向かう道々、お殿様の鞍の前にちょこんとまたがった若様は胸をどきどきさせていました。お殿様の愛馬の
「七法師よ」
お殿様が背中から優しい声で話しかけました。
「はい。父上」
「初めて七法師が捕まえた獲物は、七法師の好きにして良いぞ」
小さい若様は真っすぐ前を向いたまま、目を丸くしました。
「ほんとう? そしたら飼ってもいいの?」
若様は捕らえた小鳥を鍋にするより、手にとまらせて遊びたかったのです。
「いいとも。不動丸が獲物を生かして捕らえたらな」
不動丸というのは若様が貰った若いハヤブサの名前です。
「やったあ! 頑張るぞお!」
若様はこぶしを高く突き上げました。
「よし! 頑張れ!」
お殿様がほがらかに笑いました。
狩り場の野原では太鼓をかついだ
ひらりと黒南風をおりたお殿様は、鷹匠からオオタカの
「韋駄天丸。行けっ!」
獲物に向かってお殿様がこぶしを突き出すとオオタカは矢を放ったように飛び立ちました。そして見事にキジを捕らえて皆の拍手喝采を浴びました。
「どうだ。簡単だろう。七法師もやってみろ」
お殿様は上手なお手本を見せることが出来てご満悦です。
そこで今度は若様がハヤブサの
「行ったぞお!」
若様の為に勢子が用意してくれたのは愛らしいカワラヒワでした。
「若様、いちにのさん!」
鷹匠の合図で、若様は、えいと、こぶしを突き出しました。
「不動丸。行け!」
ところが。不動丸は哀れなカワラヒワには目もくれず、東の空の彼方へ一直線に飛んでいってしまったのです。
「速いねえ」
「うむ。」
お殿様と若様は
すっかり待ちくたびれた若様が、竹の子掘りで泥だらけになった頃でした。
「お殿様。若様。不動丸が戻ってきましたよ!」
最初にその姿を見つけたのは小姓の末広丸でした。
「おお! なにか捕まえて来たようだぞ!」
お殿様がほっとした顔で遠い空を指差しました。やがて若様の慣れぬ目にも、ぐんぐん近づいてくる小さな影が見分けられました。
「やったあ! 不動丸、ありがとう!」
若様が手甲を付けた腕を突き出すと、不動丸はふわりと翼を広げてその腕に戻りました。しかしその鋭い爪がつかんでいたのは小鳥ではありませんでした。
「なんだ、これ?」
鷹匠の手から若様の手へ渡った獲物は、いかにも弱々しげに震えていました。あたまでっかちで、まぶたを閉じて四本の足を丸めています。呼吸ととも上下する胸には、淡いうぶ毛の下に桃色の薄い肌が透けて見えました。鋭い爪が自慢の不動丸でしたが、ひっかき傷一つつけていませんでした。
「これは犬の子ではないか。それも生まれたばかりだ」
お殿様が困ったように笑いました。子犬のぺちゃんこの鼻面が若様の指の匂いを嗅いでいます。温かな小さな舌の先が何かを求めるように、あちこちをさぐりました。
「お乳が欲しいんだろうな」
お殿様が目を細めてつぶやきました。
「だれか! おっぱい持ってる人!」
思いつめた目をした若様が、並みいる御家来衆を振り返って叫びました。
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