七章 角権現のお告げ(1)

 角権現はお城から半里ほど離れています。谷津の稲田はすっかり刈り入れが済んで、あちこちに稲わらが干してありました。


「いっちおっくなゆた! いっちおっくなゆた!」


「おん、おん、おん!」


 若様と虎千代が歌いながらあぜ道を駆けてゆくと、落ち穂を拾っていたスズメやムクドリやシジュウカラの群れが慌てて飛び立ちました。長いあぜ道の途中には朱色の鳥居がぽつんと立っています。これが角権現の一の鳥居です。その高い棟木むなぎに留まったヒヨドリが二人を見おろして、けたたましく鳴き立てました。


「ぎいいいい! ぎいいいい!」


「おん!」


 虎千代が元気に返事をすると、ヒヨドリは目を丸くして黙りました。

 一の鳥居の向こうに見える屏風のような丘全体が角権現の鎮守の森です。丘を越えれば素羽鷹沼でした。角権現の森にはタブやカシなどの冬枯れを知らない大木がそびえ、小暗いやぶに揺れている赤い実はカラスウリです。ふもとの浅い流れには丹色にいろの褪せた神橋が架かり、渡れば二の鳥居がありました。鳥居の下からはじまる急勾配の石段を若様と虎千代がフウフウ息を弾ませて登ってゆくと、段の尽きた頂上には空を覆うばかりの水木の大木が紅葉した枝を広げ、傍らの石造りの三の鳥居がよほど小さく見えました。


 角権現の社殿の前で竹ぼうきを使う音が規則正しく聞こえます。とき色の小袖と黒い膝下がすぼまった、に着替えた花野子ちゃんが、膝まで積もった落ち葉を掃いていました。長い髪はうなじでひとつに結んでいます。


「花野子ちゃん!」


「おん、おん」


 若様と虎千代が駆け寄ると、花野子ちゃんは眉をぐっと上げて二人をにらみました。


「お届けものでござる」


 かしこまった若様が御幣を高く捧げて差し出すと、花野子ちゃんは引ったくりました。


「ふざけんな! お前らのせいで洗濯物が増えて、母ちゃんに怒られたんだぞ!」


 花野子ちゃんはいつもこんな男言葉でしゃべるのです。


「まことにごめんなさい」


 若様が素直に謝ると、花野子ちゃんはしかめた眉を上げ下げしました。おのれの非を認めた相手をさらにそしるのは君子のすることにあらずと和真先生から教わったばかりです。花野子ちゃんは奥歯をかみしめて言いました。


「いいよ。もう二度とすんなよ」


「うん!」


 若様は笑顔でうなずきました。


「あと言っとくけど。お告げのことなら、俺は口止めされてるからな」


 一人称が「俺」なのも、このあたりの女の子では普通のことでした。


「え~え?」


 若様はがっかりして落ち葉の山にぱふんと腰を落としました。


「せっかく、こんなところまで来たのに」


「こんなところとは、なんだ」


 花野子ちゃんはげんこで若様の頭をこづきました。


「だって、和真先生も教えてくれないんだもん。口止めされたからって」


「へえ。先生、誰に口止めされたって?」


 花野子ちゃんの瞳がきらっと光りました。


「家老だよ。花野子ちゃんもでしょ?」


 すると花野子ちゃんはふふんと笑いました。


「俺は、お殿様だ」


 若様の顔が思わず知らずほころびます。


「なんだ、父上かあ。家老じゃないんだ」


 ――お殿様なら、黙っとけば分からないだろう。


 同じことを考えた花野子ちゃんと若様は、目を見合わせて、ぷっと吹き出しました。


「他言無用だってさ。だから誰にも言うなよ。チビさま」


「言うもんか!」


 若様は顎が胸にのめりこみそうになるほど、深くうなずきました。


「おん!」


 虎千代も尻尾をふりました。


 げんこつでこづかれてもチビさまと呼ばれても、若様は花野子ちゃんが大好きでした。


「よし。じゃあ教えてやるけど、ちょっと待て。誰もいないよな?」


 二人は辺りをうかがいました。鳴き交わす鳥の声しか聞こえません。それでも花野子ちゃんはできるだけ声をひそめました。


「あのな、昨日の明け方、俺の夢に妙見菩薩みょうけんぼさつ様が出てきて、お告げを授けてくれたんだ」


「妙見菩薩様があ? うおー、すごおーい!」


 大声を上げた若様の口を花野子ちゃんが慌てて押さえました。


「バカだろ、お前は!」


「あ、ごめん」


 若様は押さえつけられたまま、もごもごと謝りました。


「やっぱり、ここじゃだめだ。ちょっと来い」


 花野子ちゃんはくるりと背をむけて歩きだしました。若様と虎千代はあわててその後を追いかけます。


「どこに行くの」


「奥の院だ」

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