六章 お里ばあ(1)

 庭先から縁側に上がると、お味噌汁の匂いが廊下を伝わってきました。若様と虎千代は一緒に鼻をフンフンさせました。


「これはシメジだ。里芋も入ってるな」


「おん、おん」


 するとそこへ廊下の奥から、御幣を担いだ花野子ちゃんがうなだれてやってきました。


「花野子ちゃん!」


 びくんと顔を上げた角権現の跡取り娘は目をそらして作り声で言いました。


「若様。本日はお疲れさまでした。では失礼つかまつります」


「え?」


 いつになく他人行儀な花野子ちゃんは、そのまま玄関へと歩み去ろうとします。


「待てえ!」


 若様は後ろからその背中に飛びかかりました。


「うわあ、なにすんだ! こいつ!」


 いつもの男言葉になった花野子ちゃんは若様を背負い投げして廊下に転がしました。ころんと立ち上がった若様は、青海波せいがいはのすそをしっかり握りしめました。


「ねえ、ねえ、花野子ちゃん。お告げってなに?」


「いきなり、なぜそれを」


 花野子ちゃんが大きく瞳を見開きました。


「今朝、花野子ちゃんが言ってたじゃない」


「なんのことやら」


 顔をそむけようとしましたが、若様はぱたぱたと視線の先に回り込みます。


「言ったよ!」


「言わない!」


「教えて!」


「ダメ!」


 花野子ちゃんがすそを握りしめる若様の指を無理矢理もぎ離そうとしていると、虎千代が糊のきいた袴を、あむっと咥えました。


「ああっ! なにすんだ。わんこ!」


 花野子ちゃんが悲鳴を上げました。今日の着物は儀式用の大事なものなのです。


「わんこじゃないぞ。狼だい」


 若様が虎千代の代わりに言いました。


「ウウウ!」


「やめろ! よだれ、つけんな!」 


「教えてくれないと、御神体が伊勢土産だって言い触らすぞ」


「なぜそれを! 絶対やめろ!」


 もみ合ううちに御幣が廊下を転がり、髪飾りが背中にぶらさがりました。


「教えて!」


「はなせ! バカ法師!」


「なんだよお!」


「お前もはなせっ! バカ千代!」


「ウウウ!」


 そのとき衣の縫い目が嫌な音を立てました。


「やめて! お母ちゃんに叱られる!」


 花野子ちゃんの目が潤んだのを見て、思わず二人の手とあごがゆるむと、すかさず花野子ちゃんはコマのように回転しました。


「うわあ」


「オーン」


 はじき飛ばされた二人を尻目に、木沓きぐつを引っつかんだ花野子ちゃんは一目散に飛びだして、たちまち見えなくなりました。


「おのれ、逃げられたか」


「おん!」


 あきらめた若様が廊下を戻ろうとすると、虎千代がガサガサとなにかを引きずってきました。口にくわえているのは、紙垂しでがぐちゃぐちゃになった御幣ごへいでした。


「しめた! 花野子ちゃんの忘れものだ」


 若様は虎千代にニヤリと目配せしました。


「よくやったぞ、虎ちゃん。お昼を食べたら、これを角権現に届けに行こう」


「おん!」


 虎千代が短い尻尾をパタパタと振りました。

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