五章 昔話の龍(4)

「ある年のことでした。日照りが何日も続いて、広い印波の海の水がすっかり干上がり、ひび割れた水底がむき出しになりました。しかし、そんなときでも竜宮淵だけは水が残っていたのです。村人はすっかり小さくなった龍宮淵に舟を浮かべて雨乞いをしました。素羽鷹の龍に、なにとぞ雨を降らせてくださいと頼んだのです」


「龍は助けてくれたの?」


 若様は夢中でこぶしを握りしめました。


「祈りを捧げると、舟の中に忽然こつぜんと龍のおじいさんが現れて、こう言ったそうです。――私は素羽鷹沼の龍だ。必ず雨を降らせてやろうと」


「やったあ!」


 若様は喜んでばんざいしましたが、先生はうつむいて眼鏡をふきました。


「そして、こう続けたそうです。――しかしこの日照りは、人が自ら呼び寄せたわざわいと知りなさいと」


「ええ? どういうこと?」


 若様がばんざいした手を下ろすと先生はうなずきました。


「お前たちが欲しいままにこの地を汚した報いが、いま巡りめぐって日照りを招いたのだ。すなわちこれは天罰である、と龍は言ったのです」


「僕らはそんなに素羽鷹を汚してるの?」


 若様の知っている素羽鷹は、風も水も清らかで気持ちのよいところでした。


「実はその頃、素羽鷹では盛んに鉄を作っていたんですよ」


「こんなところで鉄が作れるの?」


 若様は目を丸くしました。お城には鍛冶屋さんも住んでいますが、材料の鉄は遠くから取り寄せていました。


「材料の砂鉄は海岸から集めました。それから、というものを作りました。強い風の吹き込む谷津を選んで、鉄を焼くかまどをこしらえたのです」


 和真先生が絵を描いて説明しました。


「鉄を作るには長い時間火を燃やします。大量の炭が要りますから、森の木もずいぶんと伐ったことでしょう。モクモクと流れる煙と灰で、沼の水も汚れたに違いありません。野山にすむ鳥やけものたちも、素羽鷹沼にすむ魚たちも迷惑しただろうし、人間たちだって暮らしにくくなったと思いますよ」


「そうだったんだ」


 若様は、倫太郎の笑顔を思いうかべて悲しくなりました。


「でもね、若様。龍のおじいさんは最後にこう言ったそうです。――天は人の罪過ざいかを決して見過ごさない。だが長年つきあってきた友の苦しみを、わたしもまた見過ごすことができないのだ、と」


 若様の瞳には龍のおじいさんの優しい眼差しが見えたような気がしました。


「おじいさんは巨大な龍の姿に戻って空高く昇っていきました。そして龍が声高く呼ぶと、空の四方からうず巻く黒雲が押し寄せてきて空をおおいつくしました。体に雲をまとった龍が雨の歌をうたうと、たちまち大粒の雨が降りはじめました。村人は嬉し涙を流して龍をたたおがみました。しかし雨が七日七晩降り続いた明け方のこと、予期せぬことが起こりました」


 若様は虎千代を抱きしめて固唾かたずをのみました。


「大地を揺るがして、すさまじい神鳴りがとどろきました。そして目のくらむようないかづちが龍に襲いかかりました。天帝の放った雷が龍を打ち砕いたのです。粉々になった龍の体は流れ星のように燃えて、四方八方に飛び散りました」


 若様の目からポロポロと涙がこぼれました。

 和真先生も語りながら泣いていました。


「天の定めにそむけば罰をこうむると、龍ははじめから承知していたはずです。それなのに雨を降らせてくれたのです。村人は嘆き悲しみ、野山に散った龍のむくろを探し集めました。今も野辺にのこる古い石塔は龍の亡骸なきがらとむらったものだと伝わっています」


 涙のとまらない若様は、手ぬぐいを取りだして鼻をかみました。

 先生も眼鏡をはずして涙をぬぐいました。


「昔話というものは遠い過去に生きた人たちから託された大事なのように思えてなりません。その昔、素羽鷹沼に龍がいたのかどうか、もう知るよしもありませんが」


 若様は涙をふいてうなずきました。


「僕、龍はいたと思う。絶対いたと思うよ」


「ええ。私もそう思います」


 優しく微笑んだ和真先生の瞳がふと、いたずらっぽくきらめきました。


「若様は龍の角というものを御覧になったことはありませんか。角権現の御神木の松に引っかかっていたという言い伝えがあるそうですが」


 若様が目を輝かせました。


「ええっ? 知らないよ。花野子ちゃんとこじゃないか。僕も見たい!」


 するとそれまで真面目な顔をしていた先生が急に横を向いて、ぷっと吹き出しました。


「先生、どうしたの」


「いや。あのね。若様、これは内緒ですよ」


「うん。誰にも言わないよ」


 先生が耳元でささやいたので、若様はこくこくとうなずきました。


「あのね。うちの母が聞いてきた話ですが」


「うん、うん」


「先代の宮司さんがお伊勢参りに行くまで、角権現に龍の角なんて無かったんだって」


「ええっ?」


「そう云われてみると、鹿の角に大変よく似てました」


「ひょっとしてお伊勢様のお土産?」


 先生と弟子は声をそろえて笑いました。

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