あなたならきっと

相応恣意

いつかの未来、或いはここではないどこか

 ゆっくりと目を覚ます。

 眠りに就く前の倦怠感は、多少マシになった程度だろうか。

 眠気を振り払うように頭を振り、窓の外を見る。

 広がる光景は、相も変わらず吹きすさぶ雪と厚い雲に閉ざされ、日の光が差し込む気配すらみえない。

χカイ、どうかな。外の様子は」

 いつの間に目を覚ましたのか、μミューがすぐ後ろに立っていた。

「ダメだ、回復する気配はない。今は非常電源がもっているが、このままだと……」

 その言葉を待っていたかのように、チカチカと蛍光灯が点滅する。

 二人の視線が自然に上を向き、そしてふっと降ろしたときに自然とぶつかる。

「万事休す、だ」

 肩をすくめて、自然と苦笑いがこぼれる。それはμも同じらしい。

「……あと、どれくらい持つかな」

 何を、とは聞かない。視線の先の換気システムが、それを雄弁に物語っている。

「……しっかりと調べたわけじゃないからわからないが……三日も持てば、御の字かな」

 俺の発言に、μは息をのむ。

「そっか……そうだよね……」

 消沈するμに、

「……でも、それまでに太陽光発電が回復すれば……」

 言ってから、その甘い考えを頭から振り払う。そんな奇跡、ことここに至って起きるはずもない。そもそもこうやって避難シェルターに二人で滑り込めただけでも望外の幸運だったのだから。

 そんな俺の思考を遮るように、μが俺の胸に顔をうずめる。

「……やっぱり最期は、苦しいかな」

 絞り出すように紡がれる声に、俺は何も返事ができない。

「……ねえ、苦しい思いをするくらいなら、今のうちにいっそ……」

「ダメだ!」

 その先は言葉にさせない。μの両肩を握り、強く言い聞かせる。

「確かに状況は絶望的だ。けれど、それだけはダメだ……」

 これは俺のわがままかもしれない。それでも自分で自分の命を諦めるなんて選択肢、俺は絶対に取りたくないし、それをμにさせたくもない。

「……痛いよ、χ」

 μの言葉に我に返り、知らず手に力をこめすぎていたことに気がつく。

「ご、ごめん」

 慌てて手を放す。

「……ありがと」

 言葉とともに、一歩下がったμと視線がぶつかる。彼女のまなじりには涙が数滴、たまっていた。それを拭いながら、彼女は口を開いた。

「……もしも、もしもだけどさ」

「ん?」

「この世界が本当は、私が見ている夢の中の出来事で、目を覚ませば私は暖かいベッドの中で、あー怖い夢だったなあって……そうやって笑えれば、こんな世界、もうすぐにでもなくしちゃって、夢から覚めちゃうのにね」

 彼女がそうやって告げる唐突な夢物語は、確かにひどく魅力的で、できることならすぐにでも飛びつきたくなってしまう。けれど……

「いや、俺はそうは思わない」

「え?」

 キョトンとした表情の彼女に、ハッキリと伝える。

「たとえこの世界が夢幻だとしても……あるいは胡蝶の夢に過ぎないとしても……ここには俺がいてμがいる。それだけで、この世界を全力に生きるのには十分すぎる理由だ」

 俺の言葉に、μは一瞬、あっけにとられた表情をする。けれどすぐに彼女はぷっと吹き出し、

「……バーカ」

 そう告げると、堪えきれずに笑いだしてしまった。

 そんなに変なことを言っただろうか。俺としては納得がいかないが、彼女の妙な笑いのツボは、別に今に始まったことではない。

「……でもそうね」

 笑い疲れたのか、息を整えて彼女が告げる。

「どこかでわかっていたかもしれない。あなたならきっと、そう言ってくれるだろうって」

 μがこの絶望的な状況を微塵も感じさせない、優しい笑顔で――

「……ありがとう」

 まるでそれが引き鉄になったかのようだった。

 不意に世界がぐらりと揺れる。

 何が起こったのか、理解はできない。けれど何かが起こったことはわかる。

 声を出すこともできない、ほんの一瞬の出来事。

 意識がプツリと途切れる間際、彼女の笑顔だけが印象に残っていた。


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