恋に落ちたマイ・マザー
猫柳蝉丸
本編
「なあ、千歳。あたし、再婚しようと思うんだよ」
お母さんに珍しくファミレスに誘われたと思ったら、いきなりそんな事を告白された。
「お母さんがそんな事を考えてたなんて、知らなかった。でも、いいと思うな。私も応援するよ、お母さん。それでお相手はどんな人なの?」
すっ呆けたけど本当は何となく勘付いてた。
女手一つで私を大学に入るまで育て上げてくれた気風の良いお母さん。ずっと浮いた話なんて無かったのに、最近のお母さんは娘の私から見ると一目瞭然なくらいに幸せそうだったんだもんね。何かあったんだろうな、って事くらい分かるよ。娘なんだもん。
「お相手はあんたもよく知ってるよ、千歳」
お母さんが頬をちょっと赤く染めて微笑む。
滅多に見ないお母さんの表情が何とも可愛らしい。見た目は普通の少し太めな日本のおばさんなのにね。ううん、だからこそ、なのかな?
「えっ、そうなんだ。誰だろ、楽しみだなあ」
またまたすっ呆けちゃったけど、お母さんの再婚相手には私にも心当たりがあった。
お隣の純くんのお父さんの典明さんだ。
私と純くんは幼稚園の頃からの幼馴染みで、当然だけど典明さんとお母さんは昔からの顔馴染みだ。片親で子供を育てている者同士、典明さんとお母さんは昔から仲が良かった。家族ぐるみで旅行に行ったら夫婦に間違われる事が何度もあったくらい。
『こんなおばさんをからかうんじゃないよ』なんてお母さんは照れてたけど、確かにそうだった。こう言っちゃ何だけど、典明さんとお母さんは娘の私から見てもちょっと不釣り合いに見えたから。
お母さんが悪いわけじゃない。典明さんが格好良過ぎるんだよね。
高身長、高収入、それでいて気取ったところも無い口髭の似合う素敵なナイスミドル。それが典明さんなんだもん。こんな素敵なおじさまが典型的なおばさんのお母さんと釣り合うはずもない。お母さん自身もそう思ってたんじゃないかな。
だから、素直に感心するし、お母さんが羨ましい。不釣り合いに見える二人だけど、そんな事が関係無いくらいお母さんと典明さんは好き合ってるんだ。五十歳も近くなって再婚を考えるくらいに、愛し合えるようになったんだ。それって凄い事だよね。
それはそうと……。
「ウヘヘヘヘヘヘヘ」
「ど、どうしたんだい、千歳。いきなり笑い出したりなんかして」
「ご、ごめんね、お母さん、何でもないよ。ちょっと思い出し笑いが出ちゃって……」
「大切な話をしてる時に思い出し笑いするってどんな神経なんだい……」
お母さんが呆れた表情を見せるけど、溢れ出る笑いを私は止められそうにない。
だって、だって、ウヘヘヘヘヘヘヘ。
お母さんが典明さんと再婚するって事は、私と純くんが兄妹になるって事じゃん?
二歳年上の幼馴染みのお兄さんが本当のお兄ちゃんになるって事じゃん?
これってすっごくすっごく燃えるシチュエーションじゃない?
純くんは典明さんの息子だけあって高身長で高学歴。私にはいつも優しいし、昔から女の子の人気も凄かった。誰かに告白されたって噂で聞いた時は気が気でなかったけど、純くんは誰とも付き合おうとしなかった。今だって誰とも付き合ってないはずだし、私以外の女の子と遊びに行ったりもしていないはずだと思う。
これってあれだよね? 幼馴染みの私をずっと大切にしてくれてるって事だよね? 近過ぎて一歩踏み出せないけど、限りなく恋人に近い位置の女の子だって考えてくれてるって事だよね? それくらい深い仲だって事だよね?
それに私は知ってるんだ。昔から純くんが私の家の方を切なそうな視線で見てる事。
これはもう間違いないよね? 純くん、私に恋しちゃってくれてるよね?
今まで私の方もきっかけが無くて一歩踏み出せなかった。純くんに告白できなかった。そうこうしてる内に大学生になっちゃった。このままずっと平行線なのかな……、って思い掛けてた時にお母さんと典明さんが再婚するなんて、まさしく渡りに船ってやつだよね。これはもう結ばれるしかないって神様が言ってくれてるんだよ!
お母さんと典明さんが再婚したら、勿論私達は一つ屋根の下に住むよね? お風呂に入ってたらハプニングで鉢合わせしたりとかも勿論あるよね? ご、ごめん、千歳ちゃん! ううん、私、純くんになら、お兄ちゃんになら見られてもいいよ……。えっ、そっそれって……。私、お兄ちゃんの事、子供の頃から好きだったの。私の事、お母さんみたいに幸せなお嫁さんにして! 千歳ちゃん……! お兄ちゃん……! なんて事が起こったりするわけだよね?
ウヘヘヘヘヘヘヘ、萌えるシチュエーションこの上無くてニヤニヤしちゃうよ。
「お待たせしてしまいました、すみません」
色々妄想してニヤニヤしている内に、お母さんの再婚相手が到着したみたいだった。
わざわざ顔を見なくても声で分かる。
よく聞き慣れた声、やっぱり典明さんだ。やったぜ。
溢れ出そうになる笑顔を必死に抑えながら、私は典明さんの方に視線を向ける。
困り眉の笑顔を見せる典明さんの隣には、戸惑った表情の純くんも立っていた。そりゃそうだよね。純くんも当事者なんだもん。今更だけど顔合わせしとかないとね。戸惑ってるのも仕方無いよね。いきなり私と兄妹になるなんて戸惑っちゃうよね。でも、安心して、純くん。私は義妹と義兄の禁じられた恋愛でも全然オッケーだから!
ウヘヘヘヘヘヘへ。
「それじゃあ今更だけど紹介するよ、千歳」
お母さんが席から立ち上がって、純くんと典明さんの間に移動する。
これから二人の仲睦まじい姿を見せてくれるんだろう。幸せそうで羨ましい。
「彼があんたもよく知ってるあたしの再婚相手、杉下純くんだよ」
「よ、よろしくね、千歳ちゃん。突然で驚いてるかもしれないけど」
………。
……。
…。
はっ?
何か急に時間が飛んだような気がする。
お母さん、さっき何て言ったっけ?
彼が、あんたも、よく知ってる、あたしの、再婚相手の、杉下、純くん……?
「はあああああああああああっ?」
思わず立ち上がって大声を出してしまう。
ファミレスの周りのお客さんから何事かと視線を集中させられたけど、そんな事はどうでもよかった。心底どうでもよかった。徹頭徹尾どうでもよかった。今の私の身に降り掛かっている事態の方が何倍も重要だった。
えっ、ギャグ……? ギャグなの、これ……? 今日エイプリルフールだっけ……?
そう訊ねたかったけど、そんな雰囲気でもなかった。典明さんも純くんもそんな冗談は言わない真面目なタイプだったし、何よりお母さんがそんな冗談を言うはずなかった。ずっと娘をやってたんだもん。お母さんが昔ながらの頑固で芯の通った日本のおふくろさんだって事は私が一番よく知っている。
「い、いつから……?」
どうにか口に出せたのはその言葉だけだった。
それ以上の事はどうも言えそうにない。
「いつから付き合ってたって事かい? 三年前の今日からだよね、純くん」
「そうだね、浩美さん。今でもはっきり思い出せるよ。あの日、僕の方から猛アタックしてやっと付き合えてもらえた時は嬉しかったな。浩美さんってば僕の告白をずっと冗談だと思って本気にしてくれなかったんだから」
「しょうがないだろ? 純くんみたいな素敵な子がこんなおばさん相手に何を言ってるのかって思うのが普通じゃないか」
「それこそしょうがないじゃないか、浩美さん。子供の頃から本当に好きだったんだ。僕には浩美さん以外考えられなかったんだよ」
「それも今なら分かるけどね……」
二人だけの空間で見つめ合う二人。入り込めない何かを感じさせられる。
ようやく私にもはっきり分かった。これは冗談でも何でもない。純然とした真実なんだ。
って、ちょっと待ってよ、つまりはこういう事?
純くんが今まで告白されても誰とも付き合わなかったのは、私が好きだったからじゃなくてお母さんが好きだったからって事? 私の家を切なそうに見てたのは、私じゃなくてお母さんの事を考えたって事? 近過ぎて踏み出せないだけで本当は両想いだって思ってたのは、完全無欠に私だけだって事?
うわあああああああああああああ……。
恥ずかしい……、これは恥ずかしい……、自分の勘違いが恥ずかしい……!
穴があったら入って埋まってしまいたい……。
長い片想いの失恋よりそっちの方が厳しい……。
泣きてえ。
「ごめんね、千歳ちゃん」
目まぐるしく変わる私の表情に気付いたのかもしれない。純くんが本当に申し訳なさそうな顔を私に向けた。
「ずっと隠しててごめん。ずっと伝えるべきだとは思ってたんだけど、君のお母さんとお付き合いしてますなんて言い出せなかった。からかってるなんて思われたくなかったし、いい加減な気持ちで付き合ってるとも思わせたくなかった。それでもっとちゃんとした、浩美さんに相応しい相手になってから伝えようと思ってたら、こんなに遅くなっちゃったんだ。だけど、その分、浩美さんの夫として少しは相応しい男になれたと思う。千歳ちゃんのお義父さんとしてもね」
「純くんはね、国家公務員試験に合格したんだよ、千歳」
「そうなんだ。これで完全とまでは言えないけれど、少しは浩美さんを支えられる自信が出来たんだよ。それでプロポーズも出来たし、千歳ちゃんに僕達の関係を伝える決心も出来たってわけなんだ。今にも逃げ出しちゃいくらい照れ臭いけれどね……」
「あんたは立派だよ、純くん。あたしがそう思うくらいにね」
「ありがとう、浩美さん」
見つめ合う二人。愛し合う二人。
戸惑う気持ちも恥ずかしい気持ちも泣きたい気持ちもまだ消えてない。
だけど、いいな、と思った。羨ましい、とも。
ずっと私を一人で育ててくれたお母さんが幸せそうになろうとしてるんだ。新しい恋をして、それが成就しようとしてるんだ。相手が私の好きだった純くんだって事実が複雑たけれど、お母さんと純くんの幸せそうな笑顔を見るのは素直に嬉しかった。
だから、私は伝える事にした。上手く言葉に出来ない、素直な気持ちを。
「何て言っていいのか分からないんだけど……、でも、よかった、って思うよ、私も」
「千歳ちゃん……」
「千歳……」
「純くんならお母さんを任せられる気もしてる。でも、本当にいいの、純くん?」
「何が?」
「お母さんってば、本当にただの私のお母さんだよ? 五十歳近い純くんよりずっと年上の普通のおばさんだよ? 肝っ玉母ちゃんだよ? そんな私のお母さんでいいの?」
「うん、浩美さんがいいんだ」
「そっか……。じゃ、いいんじゃないかな。お母さんをよろしくね」
「千歳ちゃん……! ありがとう……!」
「お幸せに」
負け惜しみじゃない。本当に幸せになってほしいと思った。
好きな人には自分以外とでも幸せになってほしい、ってたまに聞くけど本当なんだね。
まあ、悔しいし悲しいのも本当なんだけどね。
どうしようかなあ、これから。長い片想いが急に終わっちゃって途方に暮れる気分。
「ごめんね、千歳ちゃん。私からも言わせてほしい。本当にありがとう」
不意に典明さんが私の手を握って話し始めた。
「私も浩美さんと純の関係を聞いた時は戸惑ったよ。けれどね、二人の幸せそうな表情を見ていると、歳の差とか、世間体とか、そういう事は本当に些細な事だと思えたんだ。千歳ちゃんは年頃だから複雑な気持ちになるのは分かっていた。それにね……」
典明さんが私の耳元に口を寄せて、私にだけ聞こえるように囁く。
「純の事、好きだったんだろう? そんな千歳ちゃんがこんなに快く受け入れてくれるなんて思っていなかったんだ。だから、ありがとう、千歳ちゃん。千歳ちゃんが本当に優しい子でよかった。私も嬉しいよ」
言った後に微笑んだ典明さんの目尻には涙が浮かんでいた。
私が優しいなら典明さんだって優しいって思えた。
同時に、私は一つの事に気付いた。
トゥンク……。
典明さんの顔を見ていると胸がときめく事に。
純くんが素敵なお兄さんだったように、典明さんだって素敵なおじさまなんだよね。
今まで純くんの事ばかり見てて気付かなかったけど、典明さんだって本当に素敵なんだ。
だとしたら、ウヘヘヘヘヘヘ。
そうだよね、私も新しい恋に生きたっていいよね。義理のお義父さん……じゃないや、義理のお祖父さんになる典明さんに恋したっていいよね。それも萌えるシチュエーションだもんね。ほら、私って年上好きだし?
よーし、私だってお母さんみたいに幸せになるぞ!
そう、だって――
――私の青春はこれからだ!
恋に落ちたマイ・マザー 猫柳蝉丸 @necosemimaru
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