第七章 最後の戦い(中編)
敵がPWを搭載したウォーカーを実践投入している。
ルーシーのその言葉は、クリスにとっては驚くようなものではなかった。クリスは、冷静なままでソフィアの言葉に応じる。
「そうなんだろうな、とは思っていたんです。『心眼』が通用しない様な挙動、明らかに常識外れな索敵能力、軍のウォーカーに『心眼』みたいな何らかの装置が付けられているんじゃないかって事は俺も、ソフィアも考えていました」
対するルーシーは満足そうに頷いてこれに応える。
「優秀だとは噂で聞いていたけど、実力も洞察力も嘘じゃなさそうだね。うん、なら話が早いかな。君達以外にも例の傭兵集団が使ってるウォーカーを撃破した人達がいるんだよ。意外かな? 君たちが苦戦した相手を撃破した、PW由来の装置を搭載していない機体がいたことは」
「驚きもするし、凄いとも思います。だけど、不可能なことだとは思いません」
クリスのそんな言葉を聞き、ルーシーは一層嬉しそうな表情を見せた。
「謙虚なのは良いことだよ。力を持って慢心すれば、そこで成長が止まっちゃうからね。……さて、実を言うと鹵獲したその敵のウォーカー、例の〈スコーピオン〉から面白いものが見つかったんだ。丁度私の所に届いているから、君にも見せておこうと思ってね。ついてきて」
クリスは、歩き始めたルーシーについていく。建物を出たルーシーは、最初にソフィアを運び込んだテントの中に入りクリスを招き入れる。
ランプの明かりが燈されたテントの中は、医療設備と言うのは少々躊躇いが必要な様子だった。中央に置かれた簡易式のベッドや、机の上に置かれた薬品の瓶、聴診器や注射器のセットなどは、確かに野戦病院のイメージと合致する。
しかし、非常用の発電機に繋がれたいくつもの用途不明の機械や、そこに繋がれたモニター、そして〈アルゴス〉に乗る時にソフィアが被っているヘルメットのような物に似た装置などは、野戦病院のイメージからは余りにもかけ離れている。
まるで何かの実験施設か、或いは。
「……〈アルゴス〉の、ソフィアが座っているサブシートみたいだ」
「その感覚、その感想、その感性、それはとても正しいと言えるね。ここに置いてあるのは精神波の測定装置や、それに付随する各種生体反応の観測装置が主なんだよ。と、いうことは、必然的にPWを搭載した機体の内装に似た感じになるというわけだ。……さて、君に見せたかったのはコレだよ」
ルーシーが机の上に置いて見せたのは、金属で出来た円筒形の物体だった。
直径は三十センチほどで、高さは五十センチほど。ルーシーに促され、クリスはその円筒形の物体を手に取った。
「……結構、重いですね。底に金属端子みたいなのが付いてるから、ここをウォーカーに接続して使うんだとは思いますけど。それに、入ってるのは液体ですか? ……いや、液体の中に何かが浮いている? ルーシーさん、これが本当にPWなんですか?」
「PWに関する実験が、多くの犠牲者を出した人体実験だってことは君のよく知っているでしょ? 例えば彼女、ソフィアみたいな精神波の感知能力を先天的に獲得している人間を利用して、それを兵器に転用する研究。或いは、私のように精神波を感知する能力を後天的に獲得させようという実験。だけど、ある時気付いてしまったんだろうね。『精神波を感知する能力はどんな人間にでも備わっていて、それを自覚できるかの問題だ』という重大な事実に。そして実験を繰り返す過程で蓄積されたいくつもの研究結果は、思いもよらない副産物を発見した筈だよ。その副産物こそが――」
クリスからその物体を返されたルーシーは、上蓋を捻って開けた。
中から放たれるのは強烈な薬品臭。それに加えて僅かに漂ってくるのは、生理的嫌悪感を呼び起こす異臭だ。
クリスはその、異臭を放つ円筒形の金属の中を、好奇心に任せて覗き込んだ。
「――ッ!?」
クリスは思わず絶句した。
それに合わせるようにしてルーシーが言った。
「人間の脳には、いまだにその用途が未判明の領域と言うのが沢山あるんだよ。そこの一部が精神波の受容体だっていう可能性は十分にあるんだ。それでなくても、人間の脳というのはビックリするぐらい沢山の情報を、信じられないような速さで処理出来るし、その柔軟性と複雑さは、少なくとも現段階で開発に成功しているどんな装置よりも高性能だと言えるかもしれないね。それは、アテニウムを使って構成されるウォーカーの動作制御装置すらも凌駕するんじゃないかな。そして人間の神経を伝達しているのは微弱な電流であると来ている。だとすれば、だ」
まともな倫理観があれば、そんな装置を作ることは無いだろう。
だが、相手は自国の村の住人を生体実験のサンプルに使用することもいとわない者達なのだ。そういった者達に『常識』を問うという行為そのものが無意味と言える。
「取り出した人間の脳に端子を接続して高度な情報処理装置として利用する、っていうのは意外と突飛な話ではないかもしれないし、合理的な発想なんじゃないかな?」
装置の中に入っていた物。
薬液に浸かっていた物の正体は、人間の脳だった。
「随分と無茶なやり方をしてるみたいだし、劣化もかなり進んでる。通電させて使い始めれば、多分持って四時間ぐらいなんじゃないかな? だけどその間であれば、ウォーカーの性能は格段に向上するだろうし、君達のウォーカーに搭載されている『心眼』に近い能力を発揮させることが出来るはずだよ。それに、こうした形状であればすぐに取り換えることだってできるはずだ。……さてクリス、少し想像力があれば、この脳がいったいどこで手に入れられたものなのか、それが分かるんじゃないかな?」
クリスは、無意識に一歩後退りした。装置には、触ろうという気はもう無くなり、見ることすらも嫌な気持ちになっていた。『人間の脳を入れた金属の装置』という存在は、その実態以上に邪悪な過程を経て生み出されたことが容易に想像出来てしまったのだ。
「……地図から消えた村、収容所に送られた人達、人体実験。これが、その人たちの脳だって、そう言いたいんですか!?」
やや興奮気味のクリスとは対照的に、ルーシーは平静を保ったまま応じる。
「私に対してそんな風に言われても少し困っちゃうかな。だけど、内偵で入ったレジスタンスの証言とか、私達みたいな非検体という人体実験が行われていた証拠、そして今ここにある実際に作られた装置。彼等が生きた人間の脳を取り出して、それを兵器に利用している事は、そう推測する事が合理的だと思える証拠がそろっているんだよ」
「……だけど、仮にそうだとしても、本当に可能なんですか? 取り出した人間の脳をウォーカーの部品として利用する。それによって人間の精神波に干渉出来るなんて」
「君がそれを疑うのはナンセンスな話なんじゃないかな? 実際にそういうウォーカーと対峙したんでしょ? その上で私から言えることは、技術的なハードルは高いけど、『原理的には不可能じゃない』という一般論だけだよ」
目の前に存在する現実。
今では当事者の一人になってしまったこの国の闇。
その現実に対する否定手段を失ったとなれば、反論など出来るはずもなかった。
クリスは、何も国の名誉の為に反論や否定を試みたわけではない。
こんなにも残酷で悍ましい現実が存在するということ、それそのものを否定したかった。
しかし、何を言ったところで現実が覆ることはなさそうだ。
「どうして、……どうして、俺にこれを見せたんですか?」
ルーシーは一度目を閉じて深い溜息をついた。
そして再びクリスに向き直って言った。
「どんな情報がどこで役に立つかは分からないからね。戦力的に君が重要なポジションにいる以上、私もこの戦いに勝つために出来ることは全部やっておきたいんだ。失敗して、全て終わって、その時に後悔するなんて私は嫌だよ。それにさ、あのソフィアって子、運び込んだ時には殆ど意識は無かったけど、それでもたまに口にする言葉で懸命に君の名前を呼んでいたんだよ。彼女が命を懸けて守ろうとした君が戦いに向かうなら、せめて万全であってほしいのさ。あんな良い子を、これ以上泣かせるのは間違いなく罪だよ。少なくとも私はそう思う」
クリスを守るためにソフィアが無茶をした。
ソフィアは以前にも、クリスに対して恩返しをしたいと言っていた。
それはソフィアにとって、文字通り命を懸けるに値する願いだった。
そのことを噛みしめ、クリスは深々と頭を下げながら言った。
「ありがとうございます。本当に色々なことで、ソフィアの事も、それに俺の事も」
「礼を言われるようなことはしていないよ。それに、どうせ君一人を戦場に放り出すことに変わりはないんだ」
「それでも、感謝はしたいです。……そうだ、一つ頼まれてくれますか?」
クリスのその言葉に、ルーシーは怪訝そうな表情を浮かべて言った。
「何かな? 協力できる範囲のことなら構わないけど」
「ソフィアに、会わせてもらえますか?」
「良いよ、ついてきて」
そう言ってテントを出るルーシーにクリスはついていく。
ルーシーに案内された場所は、女性の負傷者が寝かされているテントだった。
並べられた幾つもの簡易ベッドの一つにソフィアは寝かされていた。
「見ての通り命に別状はないよ。目を覚まさないし、随分とうなされてはいるけど、呼吸も脈拍もしっかりある」
ソフィアは確かにそこにいた。
額に汗が滲み、息は荒く、目を覚ます気配はない。
だが、確かに間違いなく生きていることが分かった。
「ただ顔を見に来た、って訳ではないんでしょ? 手を握るくらいなら別に構わないよ」
ルーシーの言葉を受けたクリスは、鉢巻状に巻いて髪を纏めていたバンダナを解いた。それは、クリスにとって数少ない、両親との思い出を呼び起こせる大切な物だった。
クリスはそれを、ソフィアの右手首に巻いて結んだ。
そんなクリスを見ていたルーシーが言った。
「何だい? もしかして形見のつもりかい? 彼女が君の死を誰よりも望んでないことは、さっきも言ったつもりだったんだけど」
「いいえ、そうじゃありません。絶対に帰るという証です」
クリスは毅然とそう言った。
そこに迷いは見えず、決意の固さを伺うことが出来た。
「ならクリス、絶対これを返してもらいに、彼女の笑顔を見るために帰ってくるんだ。約束できるかな?」
「はい、必ず」
ソフィアが生きている。それを確かめられたからこそ、生きて帰ることはクリスにとって絶対に必要なことになった。自分を生かしてくれたソフィアのためにも、作戦の成功と生還は必須条件だと、クリスは何度も心の中で自分に言い聞かせた。
眠り続けるソフィアの顔を見ていたクリスはふと、この作戦の前夜に彼女の話してくれたことを思い出した。
「……そういえばルーシーさん、一つ聞いてもいいですか? 本当に雑談みたいな話なんですけど」
「別に構わないよ。いったい何かな?」
「ルーシーさんは『新しい才能』って言葉、聞いたことありますか?」
『新しい才能』。
クリスにはもしかしたらそれがあるかもしれないとソフィアは言っていた。
だが、そもそもそんなものが実在するのだろうか?
ややあって、ルーシーが口を開いた。
「……なるほど、『新しい才能』か。確かに聞いたことがあるよ。仮説としては中々面白いし、実在してもいいと私は思っている。クリス、ウォーカーというマシーンが発明されてから、まだそれほど時間が経っていないことは知っているよね?」
「確か、二十年位前ですよね?」
「第一世代と呼ばれるウォーカーが世に出てからはそれくらいだね。さて、そんな新しい道具、新しい概念だけど、それを感覚で使いこなす天才をどう説明すればいいか? これに対する仮説が『新しい才能』という考え方ってわけ。『その才能を持つ人間は過去にもいたが、その時代には才能に適合する道具が無く見出されなかった、新しい概念の出現によってのみ発見される才能』。剣術の才能は剣の発明によって、射撃の才能は銃の発明によって、運転の才能は車の発明によって発見されるけど、才能自体はいつの時代の人間にも存在し得る、という理屈だね」
「……昔の時代なら凡人だけど、ウォーカーが発明されたことでその操縦の天才が現れた。その人は、ウォーカーが発明された今だから天才だ、ってことですか?」
「そういうこと。だけど厄介なことにその天才パイロットは、ウォーカーという概念の本質とも言うべきものを、ただの直感だけで見抜いて理解してしまっている。当のウォーカーそのものがまだ発展段階にあるにもかかわらず、ね。そんな訳の分からない才能は『新しい才能』とでも名付ける他に、理解の術が無かったのさ」
ウォーカーに関する技術進化のスピードはとても速い。
世界各地で散発する戦いが、ウォーカーという兵器の需要を押し上げているからだ。
そんな進化し続ける存在の、作っている人間ですら理解できずにいるような本質を直感的に理解できる人間に対しては、その理由を掘り下げて深く考えるよりも、『新しい才能』という枠組みを作る方が簡単に理解出来たのだろう。正体不明では恐ろしいが、名前があれば怖くない。不合理にも見えるが、人間とはそういう考え方の生き物だ。
ルーシーは背伸びをしてクリスの肩に手を乗せ、彼を自分の方に引き寄せながら言った。
「クリス、君がウォーカーの操縦に天才的な能力を持っている事は聞いているよ。仮に君が『新しい才能』の持ち主だと言われたら、私は信じてもいい。だけど、人間という生き物の底力が宿るのはそんな曖昧な場所じゃない。それは、固い決意と強い意志だ。少なくとも、私はそう信じている」
絶対に生きて帰る。
クリスはその誓いを反芻する。そして、一度ソフィアの方に目を向けた後、ルーシーの言葉に応じる。
「……分かりました。ありがとうございます」
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