20.頭痛。当たり前のように私に兄がいたことになっているんだけど
そして、再び世界に色が戻っていく。
止まっていた時間が動き出して、破壊されていた世界が、何事もなかったかのように修復される。
吹き飛んでいた車が元の場所に戻る。潰された車も、中に乗っている人すらも当たり前のように、潰れる前に戻って動き始めた。
黒馬馬車が付けた轍は、元の綺麗なアスファルトに戻っていた。
全てが、何事もなかった。そんな現実が目の前に広がっている。
さっきのは夢なんじゃないかって、淡い期待を抱いた。でも、少なくとも私の異能は、私の意思に関係なく動くんだよね。だから、そんな希望があっさり砕かれるって知ってる。
目の前で、歩行者用信号が点滅をはじめて、青だった信号は、当然のように赤に変わった。
これって、現実……なんだよね、もう何だか分からないんだけど。
「――大丈夫ですか? 救急車を呼びましたから、しばらく待っていてくださいね」
「……えっ?」
呆然と横断歩道の真ん中で立ちすくんでいたら、突然声をかけられて現実逃避仕掛けていた意識が引き戻される。
顔を向けると側に立っていたのは、ちょっと年上くらいの知らないお兄さんだった。
「側に倒れていた連れのお二人は、先に歩道まで運びました。意識を失っていたようなので本当は動かさないほうがいいとは思ったのですが、運良く看護師と医師の方がいたので安全に配慮して――」
親切なお兄さんの声が、ラジオから流れている音みたいに耳を流れていく。
頭が未だにフワフワしていて、何だか夢を見ているような感じだよ。
ゆっくりと振り返ると、二人は歩道にいた。たまたま近くにあったバスの停留所のベンチには、制服姿の香織と、もう見慣れたゴスロリドレス姿の鈴音が寝かされていた。そう言えば私は反対するんだけど、どうしても両親が、鈴音にあの衣装を着させるんだよね。意味分かんないんだけど。
その横には女の人が二人いて、香織と鈴音を診察している感じ。脇にはよくサスペンスドラマとかで医師の人が持っている大きな医師鞄が口を開けていた。
運が良かったのかな、それとも必然だったのかな――もうわかんない。
幸いなことに、鈴音が手に持っていた大鎌は消えていた。もし鈴音が大鎌を持ったままだったら、警察沙汰になっていたじゃないかって思う。
そっか、私現実に戻ってこられたんだ――。
「急いでください。信号が変わっていますから、早く渡らないと車に轢かれちゃいますよ」
私が轢かれないように車を誘導してくれていた人が、迷惑そうな顔でチラチラとこっちを見ている。そっか、香織と鈴音が運ばれていたんだから、私が呆然としていた時間は、歩行者用信号が一回変わった程度の時間じゃなかったのかも。
慌てて、お兄さんの後を小走りでついていく。
すぐに、通勤時間だった車道がいつも動きを取り戻す。
やがて遠くの方から、救急車のサイレンが聞こえてきた。
一緒に病院に行って、医師の人に診察してもらっている時に香織の意識が戻って、その後すぐに鈴音の意識も戻った。二人とも白執事――ウォルドが向かてきたところまでしか記憶がないみたいで、気がついたらここにいたって言われた。まあそっか、すぐに気絶してたもんね。
念の為、血液検査から始まって色々と検査していたら、あっという間に時間が経っていて、お昼になっていた。
学校には病院から連絡してくれていたみたいで、検査が終わって待合スペースに行くと教頭先生が駆け寄ってきた。長く待っていたのかな、ちょっと顔色が悪い気がする。
検査の結果は香織も鈴音も問題なくって、私はただの付添だったのに今日はもう帰っていいって言われた。いいのかな。いいのか、私は鈴音の姉だし。
運が悪いことに私の両親も、香織の両親にも連絡がつかなかったって頭を下げられた。唯一連絡付いたのがうちの兄らしくって、一旦、香織と三人で私の家に向かう事になったみたい。
……ちょっと待って、兄って……誰?
既に私の周りで、知らないうちに何かが変化しているのかな……?
ハッとなって周りを見回すけれど、ここの病院に来たときって救急車に乗ってきたから、ここの待合スペースは通っていないんだよね。だから何もわからなかった。
何だろう、すごくモヤモヤする。
「本当は私が送ってあげられればいいんだが、今日に限って他にも生徒がトラブルに巻き込まれていてな。幸い葛城君のお兄さんとは連絡が付いて、こっちに向かってもらえる話になっている。柳本君とは家がお隣同士みたいだから、一緒に送ってもらうといい」
さすがに、近所じゃないなんて言えなかった。
ただ香織の顔を見た時に普通に頷いていたから、もしかしたら私が知らなかっただけで、香織は近所に住んでいるのもしれない。
……そんなわけないんだけどね。
私の記憶が確かなら、香織は生まれも育ちも隣町だったはずだよ。でもそれが既に、間違った認識になっているのかもしれない。
この感じは多分あれだよね、迎えに来る『兄』ってもしかしなくてもウォルドだよ。絶対に。
「わかりました。兄が迎えに来たら、二人と一緒に家に帰ることにします」
「それじゃあ私は行くが、くれぐれも帰宅したあとで遊びに行ったりしないようにな」
教頭は病院の受付でしばらく話をしてから、慌てて病院を出ていった。
私も一応、受付の看護師さんにお礼を言ってから病院を出た。
本当は待合スペースで待っていればいいんだろうけど、香織が何か話をしたそうだったから、外のほうがいいと思った。時間的にも午前中の診察が終わる時間で、待合スペースは結構混雑していたし。
三人で歩道を歩いていると、それを狙ったかのように私の電話が鳴った。
着信先は……織人って名前が出ていた。誰?
「えっと、もしもし……?」
『兄の織人です。朝ぶりですね、お元気そうで何よりです』
「……もしかして、ウォルド?」
『当たりです。今車でそっちに向かっていますから、もう少し待っていただけますか?』
まさかの織人はウォルドだった。
少し話をして、病院の反対側にある公園の駐車場に来てもらえることになった。色々聞きたかったけれど、とりあえず必要最低限の会話だけで電話を切った。
今聞かなくても、後できっと話してくれるだろうし。
横断歩道を渡って、大きなお堀にかかった橋を渡って公園に入る。
ここの公園って、昔は大きなお城があった場所なんだよね。今はお堀だけが残っていて、城があった場所には博物館が建っていたっけ。
「さっきのって、お兄さん?」
夏の日差しが焼けるように暑い。
木陰を渡り歩きながら、そう言えば今って夏だったのかな……なんて現実が現実なのかわからなくなっている自分がいることに気づいた。途中にあった自販機で飲み物と、アイスクリームを確保する。
「うん、こっちに向かってるって。まだ三十分くらいかかるかな」
「結構ここまで遠いもんね。それに今日って琴音のお兄さんお休みだったんだ?」
「えっと……」
咄嗟に言葉に詰まった。
そもそもだよ、ウォルドとは今日はじめて知り合ったのに、織人としてどんな仕事をしているのかなんて知らないんだけど。でも何となくだけど、隣県のテーマパークでキャストとして働いているような気がしてきた。
「織人は休みが不定期だから、たまたま休みで家に居たんだと思う。今朝も家を出る時に、自分の部屋で寝ていたような気がする?」
「そっか、私たち運が良かったのね……」
違和感が半端ない。
私の今までの認識が、ゆっくりと書き換えられていっている。救いなのが、変わる前と変わった後の両方を、私が記憶して理解できていることかな。
ただ、どうしても語尾が疑問形になっちゃう。
その私の機微に、香織も気がついたんだと思う。しばらく無言の時間が続いた。鈴音が手を握ってきたから顔を向けると、心配そうな顔で見上げてきた。とりあえず笑顔で頷いておく。
私にだって何が起きているのか分かっていない。
ただ、三人が無事。それだけで今はいいんじゃないかって、そう思ってることだけは確かなのよね。
「……ねえ琴音、聞いてもいい?」
さすがに木陰を塗って歩いていても、暑さには敵わない。途中にあった、完全に日陰になっているベンチで一息ついた。
そのタイミングで香織が、少し迷ったあとで私の顔をしっかりと見つめてきた。
「鈴音ちゃんっていつから琴音の妹なの……?」
思わず息を呑んだ。
でもその香織の言葉に、なんだか救われたような気がした。
よかった、香織はこっちの側だ。
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