第11話 アトランティスでボクと握手 1

 校門の前にやたらとかわいい子がいる。モデル? 撮影? すれ違いざま何度もそんな会話を耳にした。

 ケヤキ並木の影では弦楽器のケースを担いだ女子が、黄色い声をあげている。これはひょっとすると本当にドラマか映画の撮影でもしているのかもしれない。

 ここで一発スカウトなんかされちゃったりして、電撃デビューの挙げ句歌まで売れちゃったりして、印税で例の借金を返済しちゃったりしてっていうのは捕らぬ狸の皮算用ならぬ、狸というかどちらかというと狐というか、つまるところ校門に件の女狐がいた。

 グレーのワンピースをしゃなりと着こなし、赤毛をサングラスでかきあげて物憂げに佇むサマは、さながら深窓の令嬢であるけれども、俺は本能の赴くままに目を逸らした。ただ、逸らす前に目があって、奴はニタリと笑いながら例のスイッチを指先でクルクルと弄んだ。

 やめたまえ。誤作動したら構内で変態認定されるだろうが。というか今日はほんとお綺麗ですねってさわやかにおべんちゃら抜かしたら見逃してくれるかな無理だな。ニタリと笑ったもんな。仕事かな、仕事の話だろうな。

 ハルは優雅な足取りで、さりげなく逃げようとした俺の退路へ回り込んだ。

「ごきげんよう、隼平さん」

「お疲れさまです」、俺は絶対目を合わさない。目を合わせたら負けだ。

「ほんと今日はあの黒カッパ白カッパ禿カッパのジェットストリーム三連講義で疲れてるんでほんとすいません」

「ちょっと顔貸しなさいよ」

 こんな時はあれ。ほら首取れる妖怪の……そうデュラハン? こんな時デュラハンだったら顔だけ貸せるのにね。でも返してくれなかったらどうしようね。この女ならニッコニコで銃口を頭に突きつけてくるよね。

 かくなる上は取り止めもなくもどうしようもない事を捲し立てて逃げようと思ったけれども、店は取ってあると言われまして、どうも逃げられないようです。

 そして酒臭い。近付いたら奈良漬けより臭い。どうしてこの子昼間っから飲んでいらっしゃるの? 

 もういやな予感しかしない。おんぶしてとか言い出したらどうしようという危惧はあながち見当違いでもなく、ハルはおもむろに腕にまとわりついてきた。それもものすごく不機嫌そうな顔で。頼んでもないのに腕絡めてきてその態度、ほんと傷つくわあ。

 背後から、廻沢のくせにだの、俺と代われだの宣う声が聞こえるが、借金込み込みで熨斗つけて譲ってやるから、今言った奴こっちこいよ。

 連れてこられたのが、駅前の居酒屋である。開店前の店をこじ開けるというのは、さすがというかこいつらの組織めんどくせえと思ったけれども、言ってもここは居酒屋なのである。

 我が大学の関係者にとっても行きつけの店だ。その行きつけの個室群のさらなる奥に広い座敷があるとは知らなかった。

 空いたジョッキがテーブルに連なっている様子となんら迷いもなくど真ん中に腰を下ろしたハルの姿から察するに、講義が終わるまでここで時間をつぶしていたようである。

「まだ飲むのか」、大ジョッキを頼んでいる背中を呆れながら非難した。

「まだ三時だぞ」

「いいでしょ? 暇なんだから」

「暇? 仕事は? わざわざここまできて、仕事の話じゃないのか」

「いいからほら、そこ座りなさいよ」

 ハル嬢は差し飲みをご所望である。しかし意図が分からない。

「仕事の話なら、ケイスケ呼ばなきゃ始まらないだろ」

 ダンっとハルはジョッキを勢いよく置いた。

「呼びなさいよ」、すくい上げるように、ハルは俺を睨んだ。恐っ。俺が何したっていうんだ。

「呼んでみなさいよ。早く!」

「いやそれが、ここんとこ会ってないんだな。連絡もつかない」

「でしょうね」

「でしょうね?」

 ハルはジョッキを煽った。

「ラボに入り浸りだから」

 いやだからどうしてそんな目で俺を睨むの。

「どんな手を使って博士に取り入ったか知らないけど、私がクビになったらどうしてくれるの?」

「いや知らん。カタギに戻れたお祝いでもする? というかあいつ博士のとこにいるの?」

「知らないわよバカ! このままじゃクビになって家賃払えないじゃないのおおお」

 よよと泣き崩れるかと思いきや、ハルはにじりよってきた。

「何を企んでるの? 知ってるんでしょ? 吐きなさいよ。おい、吐け」

 ハルは喋るのを止めた。顔が真っ白になって、一点を見つめて微動だにしない。イカの一夜干しみたいっておい、よしてくれ。まさか、おいここでお前吐くのか?

「オーケーハルさん。大丈夫、まだ大丈夫。さあゆっくりこっちにきて? そう、上手だ。サンダルは履ける? 上出来だ。俺たちは運がいい。すぐそこがトイレだからね。ほらもうドアに手をかけたぞ? ようし、もう一息だ。よく頑張った」

 クリムゾンバスターの如く、止めどもなく放出を続けるレディの背中をさすりながら、パンプキンヘッドの中でぶちまけたケイスケの事を思い出して、飲み過ぎはほんとよくないって思いました。

 座敷に戻るとハルは足を抱えてすすり泣きを始めた。なんの因果でこの状況に巻き込まれているのか、よほど前世の徳が足りなかったとみえる。

「もうお嫁にいけない……あんなところ見られて」

 ジョッキを下げにきた顔見知りのバイト娘が、軽蔑のまなざしを投げてくる。

「言い方! ちょっと違うからね? 俺は吐いたこの人を介抱してただけだからね?」

 やめて。そんな目で見ないで。自主的に出禁になっちゃうから。

「私は吐いてない! アイドルは吐かない!」

 バイト娘が心配そうに眉をひそめた。どっちの心配かな? アイドルとか口走ってるから頭の方かな?

「そちらのレディにお冷やをジョッキで」

「そうよ。私レディよ。来年成人式だもん」

 バイト娘の表情が強ばった。それ以上に俺のハートが震えた。

 にこやかに、それはもうにこやかにバイト娘さんはものすごく遠回しに年齢確認を迫っていく。ちょっとハルさん黙ろうか。言わぬが花ということもある。

「私? 魚座です! 春に生まれたのでハルナです!」

 このように自己紹介が終わりまして、早生まれの未成年者と一緒に俺はめでたくつまみ出され、行きつけをひとつ失ったのである。

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