MM団をよろしく。

中山ミチオ

第1話 未知との遭遇 1

「気が付いたか」

 暗闇の先で聞き覚えのある声がした。とりあえず意識が戻って一安心だと、彼は続けた。いつも通りの飄々とした声だった。

「このまま目が覚めなければよかったのに」

「寝起きに随分気持ちのいいこと言ってくれるな」

「眠ったままの方が幸せだって話」

 分からないでもない。確かに心地よい睡眠は何者にも変えがたい幸福をもたらしてくれるけれども、ここはひとつきっちり文句をいってやろうと起き上がろうとした。

 体が動かない。いやに体が固い。一息ついてあきらめて、また横になった。

「おいケイスケ。ここどこだ? 飲み屋にしちゃ殺風景だな?」

 この部屋にはベッドしかない。恐らく。暗くてよく見えないが、むさ苦しい男二人だけの空間。多分。

 毎度毎度で酔いつぶれてから座敷に寝転んだままかと思いきや、しかしご丁寧にベッドへ寝かしつけられている。この状況に至る過程が全く思い出せない。お酒って怖いね。

「僕にもどこだか分からない」

「何言ってんだ、お前」、ケイスケ君は本当に愉快なことを仰るものだから、説教が必要らしいけれども、それはおいおいするとして、まずは記憶を甦らせなければならない。

 行きつけの飲み屋じゃなければ、俺の部屋か。そんな訳がない。こんな病室みたいな部屋で日常を送る趣味はない。

 物音一つしない。車の通る気配すらない。ということは、年がら年中けたたましい国道沿いの煤けたアパートの二階角部屋、つまるところケイスケの部屋でもない。

 何も聞こえない。時計が秒針を刻む音すらない。静かすぎる。

 記憶があやふやだ。どこだ、ここは本当に。不安と一緒に空腹感が湧いてきた。

「あれ? さっきトンカツ屋でエビフライ定食食べなかった?」、いや食べたよな? おじいちゃんか俺は。

「エビフライとハンバーグ定食だった。たまにはトンカツ食えっておやじさん嘆いてたな」

 そうだよな。でも悲しいかな、ハンバーグの方が美味いんだよな。

 今日はレポートを提出した流れで、大学裏の『トン平』で夕飯を食べた。そう言えば酒は飲んでいない。飲む前にケイスケが来た。

「飯食い終わって、ドライブに出た、よな?」

「良いニュースと悪いニュースがある」

 ケイスケの声がこだまする。ひんやりとした部屋の奥から、水滴の落ちる音がした。もう嫌な予感しかしない。

「何がニュースだよ。そういうのはいいから、水くれ水。頭は割れそうに痛いし、体は軋むし、何の因果でこんな苦痛に」

 そうだよ。なんだこの痛み。飲み過ぎたくらいじゃあり得ない。風邪の症状に似ていなくもないが、怠さはないし、熱もない。そもそも酒を飲んだ記憶がない。というより、ドライブに出た後の記憶がない。

 脳裏を過ぎる強烈な光とクラクション。唐突に襲いかかってきたフラッシュバックが、全身の毛穴を開かせる。ちょっと待て。ひょっとして。

「ケイスケ……お前、やらかしたな? 事故ったな?!」

「やらかしたなんてさ、そんな言われ方は心外だね。僕のせいじゃない。ジュンにも責任がある」

「いや、運転してたのお前だからな?」

「コーラをぶちまけたのは君だ」

 ふうむ。朧げではあるけれど、そんな記憶が無くもない。確かにコーラをぶちまけて、気を取られたケイスケがよそ見をしたところまでは覚えていなくもない。

「あれだな。そもそも運転が荒かった線もあるな。それだ。そのせいでコーラは爆発した」

「そもそもコーラを買ったのは君だ」

「買ったような気もしますし、買ってないかもしれない。じゃあこうしよう。全ては爆発したコーラが悪い」、とまで言ったがケイスケの顔は晴れない。

「という話では収まらない……? 相手がいる?」

「黒塗りの厳ついお車」

 そこでケイスケは言葉を切って、まあ、お互い全損だから痛み分けかなと呟いた。

 これは盛大にやってしまいました。動悸もひどいが頭痛も痛い。いや頭痛が痛いってなんだ。よし落ち着こう。この現実に折り合いをつける為に、それなりの時間が必要だがそんな余裕があるとも思えない。余裕があったところで、折り合いなんてつけたくはない。

 オーケイ。まずは『黒塗り』というワードから確認していこう。

 相当な確率で最悪のケースが想定される訳だけれども、この男の事だからその線がもの凄く濃い訳だが、単なるチンピラかもしれないし、ひょっとしたらタクシーかもしれない。いや、タクシーあるな。むしろそれしかない。

「相手の肩書きは『マ』から始まる」

 俺の心を読んだのか、ケイスケはそう言った。

「黒塗りのマイクロバスか、なるほど」

「違う。肩書きって言ったじゃないか」

「マ……ジシャンとか?」

「少し近くなってきた。ただもっと闇が深い」

「やめて。もう言わないで。聞きたくない」

 そらみたことか。最悪の相手だった。そうかあ、マフィアかあ。今思ったんだけど、マフィアって単語、お菓子みたいな響きがあるよね。

 ケイスケはため息をついて、やれやれだと言った。

「何がやれやれか。俺だってやれやれだからな?」

「ただ今一度言っておくけど、僕は悪くない。路地から飛び出してきた向こうが悪い」

「そんな言い分が通じる相手かよ……最悪のニュースだ」

 つまりここはマフィアのアジトって訳だ。この天然パーマが、俺の隣のベッドで暢気に寝そべってる男が、メルセデスかBMWか、もうこの際車種なんていいけれども、いかにもな車に豪快に突っ込んだ結果、是非もなくこの場所に拉致されて、示談の条件が提示されてしまうのだ。

 いや、示談どころか、内臓をどう売り払うかについて、我々の意志が介在しない段取りが組まれていくのを指をくわえて見ていることしかできないのではないか。さらにくわえたその指を詰めろと仰せつかるのではなかろうか。ああ神様、どうか時間が巻き戻りますように。

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