第72話 子爵邸にて
マルちゃんに乗って、空を飛ぶ。気持ちいい季節だからいいけど、寒くなったらキツイかな。気温は高い場所の方が低いし、風を切る感じも空気が冷たくなったら厳しいよね。寒くなる前に一度、先生の所へ帰りたいなあ。
空からは子爵邸らしき建物がすぐに見えた。敷地はあまり広くなく、私の実家の伯爵家の半分くらいかな。
芝生が広がり、綺麗に刈り込まれた植木が並んでいる。丸くしてあるのが可愛いね。芝生で遊んでいる男の子は、この前会った子爵夫人と一緒にいた息子さんだ。元気な子だなあ。
このまま飛んで入ると、下手すると襲撃と間違えられそう。門の前へ降りて、門番に夫人から招待して頂いたことを告げた。
話が通してあったようで、すぐに開けてもらえた。鎧を着た門番の案内で庭を歩いて行くと、男の子がこちらを凝視している。
「あ、狼の人! いらっしゃい!」
「おう。来たぞ」
マルちゃんって子供に人気だよね。この子は馬車に轢かれそうになったところを助けられたから、また格別かも。
男の子も一緒に、屋敷の中へ入った。
「ようこそいらっしゃいました」
この家の執事かな。メガネをした壮年の男性が迎えてくれる。
「お招きに預かりまして……」
な、何て言えばいいんだろう。マルちゃんに視線を投げた。男の子がマルちゃんの隣を歩いて、案内するねと言ってくれている。マルちゃんはこちらを見ていなかった。
ロビーから廊下に差し掛かったところで、勉強の時間だと迎えに来たメイドに連れられ、男の子は名残惜しそうに階段をのぼって二階へ行ってしまった。
私とマルちゃんで、執事の後ろを歩いた。
少し進んだところで執事の男性がこちらですと振り返り、夫人が待つ応接室の扉を開いてくれる。
シンプルで絵画などの飾りも少なく、設えられた調度品は伯爵家の方が値が張りそうだ。子爵と伯爵で、違ってしまうものなのかな。私からしたら、みんな貴族で同じに見えちゃうよ。特別偉そうな人は解るけど。
「ようこそいらっしゃい。お座りになって、ソフィアさんと仰いましたね」
「はい、ソフィアです。本日はお日柄も良くっ、とってもいい日和です!」
「おい待て、挨拶にしてもおかし過ぎないか」
マルちゃんが呆れながら黒い騎士の姿になった。こっちが正式だから、ちゃんとする時は騎士になるよ。
「そんなに緊張しなくていいんですよ。コーヒーで宜しいかしら」
「宜しいです! コーヒーも好きだと思います」
「だから、その言い方は何だ」
またマルちゃんが注意してくる。もう、頑張ってるのに。マルちゃんが答えてよ、私にはまだ無理だよ! 本当はコーヒーは苦いから、ちょっと苦手なんだよ。喫茶店ならミルクをたっぷり入れるから、飲みやすいけど。
とりあえず座ろう。席を勧められたし、いいんだよね。
「お姉様のお宅は如何でした? 今の伯爵様は、物静かな優しい方でしょう」
「はい」
義祖母を刺したけど、それまで優しい人でした!
……とは、口止めされていなくても、とてもじゃないけど言えない。
夫人はやっぱり線が細くて、繊細そう。色も白くて、体が弱そうな。
伯爵の話は出来ないし、ティアマトに会っちゃいましたも刺激が強い。お母さん関係の話をするにも、村は壊滅で慰霊碑の名前の数がすごかったよとか、明るくしようがない。
「ご両親を亡くされたのよね。どう過ごしていたの?」
答えられる質問だ。良かった。
「同情してくださった召喚術の先生に、引き取ってもらえました。魔法もスゴい先生なんです。女の子だけの塾で、内弟子が数人一緒に暮らしていて」
山奥だったからちょっとした薬の作り方も教わり、召喚して契約に成功したのでマルちゃんと旅に出たという話をしていると、メイドが湯気の立つコーヒーを運んでくれた。黒い液体が揺れて、香りがふわりと鼻をくすぐる。
良かった、ミルクと砂糖も付けてくれているよ。ドバっと入れちゃえ。
うん、これなら美味しく飲めるね!
「お母様、もうお父様が帰って来たの?」
少女の声がして、扉がキイッと開かれる。ごめんね、私達なんだ。
「違うわよ、お父様は夕方になるの。お客様が……」
夫人が立ち上がって、私達からその子を隠そうとしたような。
「きゃあっ!」
あの男の子のお姉さんかな。もう少し年上みたいだった。すぐに逃げちゃったんだけど、人見知りなの?
「……なるほど、薬を探していたのか」
小さな足が廊下をパタパタと走る音。
「……あの皮膚病の痕が原因で、この屋敷の者以外には会おうとしません。痕が残ってしまって……、あれでも薬で、薄くなってきているんです」
「女の顏だからな。ましてや貴族だ。ふうむ……、治す当てはあるんだな?」
顔に皮膚病の痕があるの! 見られたくなくて逃げちゃったんだ。
「それが、完全に治すのはアムリタ軟膏が必要だと言われています。この国ではほとんど作り手がおらず、手に入らないんです。手に入れたと思ったら、詐欺まがいな粗悪品で……」
病気につけこむなんて、最低! 貴族でも入手困難な薬だなんて。
「手に入れられるといいですね」
「……ソフィア。お前が持ってるじゃないか」
マルちゃんが何故か私のリュックを指した。そんな大層な薬、持ってたっけ?
「まさか……、お持ちでいらっしゃるの……?」
「ええと……?」
「アムリタ軟膏だ、アムリタ! モルドブ村で、ミクズ殿に頂いただろうが。白い容器に入った薬だ」
ああああ! そうだ、ティアマトと一緒にいた女の子に貰ったよ、そんな薬。マルちゃんは、よくすぐに思い出すね。すっかり忘れてた!
これで女の子の病の痕が消えるのね。リュックを開いて、薬を探した。薬類をまとめて入れてある布袋に、確かに白い容器がある。
これが夫人の求める薬、アムリタ軟膏なんだ!
「ああ……これが……、本物のアムリタ軟膏……!?」
「使ったことはないので、どのくらいの効果があるかは解らないんですけど……」
どんな薬でもダメだったのに、本当に治せるのかな。あんまり豪語してやっぱり治りませんだと、詐欺と一緒になっちゃいそう。
「お前、本人の前では言うなよ。薬の効能を疑うなんて、機嫌を損なうからな」
かなり腕のいい職人さんなのかしら。私からしたら、知らない人が作った薬でしかないからなあ。
「あ、あの……、おいくらほどで、譲って頂けますか……?」
夫人は恐る恐る尋ねてくる。ふっかけられると思っているんだろうか。
「ええと……」
こんな高価そうな薬の相場なんて、知らないよ。
「金などいらん。なあ、ソフィア」
「え? あ、うん。いらないですよ!」
マルちゃんが断っちゃった。ここで私が欲しいっていうのも、なんだかなあ。これはきっと、善行になるのね。善行を積むのが契約の条件だから、仕方ないか……。
「そんなわけには参りません。そうです、良いものがありますわ」
メイドを呼んで、アムリタ軟膏を渡して何か耳打ちしている。メイドは軟膏を手に小走りですぐ退室した。やった、何かくれるのかな?
「気にする必要はない、どうせ貰い物だ」
「あんな貴重な薬を、見返りもなく頂いたのですか?」
疑問も尤もだよね。気軽にくれたから、すごい薬に思えないもの。
「ソフィアの母親の関係者にな。同情したのだろう」
「まあ、お姉様の……。お姉様のお導きのようですね……」
マルちゃんの無難な説明に、夫人はやたら感動している。欲しかったというだけではないような。お母さんの関係っていうのが、嬉しいのかな。
「奥様、こちらで宜しいでしょうか」
少しして戻って来たメイドが、暗い緑色の四角いポーチを夫人に見せた。ちょっと大きめで、ベルトが付いている。男性用じゃないかな。
「ありがとう。そう、これよ。アイテムボックスの試作品」
「アイテムボックス!?」
たくさんのアイテムが収容できる、国に仕える偉い人とかが持ってるヤツ! 先生に聞いたことはあるけど、実物を見るのは初めて!
「ご存知みたいね。これはこの国の試作品で、夫である子爵が開発に携わっているの。お礼に差し上げますわ。ただそのリュックサック三つ分も入らないような、小さな容量なんですのよ」
「ありがとうございます、助かります!」
十分だよ~! 重い物も入れられるもの。重さも感じないんだよね、確か。
「一応この国を出るまでは、隠しておいてくださいね」
「はいっ」
私は喜んでそれを受け取った。薬の効果も試さずにくれちゃって、いいのかな。
「リュックサックに入れておけ、そうすればそこに仕舞うように見える。着替えや使う物はアイテムボックスに入れなければ、カモフラージュになる」
「なるほど、そうするね。薬の袋を入れてみようかな、意外と重いんだもん」
「いいんじゃないか」
薬の袋がスイッと収納される。これは便利! 予備の靴も入れちゃお。場所を取るからね。靴の方が大きいのに、難なく入っちゃった。
「お分かりかと思いますけど、生き物は入れてはいけませんよ」
「はーい」
いいものを貰った! 来て良かった。さてこれでお父さんのおうちに帰れる。
バイロンが待ってるね。
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