第70話 間違いは正さねばならない

 まさかのロンワン陛下が通信に出ちゃって、バイロンが人間の世界に来ていると知られてしまった。ここは、しらばっくれるしかない……!

 皆が騒然としていて、メイドは焦げた杖を片付けて素早く掃除を済ませた。

「お義母様、お怪我はございませんか」

「大丈夫よ、……何なのよ! いきなり!!」

 元気なのは義祖母だけ。ブツブツと文句を言いながら、執事の手を借りて一人掛けのソファーにドスンと腰掛けた。

「怪我がなかっただけ、良かったですよ。もう諦めがついたでしょう」

 魔導師と執事が隣に付いて、義祖母を宥めている。


「いいえ……この世界にいるんでしょう、それなら都合がいいじゃない。今度こそ龍を呼ぶのよ!」

 まだやる気なの? 懲りない人だなあ。

「母上、危険過ぎます。もうやめましょう」

「及び腰になるんじゃないわよ。お前は幾つになっても気弱なんだから! 名前は聞けなかったけど、通じたじゃないの。やりなさい、ソフィア!」

「通じたのは偶然です……」

 困ったな、命令されちゃったよ。まあ何度やっても失敗しかしないんだし、やってみてもいいけどね。


 仕方なくもう一度、今度は異界と繋げずに呼び掛けたけど、もちろん応答はない。

「……無理ですよ、大奥様。しかも通信に出た者は、呼び掛けようとしている龍より位が上のようでした。拗れさせてしまったのです、もう諦めるべきです」

 魔導師が進言するけど、義祖母は聞く耳を持たない。

「ようやく反応があったのよ、チャンスじゃない!」

「母上、これ以上はソフィアにも負担が大きいのでは」

 私を心配してくれて守るように間に立った伯爵に、義祖母は悔しそうに顔を歪ませた。


「お前は本当に意気地のない! そもそもお前が女なら、正当な後継ぎとして憂いもなかったものを。男に生まれた上に大した能力もなく、要領だって悪いんだから……っ! 龍さえ呼べれば栄華は思いのままよ。バカにした奴らを見返せるのよ!」

 どうやら私を庇ったのが、余計に逆鱗に触れちゃったみたい……。

「お義母様、どうか落ち着いて下さい。いったん休みましょう、それから……」

 仲裁に入って駆け寄った伯爵夫人を、義祖母は立ち上がって肩を押した。

「黙りなさい! 私がやれと言ったら、やればいいのよ! 誰も彼も、口答えばかりで役に立たない!!」

 ひどい癇癪だ。続けないと収まらないのかな。何度やったら諦めてくれるの。

 まさか、バイロンが来るまで……?


「母上……」

 伯爵の声が暗い。罵られたものね。

 彼はふらりと一歩進んで、短剣を取り出した。

 鞘を床に投げ捨てる。

「あなた、どうされたんですか……?」

「……やはり、私が生まれてきたのが間違いだったんだ……」

 心配する夫人の声も、届いていないような。

「あなた……」

 心ここにあらずという感じで、ゆらゆらと義祖母に向かって歩く。数歩の距離なのに、やけに長く感じた。


「間違いは正さねばならない」


「旦那様!?」

 使用人達が叫ぶ。メイドの悲鳴が重なった。

 次の瞬間には、持っていた短剣は義祖母の腹に刺さっていた。

 自分の母親を刺したの!?

「……お前……、なんで……」

 刺された義祖母は突然の凶行に、ガタガタと震えている。


「私が男に生まれたのが、間違いだった……。母上に認めてもらおうとどんなに努力をしても、尽くしても、女でない私は褒められたこともない……。私が悪いと思っていた……」

 虚ろな瞳で空に視線を留め、誰に聞かせるようでもなく喋っている。

「は、早く抜いて下さい、あなた……! お義母様が……」

「気付いたんだ……。なぜこんなに苦しいのか。間違っていたのは私じゃなく、私を男に産んだ母上だった。母を……消して、やり直さないといけない……!」


「伯爵様、大奥様が死んでしまいます! 護衛を呼べ、早く来い!」

 焦る魔導師。やり直すんだと繰り返す伯爵は、とても正気とは思えない。

 扉が開いて腰に剣を佩いた護衛が二人ほど姿を現したけど、足を踏み入れたところで、異様な状況に躊躇している。下手に近づいて、興奮させるのも危険だ。

 皆がどうしようも出来ずにいた。伯爵が短剣を抜いて再び手に力を込め、一気に緊張が走る。

「やめなさ、やめてぇ……っ、ひいいぃ!」

 義祖母は刺された部分を左手で押さえてもう片手をかざし、恐怖と痛みに怯えながら、固く目を閉じた。

 本当に死んじゃう……っ!


「お義母様、あなた……! 誰か止めてええ!!」

 伯爵夫人の悲痛な叫びが響く。短剣が義祖母を貫く前に、マルちゃんが後ろから伯爵を押さえて、義祖母から離させる。短剣が伯爵の手から床に落ちた。

「早く治療しろ、コイツは押さえておく!」

 腹部から血を流しながら、義祖母は小刻みに震えるだけで身動きも取れずにいた。

「あ……あぁ……っ」

「早く、ポーションを持ってこい。上級以上だ。タオルも、とりあえずそこらの布を集めろ!」

 魔導師が指示を飛ばし、執事は倒れそうな義祖母の体を支える。メイド達も慌ただしく動く中、伯爵夫人は立ち尽くしていた。


 伯爵の目には、まだ誰も映っていない。

 血塗られた手のひらを、義祖母に向かって伸ばす。

「……ダメだ、私は、私は産まれ直すんだ……。母上に認められるように……」

「アーホーか! その母を刺して、何が解決するんだ! そもそもいい加減、親離れしろ! お前には家族がいるだろうが。妻も子供もいるだろう、自分を支える人間や、頼りにしているヤツらをちゃんと見ろっ!」

 マルちゃんが押さえながら説教してる。

 魂の抜けたような伯爵の瞳から、涙が一筋流れた。


「あなた、私達にはあなたが必要なのです……。あなたが苦しむのなら、私がその荷を一緒に背負います。……私達は、夫婦なのですよ」

 泣きながら伯爵の手を両手で握る夫人。

「……私は、私……は……」

 動かなくなった伯爵をマルちゃんが離すと、それ以上は言葉にならいまま、その場に両ひざをついて崩れ落ちた。

「ちょっと婆さんと引き離しとけ。自殺にも気を付けろよ、やりかねん」

 義祖母を支えている執事に告げて、マルちゃんは私の隣に戻って来た。ただ涙を流す伯爵の肩を、夫人が包む。


 義祖母の腹に当てられた布が、真っ赤に染まっている。魔導師が回復魔法を唱えたのでポーションは必要ないみたいだったけど、念の為に上級ポーションを飲んでいた。

「血を多く失ったな……、薬草魔術に精通している者を呼びましょう。ポーションでは限界がある。増血や、滋養強壮にいい薬を作ってもらった方がいい」

 指示を受けて、執事がすぐに護衛の人と相談している。

 さすがにお抱えの魔導師はいるし、治療は問題ないみたい。


「もう用は済んだろう。出立するか」

 夕方になっちゃうけど、ここにいるのも気まずいよねえ。

「……そうだね、お邪魔になっちゃうし」

「お、お待ちを」

 護衛と話し終わった執事が、慌てて引き止めてきた。

「解ってる、いちいち言いふらしたりはしない」

「本当に……、お願いします。我が国では、親殺しは大罪なのです。もし刺したことが外に漏れたら、伯爵位を召し上げられるかも知れません……っ」

 そんな大事になっちゃうの!? 執事はそれこそマルちゃんにすがるようだ。

「……ソフィアの家に手出しをしない、それと口止め料でも貰おうか」

 あ、マルちゃんが悪い顔をしているよ。徳を積むのはやめたんですか~!

「もちろんです、少々お待ちください」


 義祖母はさすがにショックもあって足取りもおぼつかないので、男性の使用人に支えられて自室へ戻った。しばらくは養生しないとね。

 伯爵夫妻も、他の部屋へ移る。念の為に護衛がついて。

 あまりにも騒がしくて様子を見に来てしまった二人の幼い女の子は、メイド達が現場を目にしないよう部屋の前で引き返らせている。

 床の血は拭き取り終わったものの、メイドが血まみれのタオルを抱えている。子供には衝撃的過ぎるよ。数人がモップを手にやって来た。掃除の邪魔になるし、私達も部屋を出る。ひとまず約束だった、お母さんの部屋に連れて行ってもらった。


 タンスは空っぽで、棚には何冊かの本が残っているだけ。引き出しを開けてみたけど、あまり何も残っていない。あの義祖母だもの、きっと捨てさせたりしちゃったのね。窓から覗くのは、庭のバラ園。バラのアーチの向こうに、噴水がある。

 お母さんもここから噴水を眺めたのかな。部屋の端にある窓の前に椅子を持って行って、外に向かって座った。こっちからだと、通用門と遠くにある低い山が青く見えるよ。

 遠くを虹色の綺麗な鳥が飛んで行った。

「すごいことになっちゃったね……」

「精神が限界だったんだろうな。かなり不安定になっているのに、罵るバカがいた」

 マルちゃん、あの現場を目撃したのに容赦がないね。家族って羨ましかったけど、いればいいわけじゃないんだなあ。


 とんでもないことになったけど、皆が無事で良かった。

 伯爵も元気になってくれるといいな。

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