貧富逆転風雲児

木村文彦

第1話

 物音がして、時谷楽才は目を覚ました。

 四畳半の布団に寝転がっている――小さな窓から見える景色はまだまだ暗く朝が始まった気配はしない。


 それにしても今の物音は何だったのだろうか?

 楽才は疑問を抱きながらも再び眠りの世界に入り込んでいった。


 大学生は人生の楽園だ、と誰かが言っていた。

 楽才もそれを信じて疑わなかった。ブレザーを羽織って私立高校に通っていた頃が懐かしい。



 かつて、実家は裕福だった。

 中学から私立校に通い、学友にも恵まれた。勉強が身の回りにある環境だったからかもしれない。自然と机に座る習慣がついていた。みるみるうちに学力は伸びていき、全国でも上位で収めるほどに実力をつけた。



 父は社長、母は専業主婦だった。

 妹も5歳下で兄想いだと思う。絵に描いたような幸せな家族だった。



 そんな幸せが当たり前だと思っていたある日ーー突如として一家に亀裂が入った。

それは普段見えていないはずの建物の風化が急に具現化し、瞬く間に住処が錆び付いていく恐怖に似ていた。内側から蝕んでくる脅威は心の柔らかい所に深く刻み込まれていった。



「どういうことだよ、父さん!」

 楽才は叫んでいた。母は唇を噛み締めながら下を向いている。妹は泣きじゃくったまま机から離れない。地獄絵図だ。

「よく聞いてくれ。会社の業績が傾いたんだ。もしかしたら倒産するかもしれない」

 父は吐き出すようにして一家全員に告げた。遠回しな言い方はこちらを気遣ってのものだろう。一家が離散寸前にまで追い込まれているのだ、と楽才はまるで他人事のように感じた。現実味が体内に染みこんでこない。



「俺は大学生になれないのか?」ふと疑問が溢れた。

  それはなれる、と父は薄い笑みを漏らした。殺意が沸いた。

その時、楽才は初めて奨学金制度を知った。父の元には楽才が残り、妹の凛は母と供に家を出て行った。


 



悔しさを勉学にぶつけた。芯が何度も折れる程に力がこもっていた。


 合格しなければ人生が終わる――最難関の大学に滑り込めたのは執念が勝ったからだろう。




 それから一人暮らしを始めた。仕送りなどない。

 早朝から新聞配達を行い、昼間は勉学に励み、夜間はレストランの店員をした。必死だった。


 たまに実家に帰るのだが日に日に家は小さく、また汚くなっていった。住所もだんだん辺鄙な区域になっていのはたまに来る手紙からも分かっていた。

それでも現実を突きつけられるのは実家に帰った時だった。父はいつも笑顔で迎えてくれるが、明らかに痩せてきている。事業が好転している気配はまるでない。




  楽才は再び物音に、目を覚ました。外はまだ暗いがそろそろ新聞配達へ行く準備をしなければならない。


 冷えてきた季節に早朝から出るのは億劫だが、なんとか掛け布団を身体から剝ぎ取り電気を点けた。



 その時だった。冷蔵庫から物音を発している事に気づいたのだ。それは先程から何度か聴いた音と同様のものだった。背筋から嫌な汗が流れる。


 慌てて玄関近くに置かれている冷蔵庫を凝視した。泥棒かもしれない。ひょっしたら空き巣を狙うために忍び込んだのか? 迂闊な行動をしてはいけない。じっと身をかがませるようにして息を潜める。


すると彼の膝下くらいの背丈しかない何かが見えた。動物だろうか?

段々と近づいてくる。今までの人生で見たことがない類いの何かが、だ。

人間? 小人? 分からない。


「何だお前は?」

楽才の問いかけに小さな生命体は振り向いた。こちらを見る。

そして優しく笑った。

「君を助けに来たんだよ」

とても可愛らしい声だった。

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