百年のお暇。

りんたろう

第一章

「ご主人様、社長就任四周年祝賀会、お疲れ様でした」

 主人にソフトドリンクと、小さな包みを差し出す。

「これは?」

 ネクタイを緩めながら私の主人は包みを開く。中から、タブレットペンより少し太い棒と、小さなボトルが取り出される。

「万年筆、と申します。旧式の筆記具で、キャップを開けますと古式紙にインクを用いて筆記できます。キャップを閉じたまま、電子紙にもお使いいただけます。火星開拓時代のアンティークですが状態も良く、今後百年はご使用いただけるかと」

 主人の表情から喜びを検知。少し古典趣味の主人にも気に入っていただけたようだ。

「ありがとう。名前も彫ってある、これはロキシーが?」

 目を細めて私の名を呼ぶ。

「僭越ながら」

 私は完璧にプログラムされた動作で跪く。メイド服の裾の位置まで演算済みだ。

 電子音と共に私の視界の隅に『着信;ウィリアム副社長』と表示された。

「ワン副社長から着信です」

「繋いでくれ」

 回線を主人と共有状態にする。

『カズヒロ社長、祝賀会お疲れ様でした』

 中年の男性の声が回線に広がる。

「ああ、ウィリアムもお疲れ様。スピーチ、見事だったよ」

 主人は机に浅く腰掛けながら応じる。

『役員会の面々も喜んでおりました。コレクションルームの前に贈呈された品々を置いてありますので、後ほど』

「ああ、ありがとう、すぐに向かうよ」

 主人は私についてくるよう目配せすると、胸ポケットに万年筆を差して扉に向かった。


すれ違う重役に祝いの言葉を貰いながら主人はコレクションルームに向かう。若さに驕りを持たない堂々とした態度は、十六歳にして立派なトップとしての風格を伺わせる。

コレクションルームの扉の脇の荷置き場にはたくさんの箱が積み上げられていた。

「ロキシー、念のため危険物だけ確かめてから中に」

 こういった油断の無さもしっかりとしたものだ。微量のX線で中身を検分する。

「社長、お待ちしておりました」

 長めのオールバックに、どっしりとしたあごひげ。月で若い頃を過ごした彼はその影響か、身長が二メートルはある。スーツ越しにも分かる肩幅と筋肉は彼の趣味が筋力トレーニングだと物語る。

「待たせたかい?」

「いえ、私も今しがた」

 柔らかな微笑で主人を迎える。

「ロキシーにプレゼントを入れさせる、ウィリアムも中に」

「では、失礼します」

 私は荷置き場のパレットごと全てのプレゼントを抱えてコレクションルームに入る。前方が荷物で見えなくとも、超音波ソナーで視界を補う。一切の問題はない。

 コレクションルームの中は床も壁も木の板張りでカーペットに全木製の椅子、培養牛革張りのソファ、火星ガラスのランプと、主人が言うには「西部風」の作りだ。天井や窓の景色は火星のコロニー郡を透過したリアルタイムホログラフィックで開放的に仕上げられている。

「グラスを三人分、氷もな」

 私に命じてから主人はデスクの引き出しからオールスタイルウィスキーの瓶を取り出した。祝賀会ではラベルを取り替えさせたソフトドリンクを飲んでいらしたが、十六歳の成人以来、お酒の類に随分と凝っている。

「乾杯だ、四周年に!」

「「四周年に」」

 私もグラスに口をつける。問題ない、全て予備冷却水タンクへ迂回させ、後で排出する。アルコール摂取プログラムを起動させ、私も『酔う』。三人でソファに腰掛け、ウィスキーを嗜む。

 主人と副社長は株価や業績について話し込み、盛り上がっている。少々の不安も両者から検知できるが、仕事の話のときはいつもそうだ。酔っているときでさえ不安を覚えることは二人の真剣さの表れでもあるだろう。

「そうだロキシー、三人で写真を」

 主人の呼びかけに、窓をモニターに変え三人でその前に立つ。

「ロキシーが真ん中に」

 意外な言葉に私は驚く。

「いえ、ご主人様が」

 そう言っても、主人は譲らなかった。

「いいから」

 そして三人で並び、写真を撮影した。すぐにデスクの上の写真立てにその画像が表示される。そこに写るメイド服を着たアンドロイドの表情から、困惑と、緊張、そして少し多めの喜びが検知された。主人は写真立てに、『四周年を記念して。ロキシー、ウィリアムと。2142.8.29』と、先ほど差し上げた万年筆を閉じたまま書き込んでいた。

 主人に大切にされていることに、誇りを覚えた。

 「ロキシー、君には色々世話になったね、父から命の次に貰ったのは君だった。父も母も忙しくして、世話は君にまかせっきりだった」

 主人は映像の空を見上げながら思い出話を始めた。彼の言うとおり、私は当時の最新型学習式多目的ヒューマノイドの最上位モデルで、主人の夜鳴き、ミルク、おむつ替えまで世話した。一大企業の御曹司という環境の中、あらゆる教育を施したのも私だ。

「もし、私の人生が誰によって作られたかグラフに変わるなら、八割はロキシーだろうなぁ。残りはウィリアムと父さんだ」

「いえ、ご主人様の人生は、ご主人様の手によって作られたのです。私の厳しい教育にも、きちんと応えた、あなた様自身の力です」

 謙遜もあるが、本当の話だ。私の主人は言葉を覚えたときから常に私が「教育」してきた。彼が両親を亡くしたときからはウィリアム副社長と共に彼をお飾りに収まらない人物として鍛え上げてきた。事実、私の主人は三倍以上も年齢の離れた役員たちと対等に渡り合う大人物だ。

「両親が亡くなったと知らせてくれたとき、真っ先にロキシーが慌てだして、そのあとウィリアムから聞いたんだっけか。本当に……」

 主人が言葉を詰まらせる。ウィリアム副社長、いや、ウィリアム氏が声を掛ける。

「カズヒロ様、ご両親のことは大変不幸な出来事でした。本当に、ご立派になられて、お二人もきっと誇りに思ってらっしゃいます」

 ウィリアム氏は俯いた。あの日の出来事を、氏は決して『事故』とは主人の前で口にしない。私もそうだ。

「ウィリアム、ロキシー、二人のおかげでここまで来れた。二人のおかげで私は……僕は社長になれた、本当の意味でね」

 この場所だけ、四年前のあの日に戻ったようにしんとしていた。私は、先代からの遺言を果たせているだろうか。カズヒロ様を立派な社長に、立派なヒトにしてみせよという遺言を。いや、カズヒロ様は既に立派に社長を務め、人望も厚い。

 私は、時間を現実の座標に引き戻す。

「本当に、ご立派になられました。私達にとっても、カズヒロ様は誇りであり、大切なヒトです」

 ウィリアム氏も肯定する。

「ええ、カズヒロ様は本当にすばらしい成長を遂げられました」

「二人とも、ありがとう」

 そうしてカズヒロ様はグラスの中身を飲み干し、

「しんみりした時間は終わりだ、プレゼントを開けよう! ロキシー、中身は言うなよ?」

 ソファから立ち上がり、プレゼントの山に向かう。

「もちろんですとも」

 うやうやしく頭を下げる。

「この一番大きいのから開けよう、ウィリアムからか」

 主人の表情からより一層の期待を検知。

 包みを豪快に開ける様はまだまだ十六歳の仕草だ。

「何だこれは……生き物の頭蓋骨か……? 大きいな。ウィリアム、これは?」

 中から長い角が二本生えた動物の頭蓋骨があらわになる。

「バイソン、という草食動物の頭蓋骨です。少々苦心いたしましたが、なんとか本物を手に入れました。地球産のものです。このお部屋にぴったりかと。当時酒場に飾られたこともあるとか」

 ウィリアム副社長が誇らしげに応える。

「ああ、映画で見たことがある。最高にかっこいいな、ロキシー、後で壁にかけてもらえるか?」

 私の方を振り返る。

「すぐにでも」

 私も立ち上がり、壁の適当な位置を見定める。

「こっちはネクタイに……カフスボタン。おいウィリアム、ジャパニーズサケだ! 今度開けよう」

 三人で贈呈品に会話を弾ませながら、ウィスキーを注ぎあった。こんなに自然に笑い合えたのは、もう千五百日以上ぶりだ。

 全てのプレゼントについて語り終える頃には、私以外の二人は眠りについていた。

「副社長、副社長。起き上がれますか?」

 ウィリアム副社長を起こす。

「あ、ああ……今何時だ?」

 肩を貸し、部屋の外まで連れ出す。

「夜時間の二時です、明日は休暇ですから、ごゆっくりお休み下さい」

彼は酔いつぶれても自室に戻るヒトだ。でなければ今頃生きては居ないだろう。副社長の座でさえ狙うヒトは多い、彼はいつだって懐に拳銃を入れている。主人はそういった類のものは一切持ち歩かないが、私が居る、私が彼の護身具だ。

 振り返って、部屋からグラスや包装紙を部屋の外の荷置き場に集め、分類を配送システムに指示しておく。

 カズヒロ様は寝息を立てて椅子にかけたまま舟をこいでいる。舟なんて、私はデータでしか知らないけれど。

 主人を起こさぬよう、膝と背中に腕を回し、抱き上げる。私の主人は、生まれた日に抱きかかえられた時と同じように軽やかに私の腕の中に納まる。体は大きくなっても、私は主人をあの日からずっとこの腕で守っている。揺らさぬよう、ゆっくりと私室まで抱えてゆく。スーツとシャツ、スラックスを脱がせ、主人のベッドにその体を横たえる。勝手に下着を変えぬよう命じられたのはおよそ二千二百日前からだ。布団を掛け、私はメイド服のポケットからコードを引き出し、壁のプラグ口に繋ぐ。照明を落とし、私は赤外線で主人の寝顔を見る。ドア近くの壁際に立ったまま。

 少し布の擦れる音がして、温度だけを感じる部屋にカズヒロ様の声が聞こえた。

「ロキシー……行かないでくれ、ロキシー……」

 コードを滑らかに床に這わせながら近づき、頬を撫でる。

「どこへも行きません、私はずっとあなたのそばに居ります。ロキシーはそのために生まれたのです」

 最小音量で発話した。いや、ささやいた。ベッドのそばでじっと立ちながら、その夜はカズヒロ様の事を、見つめ続けた。


「カズヒロ様、もう起きられますか? 本日は休暇ですから、もう少しごゆっくりなさっても」

 主人は目をこすりながら起き上がる。

「ご気分はいかがですか? 少し浮かない様子ですが」

 やや強い不安を動作から検知する。

「いや、朝食を。その前にお湯を浴びておくよ。服は、自分で選ぶから、大丈夫だ」

 声が徐々にはっきりしてくる。本日は映画か、読書にでも興じられるのだろう。

「かしこまりました」

主人は休暇の朝は少し脂肪分の多いメニューを好まれる。栄養の偏りを防ぐためビタミン剤を数種類揃えるよう厨房に指示を送る。シャワーを浴びる音が微かに聞こえる。その音の不規則な波を観測しながら、食事を仕上げる時間を計る。

いつもより少し長くお湯にあたられているようだ。やはり何か思わしくない可能性を予測する。

水音が止まり、ドライヤーやクローゼットの開閉の作動を確認しながら精神状態を見定める。やはり何か様子に変化があるようだ。昨日の祝賀会に何か思い当たる可能性がある。他の可能性についても、できる限り候補を挙げる。しかし基本は直接の会話と、観測だ。

朝食を載せた配膳台が移動してくる。コントロール権を委譲させ、ドアをノックする。

「朝食の準備が整いました、失礼してもよろしいでしょうか」

 準備が済んでいる事は承知している。

「ああ、構わないよ」

 主人はいつもの休暇よりフォーマルさの強い、ボタンダウンのシャツを着ていた。

「本日はどなたかとお約束でも?」

 私が知らぬ約束をお持ちの事などほとんどないはずだ。

「ああ、ウィリアムと少し。ロキシーはここで待機してくれればいいよ」

 男性同士、何かあるのだろうか。ウィリアム氏が同席しているなら安全に支障は無いと計算するが。

「かしこまりました。座標だけ追跡しても構いませんね?」

 ホットサンドを頬張りながら、主人は頷いた。主人が私に隠したいことがあるなら、それもまたヒトらしさだ。

 表情からやはり不安、緊張を検知するが脈拍、体温共に正常だ。乱れたベッドを直し、整えると、私は主人の斜め後ろで待機する。食欲も十分だ。

 主人は食事を終え、身支度を済ませると、アメリカンスタイルのジャケットを羽織り、ウィリアム氏との『約束』に向かわれた。

 私は主人の座標をモニターしつつ、部屋の清掃を行う。シーツの交換、浴室の乾燥、埃の清掃を済ませる。本来専用のアンドロイドに行わせても構わない仕事だが、主人の思考、感情を読み取る為に、重要な作業だ。

 カズヒロ様はウィリアム氏と共に法務部門や人事部門、購買部などで、電子承諾ではなく書面承諾で用事を済ませているようだ。ログを確認すればいいことだが、無粋な真似はしない。                

主人は私に隠し事をしたいのだから、それを尊重するのもまたメイドアンドロイドとしての心得だ。もしポルノ雑誌を購入したとしても、その事を使用人に知られたい者など居まい。

 唯一、電子承認が行われたのは、昼食での支払いだ、生体情報承諾ではなく、わざわざサイン承諾を選択している。プレゼントがお気に召していただけた証だ。その承諾データの筆跡のログをコピーして内部メモリーに保存する。承諾に使いさえしなければ、違法にはならない。自分への、秘密のプレゼントだ。

 主人から通信が入ったのは昼時間の三時だった。

「ロキシー、空港のカフェまで来られるか? 一緒にお茶にしよう」

「すぐに向かいます」

 その通信が終わるや否や、私は駆け出した。大腿部の付け根からアームを少し展開し、メイド服の裾を内側から数センチ持ち上げると、全速力でコロニードームの通路を移動する。超音波ソナーで経路上の全ての障害物、通行人、移動するアンドロイドを避けながら脚部の駆動を全開まで引き上げて走る。二キロほどの移動を階段を含めて一分半足らずで移動した。上々のタイムだ。

「お待たせしました」

 メイド服をしっかりと整え、腰のリボンも結びなおしてから入店する。ソーラーファイバー製の髪にも乱れは無い。

 ガラスドームに囲まれたテラス席から主人はこちらに手を振った。ウィリアム氏も一緒だ。

 よどみの無い動作で向かい、

「座って」

 と促されるままに、席に着く。

 火星の赤い砂漠に、朝日が差し始めていた。火星時間では、夜明けだ。

「ロキシー、大事な話があるんだ」

 ティーカップとポットが運ばれてくる。配膳台は無人で自走し、ロボットアームで三人分のダージリンを注いだ。

 皆でダージリンを一口味わう。その間にも私はあらゆる『大事な話』について予測を立てていた。

 会社についてだろうか、親しいものの死?

 少しの沈黙の後、主人は口を開いた。

「ロキシー、君に今から休暇を取らせる。その間、火星への立ち入りは禁止だ」

 ティーカップを持つ手が止まる。じっと、主人の言葉の続きを待つ。

「期間は、百年だ」

 百年。あまりに長い時間だ。

「ロキシー、カズヒロ様は君を捨てるわけじゃない、あくまで休暇を取らせるだけだ。君の事を一番に考えてのことだ。カズヒロ様は、君の事を一番に考えている、いつだってね」

 ウィリアム氏はリラックスした中に堅さを秘めた表情で私に語りかけた。

「これは餞別だ」

カズヒロ様は椅子の下から木箱をテーブルに置いた。そのまま蓋を開けた。中には回転式の古めかしい拳銃が入っていた。

シングル・アクション・アーミー。通称は平和の使者、『ピースメーカー』。この時代遅れで、象徴的な拳銃。護身、の願いだろう。

「……かしこまりました」

 火星へ立ち入り禁止? 百年も? その間のカズヒロ様は? 私は何をすれば良い?

 無限に沸く質問を、何一つ口に出せなかった。

「さぁ、行こう」

 カズヒロ様は、まだ半分ほどダージリンを残したまま立ち上がった。木箱を脇に抱え、歩き出す。

「これを、ロキシー」

 ウィリアム氏が革張りのトランクを差し出す。

「必要なもの一式だ。どうか無事で」

 飛行場まで、カズヒロ様の後ろをついてゆく。

 ウィリアム氏は、そのままカフェに残った。

「ロキシー」「今までありがとう」「母親代わりで、最も身近な人だ」「でも僕は親離れをしてもいい時期だ」「これから会社を動かしていく中で、君が狙われるかもしれない」「僕は、それが怖い」「必ず生きて帰るんだ」「これは命令じゃない、お願いだ」「ロキシー」

 一人乗りの準光速船の前で、カズヒロ様は振り返る。目には涙が一杯に溜まっていた。

 木箱の底板を開け、白染めの革製の腰巻ホルスターを私に巻く。最後にピースメーカーを差した。

「ロキシー、愛してる」

 カズヒロ様に抱きしめられる。

「私もです」

 空いた右腕で、そっと抱きしめ返す。

 互いに腕をそっと離すと、私は踵を返してコックピットに乗り込んだ。

 私の目からは、何一つ零れ落ちなかった。それが何より悲しかった。

 宇宙船は、自動操縦で離陸する。そのまま一気に加速し、火星の大気を突き抜けた。振り返った頃には、私がどんなに倍率を上げても、主人の姿は見えなかった。

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