第二十一話 鳥たちが騒ぎ、狼面の者たちと、神輿が現れ、姫神様が姿を見せる。
八月六日。
朝ご飯を食べて、しばらくのんびりと過ごしたあと、あたしは黒いリュックサックを背負い、琴おばあちゃんの家を出た。
伯父さんも伯母さんも、車に乗って仕事に出かけたので、フェリー乗り場までは、歩くかバスしかない。
お金は持ってきたけど、バスの気分じゃないので、歩くのだ。
セミたちの大合唱を聞きながら、歩道をてくてく歩いていると、急に、辺りが騒がしくなった。
あたしは足を止め、空をあおぐ。
よく晴れた青い空。
遠くから、黒い点々がいっぱい、いや、黒だけじゃない。いろいろな色がある。あれは鳥の群れだ。たぶん。
ギャーギャー、騒いでる。
この島にカラスはいない。だから、カラス以外の鳥だろう。
晴れた空に、点がいっぱいで、気持ち悪い。あまり見たくないのに、目が離せない。胸騒ぎがする。
鳥たちが、群れの形を変えながらやってくる。近くで見ても、鳥に見える。だから鳥だ。
いろいろな声で鳴いている。というよりも、人間の言葉で叫んでいるのもいて、驚いた。
ここから見ただけでは違いなんてわからないけど、あやかしもいるのだろう。鳥の姿の。
何処かからきた鳥の大群に、外からきた鳥たちが寄っていき、増えていく。
たくさんの声があって、どの鳥の声なのかはわからないけど、「タイヘンダ!」とか、「コワイ! コワイヨ!」とか、「ハヤク、ヒメサマニ!」とか言っているのが、理解できた。
身体がゾワゾワする。嫌な感じだ。ものすごく、嫌な感じ。
カラスのいないこの島で、こんなにも、鳥たちが騒ぐことなんて、今までなかった。
あたしはここにずっといるわけじゃないし、夏休みのこの時期ぐらいしか知らないけど、それでも、今が、異常というのはわかる。
周りを見れば、島の人たちだって、車を停められるところに停めて、窓を開けて空を見上げているし、自転車の人も、自転車をこぐのをやめて、空を気にしている。
どうしよう。いや、あたしには、どうすることもできない。
っていうか、姫乃のことを忘れてた。
行かなきゃ。フェリーがこの島に、向かっているはずだから。
――あっ。
動き出そうとして、固まった。
もしかすると、ハリネズミのトゲッシュハリーが原因かもしれない。
そんなことをふと思う。
この島の鳥のあやかしたちは、ハリネズミを知っているのだろうか?
鳥は、鳥頭って言葉があるくらい、バカなイメージがあるけど、本当は、そこまでバカじゃないはずだ。お姉ちゃんになついている紅い小鳥のあやかし――ルーぐらいしか、知ってる鳥はいないけど。
テレビで見る小鳥とか、カラスとか、賢いみたいだし。
とか考えてる場合じゃない。鳥たちに話しかければ、今以上の騒ぎになりそうだから嫌だし、彼らが姫神様に頼るのなら、彼女がきっとどうにかしてくれるだろう。
早く、フェリー乗り場に行かないと。
そう思い、あたしは走った。
♢♢
フェリー乗り場に到着すると、たくさんの鳥が空にいるせいか、大騒ぎになっていた。鳥のあやかしの声が聞こえる人が、何か、恐ろしい存在が島に向かってきてるかもしれないって言ったらしく、フェリー乗り場にいる人たちの顔色が悪いし、みんな、不安ばかりを口にする。
あたしもソワソワとして落ち着かないんだけど、歩き回ってもしょうがないし、走ったせいか、汗がすごいし、疲れたので、麦茶を入れて持ってきたペットボトルのキャップを開けて、ぬるい麦茶をゴクゴク飲んだ。
やがて、フェリーが見えた。白い、フェリーだと思うんだけど、鳥たちが群がっている。
普通の鳥なら、ドアや窓があれば入らないだろうけど、あやかしだと入るから、もしかすると中の人はパニックになってるかもしれない。
ズボンのポケットにあるスマホを取り出し、確認したけど、姫乃からの連絡はなかった。
トゲッシュハリーがいないなんてことはないだろうから、戦いになっている可能性が高い。そうなっていた場合、あたしに連絡する余裕はないだろう。
待とう。待つしかない。
じっと、フェリーを見つめながら待つ。
フェリーが無事に到着してからも、鳥たちや人間たちが大騒ぎだったけど、なんとかあたしは、フェリーから出てきた姫乃と合流した。
あたしたちから距離を置いて、たくさんの鳥が空を舞う。バサバサと音がしたり、大きな声で鳴いたり、「コワイ! コワイヨ!」って、怖がったりしてるけど、攻撃はしてこない。
「フッフッフッフッフッフッ」
「やっと着いたー! かざっち、ひさしぶり! すごい騒ぎだねっ!」
後ろに大きなリボンがついた麦わら帽子をかぶり、淡いピンク色のワンピースを着て、足にはサンダルを履き、肩には威嚇中のハリネズミ――トゲッシュハリーを乗せた姫乃が、ニコニコ笑う。
彼女の髪型は、今日もポニーテールだ。
フェリーから出てくる時に、麦わら帽子の後ろから、髪の毛が出ていた。
今日はめずらしく、アクセサリーを身につけている。胸元に、ハート型のネックレス。
姫乃の手には、ピンク色のトランクキャリー。
「フッフッフッフッフッフッ」
「すごい騒ぎって……確かにすごい騒ぎだけど、原因わかってる!?」
周りが騒がしいので、あたしは大きな声で言う。すると、姫乃はコクリと頷いた。
「うん! わかってるよ! トゲッシュハリーにびっくりしてるんだよね! 窓があるのにさ! いきなり外から突進してくる鳥がいたんだっ! そうしたらこの子が、針を飛ばして戦い始めたから、外にいた鳥たちがパニックになっちゃったんだっ! この子にはね、針を飛ばすのは危ないから、ダメって怒ったんだよ! そうしたら、攻撃するのはやめたんだけど……」
姫乃はそう言って、空中にいる鳥たちに視線を向けた。
「フッフッフッフッフッフッ」
「ここにいても迷惑だから、人がいないところに行くよ!」
あたしが大きな声で言って、歩き出すと、「あっ! 待ってよー!」と姫乃が叫び、ピンク色のトランクキャリーをコロコロさせながらついてきた。
「フッフッフッフッフッフッ」
あたしたちはフェリー乗り場を離れて、なるべく人がいなさそうな道を選び、早足で進んだ。
向かうのは人魚の浜。あそこには、人がいないことがほとんどだからだ。
警戒しているのか、鳥以外の動物や、あやかしが出てこない。
誰も攻撃してこないんだけど、怖いのか、初めての場所で、姫乃を守らなきゃって思っているのか、トゲッシュハリーの威嚇が止まらない。
セミの声はもちろん、周りにいる鳥たちの声と、羽音がものすごくうるさいので、トゲッシュハリーの威嚇なんて、どうでもよくなっていた。
そんな時だった。
――リィン。
と、音が響いた。
心が浄化されるようなその音色が、辺りに響き渡ったと思ったら、突然、静けさに包まれた。涼しい。空気が違う。
まるで、狐につままれたようだ。
鳥の声がしない。セミの声までしないなんて、おかし過ぎる。
トゲッシュハリーの威嚇も聞こえない。
ものすごく不気味なのに、あたしの後ろにいるはずの姫乃を見ることが、できなかった。
首が、肩が、動かない。ふり返ることができない。足も、固まっている。歯だけが動く。勝手に。ガチガチガチガチと。恐怖か。恐怖なのだろう。
何処からか、真っ白な霧が現れて、あっという間に、囲まれた。
♢♢
――リィン。
ふっと、目を開けた。目を閉じた記憶はない。
もしかして、気を失っていた?
立ったまま?
ありえない。
目の前に広がるのは、森。
ここは……?
「……かざっち」
ポツンと、後ろの方から、声がした。
弱々しいが、姫乃の声だ。
ドキドキしながらふり向けば、不安げな表情の姫乃がいた。
さっきと同じ麦わら帽子と、ワンピース。肩には、ハリネズミのトゲッシュハリー。
トゲッシュハリーが静かだ。くりくりとした目。ちゃんと起きてる。いつも通り。
緊張しながら、あたしはゆっくりと、視線を動かす。
姫乃のそばに、ピンク色のトランクキャリーが、ちゃんとあった。
「……ねえ、かざっち。ここ、どこ?」
「――森?」
そう言って、首を傾げて、考える。
ここは何処の森だろう?
周りを見るけど、建物がない。川もない。セミの声がしない。鳥の声も。
虫や動物がいない?
急に、ものすごく不安になった。両手を見ると、震えている。
「……ここは、何処?」
声を出す。そうすることで、生きていると感じた。あたしの声だ。あたしの。
生きてる。ちゃんと、ここにいる。
震える腕で、同じく震えている腕を触る。冷たい。
風を感じない。ここは、とても、ひんやりとしてる。おかしい、おかしい、おかしい。匂いもしない。
空を、あおぐ。
薄い、青――。
違う。夏じゃない。夏の空はもっと濃い。島で見た空と違う。ここは島じゃない。
あたしは、震える両手を、ゆっくりと、胸に、当てた。
両目を閉じて、深呼吸をする。
おかしい、これは、神の
あたしはゆっくりと、両目を開けて、何もない場所に向かって、「ムイ様」と呼ぶ。
すると、離れた場所に、
彼らが姿を見せた瞬間に空気が変わった。強い気が、この場を支配しているようだ。身体が痛い。雪の中をたくさん歩いた時みたいに。
「降りるのじゃ」
女性の声。その声を聞き、そっと神輿から離れて、ひざをつき、こうべをたれる狼面の者たち。
シャランと、鈴のような音が聞こえたと思ったら、神輿から、銀色の長い髪の女性が姿を見せた。
――ムイ様だ!
蝶柄の着物姿。腰まである銀色の長い髪。頭には白い狼耳と、金色の髪飾り。フサフサとした大きな尻尾も、真っ白だ。
肌は白磁のよう。瞳はハチミツ色に輝いている。鼻は高く、唇は桜色。
この島で、姫神様と呼ばれているが、本当の名前はムイというらしい。
ただ、その名前を口にすると、ムイ様の話をしているとバレてしまい、こっちにやってくる可能性があるので、彼女がいないところでは、姫神様と呼ぶようにしてる。
会ってしまえば、もう、どうでもよくなるんだけど、できれば、会いたくなかったのが本音だ。めんどくさい。
ムイ様は、静々とこちらにきて、獲物を見つけたかのように、ニタァと笑った。
「ひさしぶりじゃのぉ。
「そうですね」
「ワラワの島にきたというのに、挨拶もせず、人魚たちと遊んでおったそうじゃのぉ」
「そうですね」
「風音は今年、十六か。どうしてこんな、ツンデレ少女に育ったのか、謎じゃのぉ」
「そうです……いや、あたし、デレたりしませんから」
「そうかの? フォッフォッフォッ」
その笑い、意味不明。
「――して、今日は友だちがきたのかの?」
それが本題か。
「はい、高校の友だちの姫乃と、彼女になついているハリネズミです」
「ほお、ハリネズミか」
「知ってるんですか?」
「長く生きておるからの。フォッフォッフォッ」
「そうですか。あの、もしかして、視てました?」
「うむ」
大きく頷くムイ様。
「わかってたなら、鳥たちに説明してくれたらいいのに……」
「したぞ。さっき、直接頭の中に、ハリネズミの情報を送り込んだからの。そのハリネズミにも、鳥がいきなり攻撃してすまなかったと伝えておいたぞ」
真顔で告げるムイ様。
「そうですか……」
呟くあたしをスルーして、ムイ様は静々と進み、姫乃の前に立つ。
「オヌシが姫乃か。面白い名じゃの」
すぐそばで、ニヤリと笑うムイ様を見て、姫乃は顔を赤くした。
「あっ、あのっ、姫神様ですかっ!?」
大声で訊ねる姫乃。
「そっ、そうじゃが、いきなりどうしたのじゃ?」
「あっ、あのっ、貴女様の絵、ネットで見ました! この姿も美しいのですが、ぜひっ、狼の姿の貴女様も見たいのですっ!」
「……あっ、ああ、いいぞ」
若干引き気味で答えたあと、狼の姿になるムイ様。
そんなムイ様に対して、触っていいですかと訊いたり、乗りたいですと言う、姫乃。
「……別にかまわぬが……」
と呟き、雪のように白い狼の姿で伏せをするムイ様を、嬉しそうな顔でわしゃわしゃする姫乃。
そんな姫乃とムイ様を見たあたしは、姫乃が前、ミケに、『猫の姿になれる?』って訊ねて、猫になったミケを触りまくっていたことを思い出した。
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