第2話

 賢吾は、普通に笑顔を作り、二つのグラスに氷を入れ、水を注いで二人に出した。

「どお? 元気?」マキが言った。賢吾を見る目がどこか挑戦的だった。

 賢吾は無言で笑い、新しい布巾でカウンターの水滴を拭き取りながら、隣の瞳を見た。

 目が合うと、彼女は下を向いた。

 この女だ……賢吾は思い出した。黒オリーブの瞳。うつむいた時に見せる長い睫毛。いつも微笑んだように閉じている唇。こいつの顔を見て三分経つと、誘わずにはいられなくなる。

「知ってるよね、瞳ちゃんのこと」マキは瞳を指した。

「ああ」……決まってるだろう。オレが店で瞳を指名したのを、マキも見ているんだから、今さら確かめることでもないはずだ。「店はどう? 夏休みだから暇なんじゃないの?」

「ううん、全然」耳飾りがジャラジャラ鳴った。

「ふうん」賢吾は調理台に両手を突き、上体をカウンターに乗り出させた。

「さて、何か作る?」

「私はまだいい。瞳は?」

 聞かれた瞳は、例のたまらない笑顔を、賢吾ではなく、マキに向けて首を振った。「私もまだいい」

「あれから、どうしてた?」とマキ。

 あれから、って……ヤってからってことか? そういえば、あれから電話の一本もかけていない。もう一週間になるか……「そっちは?」

「元気してたよ」マキは目を逸らし、いかにもつまらなそうな顔で頬杖を突くと、もったいぶった仕草でカクテルグラスに残ったチェリーを楊枝で突つきはじめた。団子っ鼻に浮いた脂が光っていた。

 ……ブスが、人の気を引こうとしている。 

そう思うと、賢吾はマキが少し可哀想になった。

 だが……

 お前とはもう寝ないよ。

「瞳ちゃん、知ってるよねぇ」マキは同じことを繰り返した。

「ああ。最近よく会ってるからね」賢吾は、瞳に目配せした。彼女は慌てて目を逸らせた。

 マキが何と受け取るか……店で指名していると取ればそれでもいいし、店の外で会っていると取れば、それでも構わない。

「ねえ、劇団、うまく行ってるの?」そう言ったマキは、すぐ瞳の方を向いて、「彼、劇団に入ってるの、知ってる?」

「え、そうなの?」瞳は興味を引かれ、目を見開いた。微笑した唇が薄っすらと分かれ、きれいに並んだ小粒の歯が現れた。

「まだまだ修行の身だけどね」と賢吾。

「演技には気をつけた方がいいよ、瞳も」マキは気の抜けた笑いをし、目の前の空いたグラスを指した。「もう一杯、ちょうだい」

 賢吾は空のグラスを引き上げ、布巾でカウンターを拭くと、二人の女から離れ、道具が置いてある場所に行った。ジンとブランデーのボトルを用意すると、ウエイターが持って来た二点のオーダーと合わせて取りかかった。

 手を動かしながら、時折カウンターを見る。女たちは話し続けていた。二人の視線は、まるでタイミングを計ったように、交互に賢吾に向いた。

 テーブルオーダーを上げ、マキのホワイトレディにとりかかった。この前のように、ジンをたっぷり仕込んだ。

 だが今回はヤるためじゃない。お早くお帰りいただくためだ。マキはオレに惚れている。だが、こっちは二度と寝る気はない。かといって、邪険に扱うわけにもいかない。ヘソを曲げられて、クラブの女の子たちに悪口を言いふらされても困るのだ。あそこには、まだ手を付けていない娘がたくさんいる。それに……

 賢吾は彼女の妹を狙っていた。ヒカリは十八になったばかりの、セックスに興味津々の高校生だった。マキに連れられて初めてこの店に来た時、紙切れに携帯番号を書いてそっと渡しておいた。マキには、あと二、三度はヒカリを飲みに連れて来てもらわないと困るのだ。そのためには、マキに嫌われないようにしておく必要がある。

 新しいカクテルグラスを、空のままマキの目の前に置き、シェーカーを振る。

 ……そして、振り始めたシェーカーは、止めてはいけない。

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