カクテルグラスと最後っ屁

ブリモヤシ

第1話

 カクテルを作る時に、一度振り始めたシェーカーを、途中で止めてはいけない。そうしないと、氷が溶け出して、飲み物が水っぽくなってしまう。

 バイトの賢吾も、それくらいは知っていた。だが、その女二人が店に入って来たとたん、シェーカーを振る手が止まった。

 午前二時。他の飲み屋が閉まり、居場所を失った客や仕事を終えた水商売の人間が、深夜まで飲める場所を求めて、ここにやって来はじめる頃だった。L字に曲がった木目調のカウンターの十二席は、七割ほど埋まっていた。奥のフロアには、パイプ製の黒く高い椅子とテーブルの席が四十席あるが、そちらはほとんど空いていた。

 テーブル席に行け……賢吾はそう願いながら、再びシェーカーを振り始める。

 なぜあの二人が一緒にいるのか?

 両方とも賢吾が寝た女だった。だが、二人は、互いにそのことを知らないはずだった。

 一方の女は、ミキだかマキだか忘れたが、とにかくそんな名前で、落ち着きのないやつだった。もうひとりの名前は瞳(ひとみ)。黒オリーブのような目が印象的だったので、その名前ははっきり覚えていた。二人とも、賢吾が遊びに行くキャバクラのホステスだった。それぞれにプライドの高そうな二人だったので、店の中ではライバル同士にちがいない。だから、つるんで遊ぶようなことはないだろうと、タカをくくっていた。

 二人がテーブル席に座ったので彼はホッとし、用意してあった三角錐のグラスに、シェーカーの中味を注ぐ。すり切りピッタリ一杯のビトウィーンザシーツ。バイトとはいえ、一年やっていれば、それなりにできるようになる。

 カウンターの端にいる赤いポロシャツのオヤジにそれを出し、空になったシェーカーを流しに放り込み、布巾でステンレスの調理台を拭く。

 女二人の顔は、ジュークボックスの逆光になって見えない。顔を寄せ合って何かを話し合っている。メニューでも見ているのか?

 賢吾は、他にやることを探した。大きな流しに、皿がいくつか入っていた。一緒に入っているタカさんは、カウンターの馴染み客の話し相手になっている。

 賢吾は、カウンターの客達の飲み物が空になっていないのをチェックしてから、大流しに行き、洗い物をした。そこは冷蔵庫の陰になっていて、二人の女から見えないのが好都合だった。

 手を休めずに、冷蔵庫の端から様子をうかがうと、彼女らは髪をいじったり、タバコを取り出したりしている。

 賢吾はニタリと笑った。

 二人の女が仲良く話している。どっちもおれに体を開いた女だ。

 ふと、これと同じような映画のシーンがあったのを思い出した。主人公は誰だっけ? ポールニューマン? それともジャンポール……何だっけ? ベルモット? あいつはカッコよかった。あの主人公は、手をつけた女二人が協力して復讐しに来た時、いかにも楽しそうに笑っていたっけ。ビビっちゃいないんだ。女なんて何とも思っちゃいない。

 二人は、ウエイターに飲み物を注文していた。

 ……そんなに思わせぶりにウエイターを見て、バチバチ瞬きまでしやがって、何のつもりだよ。

 近くで飲んでいた男が、わざわざ後ろを振り向いて、二人を何度も見ていた。

 ……二人とも、俺がヤッた女だ。

 ミキだかマキだかの方は、派手好きで、動くたびに首輪か腕輪か足輪をジャラジャラ鳴らしている女だが、化粧を取ると田舎のイモ娘だ。しょぼくれた小さい目。潰れた団子っ鼻。歯並びの悪い受け口。おまけに、唾がやたらと粘って、臭い。キスしたあと、納豆のように糸を引くのがいやだった。あそこの液もよく粘り、ちょっと動くとすぐに泡立った。

 もう一方の瞳は……そう考えた賢吾は、皿を拭く手を止めた。思い出せない……確かにそっちともやったはずだ。間違いない。手帳に『瞳 剛毛』とメモしてある。とすると、こいつは剛毛だったということになる。顔に似合わず、あそこは洗い場のタワシのように……待てよ、それは他の女だったか? ちぇっ、とっかえひっかえしているせいで、もう、誰が誰だか分からなくなっている。

 賢吾は百人斬りを目指していた。それを決めたのは二年前、高校二年の夏のこと。父方の叔母さんにつきあってデパートへ買い物に行き、その後ホテルへ入って、初めてセックスをした。叔母さんが自分に気があるのは分かっていた。数日して、女のアソコをナマで見たショックが薄らいでくると、叔母さんの言葉がくすぐったく思い出された。

「賢ちゃんは二枚目だから、気をつけなさい。あんまりたくさんの女の子を泣かせちゃダメよ」

 その時、賢吾は、自分が生まれながらにして、人より有利な立場にあることを知った。それを利用して、街を歩き回っている無料の快楽を漁り尽くしてやろうと心に決めた。快楽のためなら、どんな努力も苦しくない。考えてみれば、賢吾がこれまで誰にも強制されずに打ちこんできたのは、この百人斬りだけだった。

 マキの方が、今、手を振った……ように見えた。

 賢吾は洗った食器を乾いた布で拭き、ステンレス棚の定位置に重ねた。

 エプロンを取り、カウンターの裏を回ってトイレに行き、用を足して戻ってくると、カウンターの中央に二人が座っていた。それぞれが自分の飲み物を持って来ていた。

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