異世界大統領

芳川見浪

第1話 今、そこにいるマッスル


 それは突然の出来事だった。高速道路を爆走していたトラクターが縁石に乗り上げて空を飛んだのだ、そしてそのままホワイトハウスへ直撃した。

 しかしそのような事件が起きようとも死者も負傷者もおらず、また破損なんてものもなかった。至って無傷なのである。

 何故ならば、衝突直前にトラクターを受け止めた男がいたからだ。

 

「諸君! 怪我は無いかね?」

 

 鍛え抜かれた筋肉を芸術の領域にまで高めた男は、その筋肉を軽く行使するだけでトラクターを片手で受け止めたのだ。

 説明するまでもなく、大統領である。

 

「では公務に戻ろうか」

 

 HAHAHAと高笑いしながら大統領が戻っていく、扉を開けてホワイトハウスの中へ入ると……知らない場所に出た。

 

「ほお」

 

 どう見てもそこはホワイトハウスの中ではない、真っ白な空間が広がるだけなのだ。何も無い、真っ白だ。

 念押ししておくが、ホワイトハウスの中はホワイト一色ではない、当然だ。

 

「ふむ」

 

 どうやら大統領は不思議な空間に迷い込んだらしい。入ってきた扉も無くなっている。

 

「ここはどこかな?」

「ここは管理者の部屋です」

 

 その声は大統領の背後から聞こえてきた。振り返ればいつの間にやらそこに謎の男が立っていた。

 やせ細った身体に服は着ておらず、ただ腰に布を巻いて局部を隠しただけの男。古代ローマの奴隷のような服装と言ってもいい。

 

「私は合衆国大統領、あなたの事を聞かせてもらいたい」

「これはご丁寧に、私はあらゆる世界を管理する者、あなた達の世界でいう、神と言ってもいい」

「神……だと?」

 

 大統領の目が不審の色に染まる。

 

「端的に目的を伝えましょう、あなたには私が管理する世界の一つを救ってもらいたいのです」

「自分でやりたまえ」

「残念ながら私はここを動く事ができず、また干渉できるのも微々たる事だけなので出来ないのです。せいぜいトラクターを飛ばす程度です」

「聞き捨てならないな、あれは貴様の仕業か」

「あなたを試すために行いました。多少の無礼はお許しください」

「断る」

「神を前にして随分と尊大ですね」

「貴様こそ、私だけならまだしも、国民にまで危険を晒しておきながら図々しいではないか」

 

 両者、早くも険悪な雰囲気で睨み合う。

 

「それに私は貴様を神とは認めぬ」

「その心得は?」

「これでも私は昔クリスチャンでね、大統領となり無宗教となった今でも敬愛するのはキリストと、そしてブッダだ」

「聞かせてもらいましょう」

「キリストは何十日も飲まず食わずで悪魔の誘惑に耐えきった、それは何故か?

 決まっている、腹筋を鍛えあげて空腹感を紛らわし、そして肺活量を駆使して大気から必要な栄養を摂取していたからだ!」

 

 実際、酸素にはタンパク質が豊富に含まれており、また窒素からはビタミンが摂取できる。

 ナイチンゲールが病院の食糧不足をこの大気食料で補ったのは有名な話である。


「更にブッダ、彼は生まれてすぐに7歩歩いて天上天我唯我独尊と言ったらしい、生まれたての赤子がだ、それはつまり、彼が胎内で筋トレをしていた事にほかならない!

 私ですら筋トレを始めたのは20歳の頃だぞ。

 そんな彼等を遣わした神とはどれほど素晴らしい筋肉を持ち合わせているのだろうか。

 それに比べて貴様はなんだ! その骨ばったやせ細った身体で神を名乗ろうとは、笑止! 片腹痛いわ!!」

「言ってくれますね、大統領」


 侮蔑の言葉を浴びせられたが、神は腕を組んで睨むだけで格別怒り狂った様子はない。しかし見えないだけでその実、臟は煮えくり返っていた。

 

「失礼、私も少々熱くなりすぎて言いすぎてしまった。

 それはそれとして、貴様が言っている世界を救いに行こう。案内したまえ」

「よろしいでしょう、こちらとしても色々言いたい事はありますが、今は世界救済を優先したい……後ろの扉をくぐればその世界に行けます」


 はたしてその通り、大統領の背後には観音開きの扉が出現していた。ここを抜ければその世界へ行けるのだろう。

 迷いなく取っ手に手をかけて扉を開く。

 

「具体的に何をすればよい?」

「そこの世界を侵略する魔王を倒してください、それだけです」

「シンプルでいい、手早く終わらせよう」

 

 それだけ言い残して大統領は扉の向こうへと消えていく、扉を抜け、世界を超えた大統領の目に映った物は、玉座とそこに座る筋骨隆々な上半身裸の男。

 男からはただならぬ気配を感じる。それに玉座があるということはどこかの王様なのだろう、そしてここは城の中だと伺える。しかしそれに関わらず周囲の壁や天井には装飾が見られず、無機質な石壁の中にいるよう。

 

「ほう、お前が勇者か?」

 

 半裸の男が大統領に尋ねる。

 

「いや、大統領だ。そういうお前は何者だ?」

 

 尋ね返された男は徐に玉座から腰を上げて立つ、そして玉座の縁にかけてあったマントを手に取って豪快に羽織る。その姿は威風堂々としており、まさに王と呼ぶべき佇まいであった。

 

「俺はこの世界の覇者となる者、人は魔王と呼んでいる。

 こい、大統領とやら。この俺様が直々に相手してやろう」

「面白い、私の全身の筋肉が喜びで打ち震えているぞ!!」

 

 こうして大統領vs魔王の戦いが始まったのだ。

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