かれいなるさんげき
御子柴 流歌
前篇
人里離れた場所にある、理化学研究機関。
国家にもかかわりかねない重大発表があるということで、全国からありとあらゆるマスメディアが招集されていた。
広い会見場。
前の方にはマイクなどが設置されている壇が置かれているが、その壇とメディアが座っているエリアとの間は透明なカーテンのようなもので仕切られている。
物々しい雰囲気に、メディア側のざわつきが治まることはなかった。
しばらくして、設置されたステージに上がった研究者の男は、妙に光沢のある、妙にタイトな黒服に全身を包んでいた。
メディア側から「白衣じゃないのか?」などといくつかの疑問が上がったが、男は無視をするかのようにいきなり本題を投げつけた。
「明日からしばらくの間、カレーは禁止になりました」
「……は?」
開口一番、出て来た言葉がコレだった。
集まった人々は一様に口を大きく開けた。
冷ましてもらったカレーライスが乗せられたスプーンを、今か今かと待っている子供のようだ。
「すべてのカレー製品を取り扱うメーカー様などへはすでに通達済みですが、これにはみなさまのご協力が必要になりますので、何卒ご理解をいただけますようお願いいたいます」
水を打ったような静寂。
静寂。
静寂――――。
「なぜですか!」
「いきなり何を言うかと思えば……、なんだって?」
そして、飛び交う怒号や呆れたような声。
マイクを使って話した男の声の、何倍もの大きさに聞こえるほどだった。
口から火を吹くように罵詈雑言を吐き捨てる者もいる。
その内容はとてもじゃないが、ここに書き記すことはできない。
どうやらひときわカレー愛が深い人が居るらしいが、明らかに熱くなりすぎてしまっている。
これでは鍋底に焦げ付きができてしまいそうだ。
愛が深いが故に、そうなることもあるだろう。
「何なら、もう一度言いましょうか……?」
「くだらない。何度言っても同じだ、そんなもの到底理解できるわけないだろう」
バカにされたと思った男は苦々しい顔をして、大きくため息をつく。
何度言われようと理解することはない、理解などしてやらない。
そんな意志さえ見えた。
「カレーといっても、いろいろとありますが」
冷静な声で質問が飛ばされた。
「はい」
「すべてですか?」
「そうです」
「カレーライスは?」
「無論、禁止です」
「ドライカレーは?」
「禁止です」
「カレーうどんは?」
「禁止です」
「カレーそばも?」
「禁止です」
「カレーパンも?」
「禁止です」
「スープカレーも?」
「禁止です」
「シャクティは?」
「禁止です」
「チキンティッカマサラ……」
「いや、いつまで続けるんだ」
不意のツッコミで、料理名のパレードが終わった。
どうやらカレーをその名に負うものだけではなく、カレー料理の類であればすべて禁止となるらしい。
「なぜですか」
「……あれは」
息がつまるような言葉で、大部屋の空気が止まる。
止まった空気を、我先にと飲み込む聴衆。
空調の音だけが、妙に饒舌だ。
うるさすぎるくらいだった。
10秒ほどの沈黙を破ったのは――――。
「あれは、危険なモノだからです」
顔を完全に真っ青にした壇上の男による、悲痛なささやき声だった。
危険とは、どういうことだろうか。
「カレーに罪は無いですが!!」
「いえ、そういう話ではないのです」
「……あれ? 違うの?」
拍子抜けした勢い余って、口調が砕ける質問者。
完全に周囲の記者の視線を集める。
あまりの気まずさを咳払いでごまかそうとしているが、意味などない。
「違います。……ある意味、そちらの方がまだマシだったかもしれませんね」
悲しみに染まった顔だった。
――一体、何が。
疑問が大部屋の天井を覆い尽くそうとした瞬間を見計らったように、悲しげな笑みを浮かべながら壇上の男が話し始めた。
「昨年、カレー粉に含まれている成分に関する研究発表において、『人体に対するありとあらゆる悪影響を及ぼす物質に対することができる抗生成分が発見された』というものがありました。それはご存じでしょうか」
「……一応は」
「その研究の応用として、我々は抗生成分の研究を通じ、あらゆる良影響の増進を行う成分を持った素材からなるカレー粉の開発に成功しました」
「……なんと」
「それが、2ヶ月前の話です」
「お、おめでとうございます」
ぽろりとこぼれ出たような祝いの言葉に、場内がある程度ひとつになる。
わずかに戸惑いのような、躊躇いのような空気はある。
それでも、新しい研究開発の成功は祝うべきだろうと考えたらしい。
しかし――。
壇上の男の顔は、まったく晴れない。
それどころかますます青くなってきている。
蒼白とはまた少し毛色が違ったような色味は、ある意味では晴れ空のようにも見える青さだ。
「科学の進歩や発展には、尊い犠牲がつきものです」
どこかで聞いたような言葉を枕に、男は話を続ける。
「当然、食べ物に関するものですから、実食実験も行いました」
「自ら、ですか?」
「それはもう。まずは自分から体を張ってみた、といった感じです。もちろん、助手のみんなにも少しは協力をしてもらいましたが……」
そこで、男は言葉を切り、マイクを手に取ると壇上から降りた。
「この場を借りて、すべての人、とくにカレーを愛するすべての人に、お詫びをさせていただきます。……本当にもうしわけございませんでした」
有無を言わさないという意志を感じる。
最敬礼どころではなく深々と頭を下げた男に、場内は静まった。
ただ、突然の謝罪に面食らったのは記者たちだった。
焚かれるフラッシュがツーテンポくらい遅れる。
シャッター音も最初のうちはまばらだった。
しかし、壇から降りた研究者の男は、なおも顔を上げない。
シャッターチャンスを自らプレゼントするように、とはさすがにひねくれた物言いになるだろう。
心からの謝罪が為す姿勢に思えた。
「実食実験の結果として、人体に対して目覚ましいほどに様々な増進作用が確認できました。ええ、そうです。間違いなく、増進作用です」
言いながら男は、その黒光りする服に手をかけようとした。
だが、それは叶わなかった。
服が。
妙に光沢のある、妙にタイトな黒服が。
その瞬間、はち切れた。
周囲の「ええっ!?」とか「あー!?」とかいう叫びも虚しく、飛び散る。
カメラも回っているのに、そんなの関係なく。
止めるな、とでも言うように。
多くの人が、自分の目を手で覆った。
しばらくして、「うわっ!?」とも「ぎゃあ!?」ともつかない誰かの叫び。
その声に反応して、その光景を見て、ドミノのように、同じような声をみんなが上げていく。
タイトな黒服による抑えがなくなった男の身体は、見るも無残。
三段腹どころじゃない。
何がどうなっているかもわからないほどに、ぶくぶくに太った男が立っていた。
肉襦袢か、あるいは特殊メイクか。
それほどまでにさきほどまでの体躯は雲散霧消。
役者が役作りのために太ったという話はよく聞くが、それでもここまでは太れるはずがない。
しかし。
全裸――――ではなく、ギリギリ下着はつけているらしい。
が、正直、何も見えない。
自らの肉で関節という関節がどこに存在しているかもわからなくなっている。
「履いてますよ」と言われても、「ああ、そうですか」と返すのが精一杯だろう。
これが、筋肉の膨張で服が千切れたのであれば、幾分か格好はついたかもしれない。
というか、あの服は一体どういうモノだったのだろうか。
あの『肉襦袢』を押さえつけられる素材って、なんだろう。
そもそも、ここに入って来たときから徐々に顔色が悪くなってきていたが、その理由は緊張とかそういうものではなくて、単純に苦しかったからなのではないだろうか。
実際、今は少しだけ血色が戻っていた。
「御察しの通りです」
いつのまにか運び込まれていたベンチに座った男は、大きく息をついた。
「いや、あの……どれを察すれば?」
「失礼しました。……さきほども言ったとおりですが、これは危険です」
「その……大変言いづらいんですが、そのようなカラダになった原因が、もしや」
「まさしく、その通りです。正しく御察しではないですか。ハハハっ」
男は思わずと言った感じで笑った。
が、その笑い声は舌先だけで発せられたような、中身のまったく伴っていない乾いたもので。
周囲は、とても笑える空気ではなかった。
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