File.17

 仕切り直してジャックは話を始めた。アリシアがコーラを取りに行った時間も結果的に話の整理に役立ったと言える。


「中東、南アルトビアでのクーデター未遂って知ってるか?」


 アリシアは申し訳なさそうに首を横に振る。想定内の反応であったのでジャックはそのまま続けた。


「まあ、それが普通だ。アメリカの直接関与を疑われないよう、細心の注意を払って進めた作戦だ。おかげでメディアに大して注目もされなかったさ」


 南アルトビアでは反米派大統領による強固な統治が十八年続いていた。その大統領が、長年続いた内戦に終止符を打った平和の立役者であったため、多少強引な独裁でも国民の支持はそれなりに高かった。

 アメリカとしてはそれが面白くない。民主主義の理想云々ではなく、中東における経済活動拡大の妨げになるからだ。


 しかし「独裁だから」という理由だけでは戦争はできないし、「大量破壊兵器所持疑惑」による介入で痛い目にあったというのも記憶に新しい。

 何よりも戦争は金がかかる。強大な力の象徴で悪の権化のように語られるアメリカの軍事産業も、実際のところは自動車産業の半分程度の経済規模しかなく、同レベルの産業は他にいくらでもあるのだ。

 「安く、手軽に」、そんなファストフード店のキャッチフレーズのような目標が、南アルトビアの反米政権打倒にも求められた。


「そのために俺のいた部隊は設立されたんだ。コストをなるべく抑え、現地勢力による自力の革命をサポートするための部隊。名前すら決まっちゃいなかったから、ただ単に『チームR』とだけ呼ばれた。革命(Revolution)のRだ。グリーンベレー出身の隊長を筆頭に、俺やブラッドみたいな情報収集と戦闘を得意とする兵士や、原付からガンシップまで扱えるビークルの専門家、俺のタブレットを作ってくれたコンピューターのスペシャリスト。他にも現地の文化に詳しい学者やら何やら、官民の垣根なく集められた集団だった」


 例を挙げるたびに、懐かしい顔や声がジャックの脳裏に浮かび上がる。

 革命という巨大プロジェクトを遂行するには、歪みない愛国心や卓越した頭脳だけでは不十分だ。複雑に絡み合う事象に対応するため、多様な価値観が求められる。チームRのメンバーも各々の経験から生じる思想・信条を持ち合わせていた。


 そのような部隊の性質も悲劇の一因だったかもしれない、とジャックは思い返す。


「当初の目的は、内戦に陥らずに革命を達成することだった。自由主義・民主主義の機運を高め各地で市民運動を拡大させる。それで、危機感を抱いた大統領が亡命してくれれば作戦は完了だ。そのために俺達チームRは南アルトビアでそれなりの力を持っているラシード家に接触し、革命の中心にしようとした」


 軍人やテロリスト紛いの過激派主導でやるより時間と手間はかかるが、平和的で後腐れも少ない。


「財界の有力者や知識人、メディアと交渉して協力を取り付け、作戦は順調に進んでいた。本当に順調に進んでいたんだ……」


 ラシード家の安全確保が主な仕事だったジャックにはその成果の価値を推し量ることしかできないが、暴力以外でこうも大きく何かを変えられるのか、そんな感慨を抱いた記憶がある。

 だからこそ、あの結末は受け入れたくなかった。


「数万人規模のデモが何度も行われ、あと一歩のところまで大統領を追い詰めた。そんな時、こちらの上層部が方針を変えた……親米派の将校による政権奪取にな。たしかに、反大統領派が優勢な状況だったからクーデターの成功確率は高いし、圧倒的に早く済む。部隊としても多少の不満はあったが国には逆らえない。作戦をクーデターの遂行へと移した。だが、その将校がある条件を提示してきた」


 ジャックは拳を思い切り握り締める。


「……ラシード家の排除だ。あくまでも民主的な革命を目指したラシード家とクーデター狙いの将校は対立、市民からの信頼が厚いラシード家に勝てないことを悟った将校は今後の政権運用でアメリカに従属することを誓う代わりに、政敵の排除を俺達に求めてきた。俺達に逆らう権利はないからな。ラシード家の面々に亡命するよう説得し、脱出手段を手配した」


 アメリカにしてみればラシード家による民主的革命よりも従順な軍事政権の方が有難い。その論理に関してはジャックを含め、部隊の皆が理解していたし、納得もしていた。所詮は自分達も国から給料を貰っている軍人だと分かっていたからだ。


「しかし、話はそれだけじゃ終わらなかった。クーデター派によるラシード家暗殺計画が浮上してきたんだ……亡命だけじゃ不服だったんだろう。当然俺達は暗殺まで了承したつもりはない。暗殺計画の阻止と亡命までの護衛のために動き始めた。そこで上からストップがかかったのさ。『即時撤退、これ以後南アルトビアに関わるな』ってな。実質的にはラシード家を見捨てろという命令だった」


 部隊の全員が反対はしていたが、反逆という選択は非常に困難なものだった。


 チームRは非公式で動いていたのだ。本国から見捨てられれば帰国は不可能、さらに現地の軍との関係が悪化すれば、生きて南アルトビアを出ることすら叶わなくなる。


「そこで部隊が分裂したんだ。四人が離反してラシード家の脱出に協力しようとした。少数とはいえエキスパート集団だ。現地軍の襲撃を切り抜けて脱出を成功させてしまう可能性は十分にあった。だから」


 ジャックは一旦言葉を切った。わずかな躊躇がまだ残っている。

 アリシアは身動き一つせず真剣に話に耳を傾けてくれている。

呼吸を整え、覚悟を決めた。


「俺達が襲撃して、ラシード家も一緒に全員殺した。彼らは武器を持っていなかった……お前と同じくらいの歳の子供もいた……それなのに、俺達は……俺はっ!」


 上からの命令に従った、忠誠心を見せた、なんていう筋の通ったものじゃない。仲間を殺してでも生き残りたい、そう考えての選択だというのはジャック自身が一番分かっていた。


 他の五人もそれが分かっていたからチームRは自発的に解散した。二人は軍に残り、ジャックやブラッドを含めた四人は条件付きで退役したものの、暴力の世界から逃れることできなかった。

 今でこそ稀に連絡を取るようになった仲間たちとも、当時は互いに顔を合わせる勇気など微塵も湧いてこなかった。


 ジャックは大きく深呼吸し、顔を上げる。

 アリシアはこちらに目を合わせようとしない。当たり前のことだろう、とジャックは自嘲する。どう取り繕っても極悪人でしかないのだから。


「以上が俺の話だ。命惜しさに子供や仲間を殺したっていうゴミみたいな過去だ。ディアナやドルフの方が数倍マシな人間だろうな。俺にはお前のことを助ける資格なんて――!?」


 突然、アリシアに抱き締められた。彼女の胸の辺りでジャックの顔は圧迫される。心地よいとはいえない力加減で、真上から聞こえる彼女の吐息の音も詰まったように小さい。


「……何のつもりだ?」

「どういう言葉をかければいいか、分からなかったから」


 アリシアはなぜかむすっとして応え、静かに腕の力を緩めていった。ジャックを包む温もりが丁度良い具合になっていく。


「言葉の代わりにハグか。大胆な女だな」


 ジャックが冗談めかして言うと、糸がほどけるようにあっけなく彼女に突き放された。


「せっかくやってやったのに、そんなこと言うなら返してよ。私のハグ」

「それは無理な相談だ」


 ジャックとアリシアは顔を見合わせて笑った。

 こうして笑うことができるのも、あの出来事から長い年月が経ったおかげだろう。


 忘却という機能が生物に備わっている限り、時の流れというのは残酷なほどに優しい。

 ジャックは姿勢を改め、アリシアに向き直った。


「俺はブラッドの前では否定してみせたが、たぶん、今回の件で過去の失敗を取り消そうとしていたのは事実だ。そんな自己満足のためにお前を危険な目に合わせた。本当に申し訳なく思ってる」


 ジャックの頭にアリシアの細く白い手がぽんと置かれた。


「別にいいって、そんなの。私だって調子に乗って好き勝手なことをやってた。今日になるまで『命を狙われる』っていうのがどういうことか、理解しているつもりだったけど、何も分かってなかった」


 俯きながら懺悔のように呟くアリシアにどんな言葉をかけようか迷っていると、彼女はばねのように顔を上げた。


「それでも、私は過去も現在も未来も全部ひっくるめた上で、ジャックに助けてもらいたい」


 目を丸くしているジャックを、彼女は抱えて持ち上げる。


「改めて依頼する。私とこの農場を守って!」


 ジャックはすぐに返事をすることができなかった。様々な迷いが頭の中でのたうち回り、逡巡させる。

 ふと自分の身体を支えるアリシアの腕に目をやると、ぷるぷると小刻みに震えていた。いくら五~六キロの猫の身体とはいえ、少女が持ち上げ続けるには軽くない。


 ジャックはため息交じりに小さく笑う。


「分かった。その依頼引き受けさせてもらう」

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