File.10
ブラッドの家は高級住宅街に位置し、周囲と遜色のない豪華っぷりだった。外壁や窓ガラスの具合から察するにあまり新しい住宅ではない。しかし、高い鉄製のフェンスは触ったらペンキが付きそうな真新しさで、広い庭や玄関にも最新の防犯設備が設けられている。
銃の腕が立つだけの猫が随分と出世したものだが、それなりに恨みは買ったらしい。
ジャックは現在の自分とブラッドを比較し色々と思いを巡らせながら、庭に停めた車から降りる。
「ブラッドさんってお金持ちなのね」
アリシアが隣で豪邸を見上げながら呟く。
「そうらしいな。俺も今初めて知ったが」
数年前まで古臭いアパートの一室で贋作混じりの美術品に囲まれていたのに、それがまるで嘘のようだ。
「さてと、お屋敷を拝見しに行くとするか。おい、念のため俺の銃を降ろしてくれ」
「ちょっと待って」
ジャックが先に進もうとしたところをアリシアが呼び止めた。そして彼女は腰を曲げてジャックの耳に口を寄せる。
「お友達を疑うカンジで申し訳ないんだけど、あの猫がここに住んでるのって本当に偶然? 罠かもしれなくない?」
アリシアの懸念ももっともだ。決して大都市とは言えないこの街に、間接的に今回の事件に関わることになった友猫が住んでいるとは、本当にたまたまなのだろうか。
ジャックは声を低くして答えた。
「分からん……あいつは悪いやつじゃないが、良い意味でも悪い意味でもプロフェッショナルだ。気は抜くなよ」
つまり行動原理は任務と金だ。胸に秘めた主義主張や感情では動かないので予想しやすいが、友を撃つことに大したためらいはないだろう。
「そもそも彼は何者なの?」
「軍隊時代に同じ部隊に所属してた。まあ腐れ縁だ」
戦友が金のために犯罪に手を染めるような男だとは思いたくないが、自分のことを顧みると安心はできなかった。
車をガレージに停め終えたらしいブラッドがこちらに歩いて来るのを視界の端に捉えたので、話は打ち切った。
「いやはや随分と久しぶりですね。元気そうで何よりです」
ブラッドは顔と耳、そしてすらりとした手足だけが黒色で残りは少し茶色がかった白、という毛並みを手触りの良さそうな淡いレッドのチョッキで覆っていた。腰にはガンベルトで一丁のリボルバーを吊っている。
「こうやって顔を合わせるのは五年ぶりくらいか」
ジャックはブラッドから差し出された手を握った。
「ええ、あの作戦以来ですかね」
詳しく言われずとも分かる。例の仲間殺しの忌まわしい作戦のことだ。ジャックの手に思わず力が入ると、ブラッドは不敵な笑みを見せた。
「とりあえず家に上がってください。積もる話は紅茶と一緒に楽しみましょう」
優美な玄関扉に付いたいかつい掌紋センサー錠を解除し、中に招かれた。
構造自体は普通の高級住宅だが、壁面よりも絵画の秘める比率が大きいのではないかと思えるくらい多数の美術品が並んでいた。風景画や人物画、抽象画が秩序無く掛けられているし、床には石像やら、名状しがたい祭器のような物体が大小の区別なく鎮座している。
ブラッドとは旧知の仲であるジャックには予想通りの光景だが、アリシアは圧倒され唖然としていた。
「……何これ?」
「あいつのコレクションだ。美術品好きだが、センスと頭がおかしいせいでこのザマだ」
ブラッドの判断基準は価値ではなく「彼にとって美しいか否か」の一つに尽きる。だから贋作だろうと無名画家の作品だろうと大喜びで収集して、何の臆面もなく飾るのであった。
「聞こえてますよ、相変わらず辛辣ですね」
少し前を歩いていたブラッドがわざとらしく肩を落とした。
案内された客間はそれなりに広かったが、ここにも大量の美術品が配置されているせいでかなり圧迫感がある。ソファやテーブルのデザインにも統一性が無く、何だか形容しがたい不安感を覚えた。長居すると精神に異常をきたしそうだ。
ジャックは何やら前衛的な赤い椅子に飛び乗り、アリシアはその左にあるアンティーク調のソファに座った。ブラッドは一旦ジャック達を置いてどこかに行くと、しばらくしてティーセットを携えて戻ってきた。白を基調として青と金のラインが控え目に入ったまともなティーカップを見て二人は胸を撫で下ろす。
ささやかな香りを巻き上げながら紅茶がカップに注がれるのを見届けたジャックは口を開いた。
「意味の分からない収集癖は治ってないみたいだな」
「治す必要がないんですよ、金に困ってないので」
「用心棒に情報屋……危なっかしい仕事だが、儲かるのか?」
そうジャックが尋ねた瞬間、ブラッドは見るも止まらぬ速さで拳銃を抜いた。
散弾銃はバッグの中だ。仮に手に持っていたとしても反応できるスピードではなかったが。
隣に座るアリシアが目を見開いて、咄嗟にジャックの手を握ってきた。
頼りにしてくれるのはやぶさかでもないが、手を塞がれると身動きが取れず本末転倒な事態になりかねない。
「何の真似だ?」
という風に睨みつけるのが関の山状態なジャックに、ブラッドはにやりと笑ってみせた。
「驚かせるつもりは無かったんですがね、ただのジョークですよ」
シリンダーに弾薬が装填されていないのを見せつけると、くるくると拳銃をスピンさせ始めたブラッド。
中折式のエンフィールド・リボルバーだ。特注のステンレスモデルに草木のツルのようなエングレーブが入っている。
「暴力や情報はいつの時代も需要過多です。然るべき能力を持っていれば然るべき報酬を得ることができる」
「銃を手放せないのはお互い様か……」
ジャックは一口紅茶を啜ろうとカップを口に近付けたが、猫舌には温度が高すぎるので断念した。代わりに肝心の本題を切り出す。
「それはそうと、頼みごとは完了している、という認識でいいんだな?」
「もちろんですよ。簡単な仕事でしたからね」
ジャック達の前に一台のノートパソコンが開いた状態で置かれた。表示されている複数枚の画像には、全て趣味の悪いサングラスをかけた老人が写されている。
「誰だこいつは?」
「本名は不明ですが『ドルフ』と名乗る男です。元々麻薬カルテルの所属で、その時期に得た金を使ってこの地域で『ドルフ・ファミリー』なんていうマフィア気取りのゴロツキ集団を束ねています」
「そのドルフ・ファミリーが今回の件で動いてるってことか」
「はい。組織内での繋がりが緩いため構成員ははっきりとは分かりませんが、それが今回の件に関しては功を奏しているようで、警察はドルフまで辿り着いていません。そもそもドルフ・ファミリー自体、派手な活動は謹んでゴロツキを制御しているというので地元警察とはある程度の共生関係にあるようです」
「なるほどな」
一気に話し終えたブラッドは優雅に息をついて紅茶に口を付けた。それとは対照的にジャックは腕を組んで唸る。
まず、警察に頼るという手段は改めて否定された。アテにしていなかったとはいえ多少は憂鬱になる。だが、相手が何かに忠誠を誓った狂信者集団じゃなければジャンキーでもない。つまり言語による話が通じるということだ。
なら最初にやることは決まっている。
「こいつらの拠点の場所は分かっているのか?」
ティーカップの後ろからブラッドの怪訝そうな目が覗かれた。
「それを知ってどうするつもりで?」
「話し合いさ。当然だろ」
ブラッドは鼻で笑いながらカップを静かにテーブルに戻す。
「君の腕なら暴力で解決するのが手っ取り早いと思いますがね。まあ、意思は尊重しましょう。交渉の場を設けられるよう手配します」
彼が涼しい顔でとんでもないことを言ってのけたのを、ジャックは聞き逃さなかった。先ほどアリシアと交わした「罠」という単語が想起される。
「……本当にできるのならその提案に乗っからせてもらうが、そう簡単にいくものなのか?」
「ドルフ・ファミリーにはいくらか貸しがありますし、君自身もこの業界ではそれなりに名が売れてますよ。それを考慮すれば大して難しいセッティングではない」
ジャックは思わずアリシアの顔を窺った。
これらの言葉がかつての戦友以外から発せられたものなら百パーセント罠だと断言しただろう。それぐらい条件は豪華に揃っている。
それでもブラッドのことを疑いきれず、アリシアに判断を委ねようとしてしまった。
彼女は誰の目に見ても明らかなほどの迷いを顔に浮かべたのち、おずおずと話し始めた。
「またとない機会だと思うよ……私は」
たしかにたとえ罠でも踏み込まなければならないのが現状だ。
「そうだな、交渉の日程はお前に一任するが、できるだけ早くしてくれ」
「どうも、了解しました」
ブラッドの軽い返事を聞いて、ジャックは重いため息をついた。大いなる決断には大いなる疲労が伴う。高級車を無理して買った時はこんな心持になるのだろうか、などとしょうもないことを考えてしまった。
「急な依頼なのに色々と、本当に感謝する。報酬に関してだが――」
「それについてですが、少々君と二人だけで話し合いたいので、そこのお嬢さんに席を外してもらえると有難いですね」
ブラッドにしては珍しくジャックの言葉を遮っての要望だ。何かただならぬものを感じ、素直に了承する。
「ということだ。すまんが、アリシア。君は少し隣の部屋に居てくれ」
「オーケー、終わったら呼んでね」
ジャックはアリシアにショットガンの入ったバッグを持たせ、部屋から出ていく彼女の背中を見送った。
そして振り返ると、ブラッドの纏う空気が少なからず変化したことに気付く。
「で、わざわざ二人きりで何を話したいんだ?」
「単刀直入に言いますが……今回の件から手を引きなさい」
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