File.08
建築会社はアリシアの家からそれほど離れてはおらず、日の高いうちに到着することができた。
州内最大の都市メイフォールズ。それなりには「街」の様相を呈しているが、やはり田舎だ。築年数の長そうな家が軒を連ねているし、何より周囲の運転がのんびりなせいでアリシアの手荒さが際立つ。
ただでさえ無免許なのだから目立たない運転をしてほしい。
そんなこんなで無事辿り着いた建築会社の事務所前に車を停めた。
カールトン・コンストラクション――五十年ほど前に創設され、規模は大きくないものの業績は非常に安定しており、公共事業の受注も多い優良企業だ。数年前に創業者である先代社長が死去した後、引き継ぎ業務を行っていた社長秘書がそのまま実質的に社長となってしまったらしい。
表向きは至って普通の企業。しかし、そもそも表向きがヤバい企業というのは存在し得ない。それはただの犯罪組織だ。
建物の外見は遊び心の無い四角形の中に多少の幾何学的装飾の窺えるアール・デコ様式で、会社の創設と同じくらいかそれ以前に建てられたように見える。手入れはされているが年季の入りようは誤魔化せていない。
「さてと、いざ敵陣に乗り込むとするか」
ジャックは車から降り、首をぐるりと回して体をほぐす。後から続いたアリシアはその様子をじろじろと眺めていた。
「それは分かってるけど、何その恰好?」
ジャックの出で立ちは普段の革ジャンから打って変わって、ブラウンのトレンチコートに黒革のバッグと時代遅れの刑事のようだった。
「見ての通りだ。何をやるにもまずは形が重要だろう?」
「何かズレてる気もするけど、ま、いっか」
意気揚々と二人でオフィスに乗り込んだが、早速エントランスで第一の関門がジャックにだけ立ち塞がった。
受付のデスクが完全に人間用サイズで、近くに猫用の脚立も見当たらない。このような他種族への配慮に欠ける設計はニューヨークじゃ条例違反だ。
とはいえ無いものは無い。ジャックは自分の倍以上の高さはあるデスクを見上げながら少し考え込み、隣に立つアリシアの膝を叩く。
「すまんが、持ち上げてくれ」
アリシアは一瞬驚き、すぐににーっとした笑みでジャックの顔を見た。
「おい、それはどういう意味の顔だ?」
「別に何でもないわよ。はいじゃあ、こっち来てね」
脇を抱えられ、一気に胸の高さまで持ち上げられた。これでやっとスタート地点なのだから猫は生きづらい。
受付には見るからに職務怠慢気味な中年女性が座っている。ジャックとアリシアが目の前に立っているにもかかわらず、デスクに広げた雑誌を片付けようともしない。
それでも、一応最低限の業務は遂行してくれるようだ。
「何の御用で?」
中年女性はゴシップ記事に目を落としたまま素っ気なく口を開いた。子どもと猫の二人組じゃ相手にされにくいとは想定していたが、ここまでとは。
だがジャックの方も自分のペースを崩すつもりはない。
アリシアに高さを調節して貰い、中年女性の読んでいる雑誌の上に勢いよく手を置いた。肉球で殺された衝撃が紙面に情けない小さな音を残す。
いまいち締まらないが、気にせず続けよう。
「俺は私立探偵のジャック・ハントだ。カーリー家の土地取引に関して責任者と話がしたい」
ジャックはそう言い放ちながら、探偵のライセンスを掲げて見せた。
短くないタイムラグの後、受付の女性はライセンスの写真とジャックの顔を交互に見る。そして、やっと真面目に仕事を果たす気になったのか、面倒くさそうに雑誌を畳んでジャック達に向き直った。
「アポの方を頂いてないので、お会いになれる保証はありませんよ」
「知らないね。そりゃそっちの都合だろ。そんなものに俺が従う義務はな――!」
突然ぐいんと世界が上にいった。というのは間違いで、ジャックがアリシアの腕から落ちたのだ。
「ごめん、ちょっと微妙に重くて手が滑った」
見上げると、アリシアが申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。
再度抱え上げられてみると、中年女性は手元の電話機でどこかに連絡している。目的は何とか達成されたようだ。
少しの間待つように言われたので、二人は大人しくエントランスの古びた長椅子に腰を下ろした。
数分後、エントランスに入ってきたスーツ姿の男に連れられ、オフィスの奥の方へと歩いていく。
案内の男は気弱そうな細身で見るからに一般人だ。暴力に縁のあるようには思えないし、この場で襲われることはない、とひとまず安心することにした。無論、見た目に反して、ということも考えられたが、男の歩き方や目線の配り方から警戒心や緊張感といったものを読み取ることはできなかった。
二人はどこに案内されてるのかも知らないまま歩き続ける。
ジャックは建物の構造を頭に刻み込みながら、道中に通った様々な部署を観察していた。
従業員は皆それぞれの業務をそつなくこなしているが、活気というものは微塵も感じられない。上昇も下降も忘却の彼方に消え去った集団とはこういうものだろう。後は健康な老人のようにのんびりと弱っていくだけだ。
キーボードを叩く音とくだらない談笑だけが聞こえる職場、退屈の極みだが嫌いではない。
今まで生きていてスリルを追求した時期もあったが、平和な生活あってのスリルだと気付くのにそう時間はかからなかった。
そう考えていても、自分の経歴のせいで「解決屋」という胡散臭くて危ない仕事しかできないというのだから世界はよくできている。過去の責任は自分で取れ、というわけだ。
ジャックの自嘲気味な考え事が一息ついた時、丁度目的の部屋に辿り着いた。
「社長、お客様をお連れしました」
「どうぞ、お入りなさい」
案内役の男が「社長室」と金属のプレートが打たれた木製の扉をノックすると、すぐに中から返事があった。落ち着いた女性の声だ。
通された部屋は予想に反し「新しい」雰囲気だった。オフィスの雰囲気からして古ぼけた典型的な社長室が出てくるものだとばかり思っていたが、実際に目の前に現れたのは機能性優先で洗練された空間だ。
ジャックとアリシアが部屋に入ると、奥のデスクからグレーのスーツに身を包んだ女性が立ち上がった。
彼女はジャック達へソファに座るよう促し、自身もすらりとした手足を快活に動かし、姿勢よく座る。事前に得た情報によると四十代半ばとのことだが、容姿や身のこなしにおいては一周り以上若いように思える。
「私が社長代理のディアナ・ブラウンです。本日は土地取引の件でいらっしゃったそうですが、既に同意を得た上で交渉は開始される予定です。それに何か問題があるとのことでしょうか?」
ディアナの開口一番に飛び出した言葉はやはり取引の進捗とその正当性をアピールするものだった。端的に言えば、既にチェックメイトである、と知らしめたがっているのだ。
そんなことは百も承知なジャックはわざとらしいほどソファに身体を沈め、薄ら笑いを浮かべながら返す。
「俺が調査してるのは取引についてじゃない。ここにいるアリシアの父親が撃たれた事件についてだ」
良い具合に「何も知らない小物探偵感」を演出できているのではないか。ジャックは自分の演技に細心の注意を払いながら話を進めた。
「そういうことなので、これまでの取引に関する資料の提出を要求する」
ディアナは眉を少し動かし毅然と反論してきた。
「いまいち話が繋がっていないように感じますが。そもそも私の会社とカーリー氏の銃撃事件には何の関係も無いと、逮捕された犯人自身が証言しているはずです」
カーリー家が警察に頼んでも事態が解決しなかった理由はこれだろう。捨て駒の実行犯が偽りの真実を語ってしまえば事件はそれだけに終わってしまうのだ。
アリシア達が抱いたであろう無力感に思いを馳せながら、その憤りを込めてジャックは強気で吐き捨てる。
「関係があるか無いか、俺が判断するのにあんたや警察のことなんてどうでもいい。俺は自分で見聞きしたことしか信じるつもりはないんでね」
ディアナは何の感情も表に出さずに、ただ品定めするようにジャックのことを見る。束の間の沈黙があった後、彼女は微笑を顔に貼り付けた。
「いいでしょう。こちらも謂れのない誤解を持たれたままでは気分が良くありませんから、可能な限りの情報提供は行います」
「そうかい、ありがとう」
ジャックはほくそ笑んで軽く礼をすると、コートのポケットをまさぐる。
「煙草を吸っても?」
「ええ、構いませんわ」
しかし取り出した小さな箱にはあいにく一本の煙草も入っていなかった。
「おっと、切らしてたみたいだ」
ジャックはその空箱を近くのごみ箱に放り込む。
誰も言葉を発さない重苦しい空気が充満する中で数分が経過し、ディアナの秘書なのだろうか、先ほどジャックを案内した男がファイルを持って部屋に入ってきた。
それを受け取ったジャックは素早く大ざっぱに目を通す。最低限の情報は記載されていそうだ。
「それじゃ、こいつはしばらく借りてくぜ」
猫にとっては軽い物ではないファイルをアリシアに押し付けながら、ソファから飛び降りた。
目的は達成したのだから長居する必要はないし、時間も惜しい。
だが、そそくさと社長室を後にしようとしたジャックとアリシアをディアナが呼び止めた。正確にはアリシアだけを。
「お父様が心配な気持ちは理解しますが、つまらない探偵ごっこはご両親に迷惑がかかりますよ」
足を止めたアリシアはいたずらっぽい笑みを浮かべて振り返る。
「私は私がやりたいようにやるだけだから気遣いは無用よ、おばさん。それに『ごっこ』じゃないってのもすぐに分からせてあげる」
ディアナはそんなアリシアの挑発的な宣言を鼻で笑っていた。
油断してくれるのは大いに結構。
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