不幸の英才教育 それでも 笑う門には福来る

@masamisorimachi

chapiter 1

「不幸の英才教育」なんて、なかなか経験できるものではありません。

そんな英才教育を幼少のころから受け、時にその路線から外れてしまい、幸せになってしまった時期もあります。

 その「不幸の英才教育」の講師は実の母です。

一般的には親は子の幸せを祈るものです。しかし、たとえ娘でも幸せになることを決して許しませんでした。

 でした、と過去形でいうのは、すでに他界しているからです。

それでも、「不幸の英才教育」の呪縛から外れるのは、なかなか難しいのです。それは幸せになることに強い罪悪感を感じるからなのでした。

 言霊(ことだま)はそれはそれは、偉大で恐ろしいものです。

プラスであることはもちろん、マイナスに作用するチカラも絶大です。

 こんな恐ろしい母であっても、世の中には「聖母」と思っている人もいるので、すべて仮名でお話しします。

ストーリーの始まりです。



 母の母、つまり私の祖母からその不幸は始まります。

祖母が生まれたのは、大正時代です。そのころはまだ食糧事情の悪く、こんなことも密かにあったのです。

 それは口減らし。堕胎なんて普及していなかった時代、生まれたばかりの子の命を奪うのです。

 祖母のその危機に見舞われました。

幸運にも家に来た行商の人がそんなことしたら可哀そう、という言葉に命を救われたそうです。

幸運と簡単に思いますが、好きで命を奪おうなどと思う親はいないと思います。それでもやむなく、それをしなければならない事情があったわけですから、たとえその命が救われてもその後は過酷だった、ということです。

 かなり昔の朝ドラの「おしん」ではありませんが、学校も行けず奉公に出される。奉公といっても我が子をお金と交換するのです。

 現代でも世界ではそれがあるからこそ世界中で「おしん」が共感されたのだと思います。

 私が小さいころ、手紙を書くと返事をくれた祖母でしたが、ひらがなでたどたどしい文字でした。小学生のわたしより頼りないひらがなしか書くことができませんでした。

 それでも、祖母には命を与えられた分、恐るべき強運でもありました。

 

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