つぶやき

コタ

今から始まる七変化


「ヤベェな、面が割れちまってるかもな……」





 一瞬、あの男と目が合ったかと不安になった。

「財布をスッたまでは良かったんだけど、あんなとこに電柱があるとは思わなかったしよー。振り返った瞬間、顔を見られたか微妙なとこだよな」

 深夜、坂之下多聞たもんは酔っ払いをターゲットにスリをはたらいた。走りながらうまくスったのだが不覚にも目の前の電柱に体ごとぶつかった。


「イテッ!」


 一瞬振り返って一目散に駆け出した。走りながら中身を取り出してあとを追ってこないのを確認すると、足を止め財布を空き地に放り投げた。

 夜半になり、月あかりもなく街は深い闇に包まれている。風に揺れる葉のこすれる音が誰かの内緒話のようにコソコソいっていた。

静まり返った空き地に、突如。


 ニャーーッ!


「あぅッ! お、おぉぅ……。驚かせんなよ。オイ。びっくりすんじゃねェか」

ネコが多聞のほうに顔を向ける。

 ネコの光る眼に吸い込まれるように、多聞はため息交じりに呟いた。


「あー、やべぇわ。しばらくお前の顔でも借りたいよ。防犯カメラでもあったら一発でアウトだ。あそこで振り向いちゃったっからなぁ、面が割れたかもしれない」

 ネコは返事をしたかのように、多聞に向かってもう一度ゴロニャーオとダミ声をかましてそのまま闇に消えていった。

「なんだあれ? やけに落ち着いた黒猫だな。ネコって暗いところって怖くないのかな」

 多聞は握りしめていた札をポケットにしまい、自宅アパートへ帰っていった。




 次の日。いつも几帳面な多聞は、家庭ゴミの日には例え少量でも出しておかないと部屋が臭くなるので必ず7時過ぎにはゴミ出しをする。毎週火曜・土曜は家庭ゴミの日。前日にきちんとまとめておいている。

 やや寝起きの顔で玄関に向かうとポストに手紙らしいものが入っていた。見ると宛名しかない。誰かが直接入れたのだろうか。開封すると中には〝気に入ってもらえるかな〟とあった。何のことかサッパリわからない多聞は手紙を置き、そのまま集積所に向かう。するとそこにはお隣の吉川のおばさんが、ネットを持ち上げてゴミを入れていた。


「吉川さんおはようございます」

「あっらー、その声は多聞さんね、おはよう……」

と振り返った吉川は、怪訝そうな顔つきでお辞儀をした。

「あら、ごめんなさい。人違いだったわ」

そういってそそくさと、部屋に戻っていった。

「何なんだ?」

思わぬ反応にあまりいい気分はしなかった。


 室内に入り洗面所で手を洗いふと顔をあげると、ドキッとして多聞は固まった。

「お、おい。おまえ誰だ?」

洗った手を頬にあて、顔かたちを確認する。

「待てよ、これはオレじゃない……」

顔のパーツが全部自分のものではなかった。


「この鏡がおかしい? 夢? え? え?」


見たこともない知らない人物が鏡に映っていた。髪型は変わらないものの顔だけが違う。夢をみているのだろうかーー。現実か夢かはともかく、イケメンの自分に何となく嬉しい多聞だった。


「何だかちょっとカッコよくなった?」


 浅黒でいつもの多聞より顔が少しこけてて雰囲気が変わったようにみえる。何よりプラス要素が多いこのつらは見てて飽きない。そう思った多聞は、何故こうなったかなど今はどうでも良かった。

「あ、ヤベッ! 電車の時間がっ!」

多聞はサッと準備をしてバイト先の牛丼屋に向かった。



「店長、あーざいまーす」

「何だよ多聞、ちゃんと挨拶しろよー」

振り返る店長の顔。

「誰だ? あんた」

「オレっすよ、多聞っス」

「はあ? あんたは多聞じゃないよ」

「いや、あの、えっと……プチ整形したんです」

「整形ーー?」

 マジマジと見るが、どこをどう見ても前の多聞だとは店長の目には映らなかった。信じてもらうにはちょっとカッコ良すぎたか。

 多聞は信じてもらおうと、先日の親睦会で披露した一発芸をその場で見せると、店長は顎に手をやり渋々本人と認定した。


「こんな短期間でホントにそんな変わるのかね?」

「いや、オレもこれほどとは思ってなくて」

「まぁいいや。あのよー、実は上から他の店舗の見回りを頼まれて、今日からしばらく留守するかもしんねぇんだ。その間社員の飯塚とバイトリーダーのお前に頼みたいんだよね、仕切りを」

「あー、わかりました。いいっスよ」

「他のバイトのやつのシフトとかもみてやってな。今の若い奴は当たり前のように寸前になってシフト変更言ってきたりするからよー」

 そう話しながら店長はフフッと笑った。

「ナンすか?」

「いや、お前のその顔でナンすかって言われると笑っちまうよ。前よか顔良すぎて多聞に似合わねーわ」

 そういってカバンを持ち、店から出ていった。 


 バイトから帰った多聞は、ようやくこの顔になった理由を知りたくなった。

ーー何も心当たりがない。

 それが答えだった。呪文を唱えたわけでもなく普段から欲求も願望もなかった。生まれた頃からのあの顔をとりあえずは受け入れてたし。強いて言えば、面が割れて警察が探していたとしてもこれなら絶対わからない。うまいタイミングで変わったものだと不思議に思う。

 明日のバイトは夕方の3時間だけ。それ以外に特に予定のない多聞は、この顔に合う洋服でも買いに行こうかとそんなことを考えていた。




 次の日、のんびりと9時頃起きる。適当にご飯食べて10時の開店とともに店に入ろうと考えていた。顔を洗ってふと鏡を見ると……。

「おわっ? お前誰だよ」

多聞の顔が昨日と違い、骨格は四角く目はややつり目でまた別人になっていた。


「イヤァーーッ!」


叫び声に近い変な甲高い声を出した。

「ど、どして? ねぇこのエラ、なに? 四角い顔ってどーいうこと?

 イヤーー有り得ない。オレがつり目なんて」

さすがの多聞もパニックとなり早口でひと通り言い終わると、鏡をみて改めて現実を知る。


「今日はどこにも出たくない……」


 鏡から遠ざかる。窓に映る自分も四角い。日差しが入り、部屋の中に影が出来る。あ、カーペットのこれは骨格……?

 するとピンポーンと玄関で呼び鈴が鳴った。ドアスコープから覗くと警察だった。


ーーバ、バレたのか? 出たくはなかったが、でもこの顔なら大丈夫かと恐る恐るドアを開けた。


「はい……」

「こんにちは。北あかり署の望月といいます。坂之下さんですか?

 先程こちらのお宅から叫び声を聞いたとご近所から通報がありましてね。お伺いしました。どうかされましたか」

 何だ……そんなことか……。ホッとした多聞は大丈夫ですと答えた。横からチラッと顔を出したのは吉川のおばさんだった。

「あんた、多聞さんはどうしたの?この間っから姿がみえないけど」

「そうなんですか?」

望月が吉川に聞くと、先日のゴミ出しのことから話し始めた。

「あ、いまアイツは海外出張行ってて留守番頼まれてるんですよ。ほら、水槽があるのでエサをやってほしいって」

 望月と吉川は顔を見合わせ、吉川は不思議そうな顔をするも難なく引き下がった。

ーーいやぁ、やべぇなそろそろ。この顔、もしかしてまた変わるのかな。だったらそのうち吉川さんにも理由が立たなくなっちまう。

 せっかく買い物に行こうと思っていたが、このエラの張ったつり目に合う服なんて、今までの服装で充分足りると思い、多聞は買い物に出かけるのをやめた。


「スリなんかした罰なのかな……」


ーーそれにしたって仲間内だってこんな変な話は聞いたことがない。

 鏡を見る。四角い顔には今までの髪型も合わない。木綿豆腐に茶髪のパーマなんて似合うわけがない。おかしな組み合わせだとさっきの警察も思っただろう。

 多聞はもとの顔だったスリをしたあの夜まで遡って自分の行動を思い出した。


ーーあの日は酔っ払った男に近づいて財布をスった。で、走り始めたら電柱にぶつかり、痛かったけど慌てて逃げた。酔っ払いのあいつに追われることはなかった。

そこまでは問題ないな。いつも通りだ。

 そして確かあの空き地まで来て中身を出して財布を捨てた……と。

あ、ネコだ。黒猫に会ったわ。ネコと目が合って何かしゃべったよな。あの時はとにかく面が割れてるか心配だった。

え? もしかしてあのネコ、やけに落ち着いてたあのネコ。オレに呪文でもかけた?


「まーさかぁーー」


ーーやべ、やべ。大きな声を出したらまた吉川のおばさんに通報されちまう。

何となくあの黒猫が気になり、今夜あの空き地へ行ってみようと思った。


「いや待て、そのまえにバイトだ。ーーえ? この顔で?」



 その日の夕方、多聞はバイトに入った。幸い店長はいない。今日の社員にだけ何とか誤魔化せればと、歩きながら考えられる理由をたくさんピックアップしといた。

「あーざいまーす!」

「おぅ多聞……」

「あれ、どしたんすか?」

「あんたダレ?」

「多聞です。ちょっと整形して、マスクしてなきゃならないんで今日はこんな感じでよろしくお願いします」


 顔の大部分をマスクで覆ったが、目がつり目でエラの張った骨格はムリがあった。しかしそこは相手が店長ではないので強行突破でいく姿勢をみせた。

 店用の帽子は目深に被り、大きなマスクがやたらと目立つ。サービス業には何とも不似合いな姿。あまり目を合わさない多聞が気の毒で、きっと整形が失敗したのだろうと気を遣い、深く聞きはしなかった。

 そして3時間はあっという間に過ぎ、次のバイトとの交代の時間。


「お疲れさまでしたーー」


帰り際も社員とは殆ど目を合わせず、深々と頭を下げると下げたままの姿勢で足の角度を90度動かし、起き上がって店舗からそそくさと退散した。社員は、そこまで重大な失敗に終わったその顔と悩みを抱えた多聞のことを、心から可哀想に思った。

ーー前よりひどくなったんじゃないかな。



 バイトが終わってコンビニでおにぎりと飲み物を買った多聞は、例の空き地に向かった。本来ならバイト先で牛丼を買えたのだが、四角い顔で長居はしたくなかった。

 この間のようにあのネコと真夜中に出くわすことを鑑みれば、時間的にはまだ宵の口。着くのが少々早いがあそこでオニギリを食べながら、夜景でも見て黒猫を待っていようと思った。


 活力の感じられない空き地には、伸びきった草だけが活き活きと、青々と成長していた。棲み家を得たヤブ蚊は、血がほしくて何十匹も草むらに隠れて人間を待ち伏せしている。そんな荒れ果てた空き地にやってきたB型の血をもつ人間が1人。

ーー名を多聞という。


 高台にあるこの場所は、右を向けば空き地。左を向けばネオンの綺麗な街並みが見渡せる。宝石のように、一面に散りばめられた光はまさしく絶景。多聞はコンクリートの縁に座りネオンや車のライトを見下ろしながら、おにぎりを口に運ぶ。高台の涼しげな風がひんやりと顔にあたり、秋へのシフトが感じられる夜だった

 夜も更け、俄かに生温い風に変わったかと思うとガサガサっと別の音がし、多聞は即座に振り返った。


 ニャーオン……と姿を現したのは紛れもなくこの間の黒猫。多聞を見て静止した。

「お前、オレに何かした?」

 初めから犯人であるかのように、ネコと意思の疎通が出来る気がして話しかけた。すると多聞の思惑通り、ネコが多聞に近づいて言った。

「手紙、読んだでしょ」

しばらく考え、あの朝の茶封筒に入った手紙を思い出した。

「あれ、お前か。気に入ったかとかいうやつ」

「あの晩、アンタは運良く僕に出会い、ここで願いを言った。だから月夜の条例に従ってアンタの願いを叶えてやった」


「月夜の条例?」


「僕は月と密接な関係があってね、十五夜と十三夜の日に僕に願いを言うと叶えてやることが出来る」

「願いなんて知らないけど」

「しばらくお前の顔でも借りたい、とアンタ言っただろ。だから顔を貸してやったまでだ。ネコではないけどね。今のアンタは野洲隆志というやつの顔だ」

「え? じゃあそいつは?」

「今はこの世に野洲隆志の顔が2つ存在してる」

「えぇーーっ? じゃあオレの顔はよ?」

「今は封印してる。アンタが元に戻りたいと願う日まで」

「じゃあ今すぐ戻してくれ!」

「今は無理だ。次は十三夜だ。その日にまたここで会うしかない」

「その十三夜っていつだよ?」


「10月11日」


「じゅぅがつぅーー?」

ーーあと1ヶ月近くある。


 多聞は悩んだ。スリをはたらいたあとに仮にも顔を借りたいなどと思ってしまったこと。いや、そんなことよりこの変な術を持ってるネコに呟いたことに。

「オレは明日誰の顔になる?」

「それはわからない。僕が決めることじゃないから。元に戻りたいなら十三夜の日にまた会おう」

そういってネコは闇夜に消えていった。



 多聞には為す術がなかった。術をかけたヤツがそういうのだから。そして明日の朝にはまた別の誰かになるのだから。



 次の日の朝。洗面所で次の顔を見る。


「なぁーにィーーッ?」


また大きな声を出してしまった。

そしてその不似合いさに吹き出してしまう。

 何と3人目の顔は、あの吉川だった。

「女もアリかよ! あのネコそんなこと言ってなかったじゃねェか。この茶髪に70過ぎの吉川の顔あてはめて違和感しかないぞ! あぁーー、マジ吉川のおばさんじゃんか」

思わずモノマネをしてみる。

「あっらー、その声は多聞さんね……」

声までは似てなかった。


 顔が吉川、声が多聞で、これが生身の人間で出来ているとは思えない、地球がひっくり返ったような気分だった。

「まずい、今日はプラの日。1週間たまったプラごみを捨てなきゃなんない。どうしたらいいか……」


人に会わずにゴミ出しする方法をーー。


吉川が2人いる状態を見られるわけにはいかない。そんな危機が多聞に迫ってくる。


 しわくちゃな顔で1日過ごすことを覚悟した多聞は、まず第1関門のゴミ出しに挑戦する。

「手っ取り早いのは変装だな。そして吉川のおばさんに会わない時間帯に出すのが先決。

ーー8時以降か? それなら多分いける。


顔にはマスク、帽子、サングラス。

「身長180cmのガタイに茶髪パーマのシワシワ吉川フェイスなんて見られたもんじゃない。とにかく隠すしかないっ!」

 そして8時。ゴミ出しの時間がやってきた。

 玄関を開けると集積所にはプラごみが沢山出ていた。あの量からすると、おそらく多聞が最後だろうとホッとしたのも束の間、集積所まで走っていく途中で多聞はパッと立ち止まる。

「あら、他の地域の方はここに捨てないで」

 花に水をやる2階の女性がふいに多聞扮するニセ吉川に背後から声をかけた。

まるで緑色の非常口の案内板のような格好で左足を残し、一時停止した多聞はその言葉を背中に乗せ、少しするとまた動き出した。

「ダメよ、あなた。このアパートの住人以外は捨てられないのよ!」

 また背中で強い口調を受けると、素直にパッと動きを止める。あと数歩で集積所。

 多聞はダダッと集積所まで走りネットを持ち上げプラごみを置くと、顔を伏せたままダッシュで家に走っていった。ガタンバタンと乱暴にドアの開け閉めの音をさせながら。

「あら。何だ、多聞さんちのゴミだったの? 多聞さんたら、変な友達しかいないのねぇ」

 こうして多聞の第1関門は無事突破した。



 第2関門はアルバイト。しかし多聞はこればかりは隠しようがなく、1ヶ月バイトを休むことにした。これはどうにも仕方ない。

 ゴミ出しは毎度の“だるまさんがころんだバージョン”でクリア出来るが、バイトは毎回違う顔で“多聞”ですなんて自己紹介するのは流石にムリがある。

 たとえ1ヶ月といえど収入源が断たれるのは痛いが、この方法で10月11日を待つしかなかった。

 そして2通目の手紙が多聞に届いた。


ーーいよいよ今晩だね。1ヶ月ご苦労様。また空き地で会いましょう。


 待ちに待った十三夜。その日の顔は20歳くらいの若者だった。何とかこれなら外に出られると、支度をして早めに空き地に向かった。するとあれだけ茂っていた草むらは綺麗に刈り取られ、様子が変わっていた。

 灯点し頃、空き地から見る景色は静かに夜の装いに変わっていく。見下ろす街並みは行き交うクルマやビルの灯りが時間とともに美しさを増していった。

 そして夜も深まり風の匂いが変わる頃。


ニャーオ!


 それが合図であるかのように鳴き声が響く。

「よぉ……」

「お待たせ。今日は上岡くんの顔だよ」

「そんなのどうでもいい。早く元に戻してくれないかな」

「わかってる。月夜の条例だ。間違いなく戻してやる。但し完全に戻るのは明日の朝だ。また手紙が送られる。それを受け取らないと願いは叶えられないまま来年の十五夜まで続くからね。ちゃんと読むんだよ」


「手紙?」


「そう。あの手紙の中にあるんだよ、願いを叶えるチカラが。あれは僕からでなく月からの予告だよ。アンタは十五夜に偶然僕に会って、たまたま願いを言ったことで僕のチカラが発動し、それが月に届いたんだ。で、翌朝予告の手紙が送られる。それを読むことで契約成立なんだ。あの日、アンタが手紙を読んで契約成立し、顔が変わってすぐゴミ出し行ったんだよ」

「外に出る瞬間変わったのかよーー。ひっでぇな」

「じゃ、そろそろ星が邪魔してくるから帰るね。またどこかで会えたら」

そういって黒猫は姿を消した。




 翌朝、黒猫の言うとおりポストに手紙が入っていた。玄関に行く前に洗面所の鏡を見ると今日は50代くらいのオジサンの顔だった。手紙を取りに行き、中を読む。

ーー“契約成立。もうすぐ多聞に戻る。


「ちっ、ふざけてやがる」


また鏡を見に行くと、そこには坂之下多聞。

間違いなく坂之下多聞の顔と名前が一致した。





 



      《  完  》


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