第1話 薬草採取
「あーあ、見つかんないな」
その日、私はモルデンの街から数キロ先にある、小さな森に薬草採取に訪れていた。
今回の依頼品はツリガネ草。
一本三十ギルという比較的いい値段で買い取ってもらえるこの草は、特徴さえ覚えてしまえば子供でも簡単に見つけられる薬草だ。
下を向いてしゃがんでいた私は、立ち上がって思いっきり腰を伸ばした。
「これでようやく十八本か。ってことは五百四十ギルだから、ええと……今日のノルマまで、残りは九百六十ギルかあ」
ポーチの中のツリガネ草は十八本。目標とする五十本、つまり一日分の生活費を賄える千五百ギル分は、最低でも採集しておきたいところだ。
「まだまだ先は長いなあ。私に鑑定の魔法が使えれば、こんな時は楽だったのに」
モルデンにトリップして約一年。最近になって、ようやくこの世界の常識がわかってきた。
ここはいわゆる魔法と剣のファンタジーな世界。獣人やエルフは言うに及ばず、ドワーフやピクシー、魔物やドラゴンまで、なんでもござれ。
魔石がエネルギー源となっていて、きちんと整備された上下水道や街道を見ても、文明のレベルはかなり高度な水準にあると思う。……まあ、元の世界とは比べようもないんだけどさ。
残念なのは、魔法が使えるのはほんの一握りの存在だけという事実。そして当然ごく普通の人間である私も、まったく魔法が使えなかったりする。トリップ特典にチート? なにそれ美味しいの?
目下の目標は、王都に行くことだ。
一年かけて探したけど、ここモルデンでは、異世界からトリップした人間についての手がかりは、まったく見つからなかった。
でも、王都にはこの国一番の規模を誇る王立図書館があると聞く。だから、そこに行けば日本に帰る手がかりがあるんじゃないかって睨んでる。
最終的な目標は、いつか日本に帰ること。
そしてそのために必要なのは──まずはお金だ。
「宿代に食費、王都に行く交通費に向こうでの滞在費……どこの世界も世知辛いよね。たまには贅沢に甘いものでも食べたいけど……って、あれ? もしかしてあそこに生えてるのって」
何気なく生い茂った草を眺めていた私は、少し離れたところにある大きな木の下に目を留めた。
慌てて駆け寄ると、そこにあったのはこんもりと茂るツリガネ草の一群。そして少し離れた場所にもっとすごい群生を見つけた私は、思わず歓声を上げた。
「やった! こんな群生初めて!!」
そしてこの時、私は夢中になるあまり、自分が鬱蒼と茂る森に足を踏み入れていたことに、まったく気が付いていなかった。
「うわ、ツリガネ草がこんなに! あっ、あそこにも、あっちにも! ……あれ?」
一体どれくらいの時間、私はツリガネ草を探していただろう。下を向いて夢中で採取していた私は、ふと妙な気配を感じて顔を上げた。
いつの間にか、ずいぶん森の奥まで来てしまってたみたい。辺りは見慣れない高い木に囲まれている。
「……こんな奥まで来たの、初めてかも」
思わずそう呟いたのと、ポタリとなにかが肩に当たったのは同じタイミングだった。
葉っぱでも落ちてきたのかと上を見上げた瞬間、ぞわっと全身の毛が逆立つのがわかった。
頭上にある枝の葉裏に蠢いていたのは、夥しい数の黒い蟲。
逃げようと慌てて立ち上がった時には、私はすでに大量の蟲に囲まれていた。
外見はそのまんま掌サイズのダンゴ虫なこいつは、マンマダンゴ蟲というれっきとした魔物の一種。
コロンとした外見は可愛いと言えなくもないけど、大量にいるところは完全にアウトだ。
「う、うわあああああああっ! やだっ!」
大声を上げた途端、蟲達は一斉に下に落ちて飛びかかってきた。
キシキシという音は威嚇音なのか、それとも無数の脚を動かす音か。持っていたナイフを構え直し、がむしゃらに向かってくる蟲を切りつける。
無我夢中でナイフを振り回していた私が我に返った時には、すでに辺りに動く蟲はいなくなっていた。
「お、終わった? よかった……」
無音になった蟲達を前に、私はホッと息を吐いた。そのまま手に持っていたナイフを下ろした時、背中にチクリと違和感を覚えた。
「……あれ? なんか背中に……やだっ、なにこれっ!」
葉っぱでも付いてるのかと思って背中に回した手を、鋭い痛みが襲う。どうやら気が付かないうちに、マントを潜った蟲が背中に張り付いていたらしい。
再び聞こえてきたキシキシという気味の悪い鳴き声にパニックになった私は、背中から無理やり蟲を引き剥がして地面に叩きつけた。そしてナイフで何度もとどめを刺してから、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「もう嫌だ……痛いよ……」
蟲が張り付いていた背中が焼けるように痛い。よく見ると、いつの間にかに掌も血だらけになってる。
……なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
あのまま日本にいたら、魔物に襲われるとか絶対なかった。そもそもどうしてトリップなんてしたんだろう。どうしてそれが私だったんだろう。
いっそこのまま全部投げ出して、子供みたいに大声で泣いてしまいたい。
……でも、私がここで倒れたとしても、探しに来てくれる人なんて誰もいやしない。それどころか魔物か盗賊に襲われて、もっとやばいことになるに決まってる。
私は手の甲でぐいっと涙を拭った。
「帰らなきゃ……」
立ち上がってツリガネ草と蟲を収納袋に詰めた私は、重い身体を引きずるようにモルデンに向かって歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます