ピリネウス山脈と隣国
「その報告は本当か?」
齢50を迎えようとしているエスタライヒ王国国王ジグムント・ヴァイセンブルク・フォン・エスタライヒはティーテーブルへ身を乗り出し、あらためて問うていた。国の諜報部門を束ねるヨルク・ベック・フォン・ヴュステマン侯爵は王の向かい側に座り、アンティークチェアから少し身を乗り出すと、あらためて返事をした。
「はい、陛下。左様でございます。隣国シャルリー大公国へ放っている密偵より、『公国に動き有り』との報告が先程届きました。まさかあのピリネウス山脈を山越えできるとは思っていませんでしたが...ここ1年の間に山越えの準備をしていた動きがあるようです」
国王は静かに頷きながら、ティーテーブルに乗せられた地図をなぞりはじめた。
「確かに過去、ピリネウス山脈を超えてきたことはある。しかしそれも、今ほど冬の降雪量が少なく、互いに領土を拡大するため山の中に砦を築いていたから。今では山中の砦など全て朽ち果て、ここ数十年の気候では冬季越境などできるわけがないはず。となると何か新しい技術革新があったか、またはこれがブラフで隣国と秘密裏に同盟を結んでいるのか...」
ヴァステマン侯爵は首を振りながら、王が指し示す隣国へ印をつけた。
「いえ、アルペンハイム辺境伯領と僅かに国境を接するヘヴェリウス帝国に関しては、同じ密偵・大使館情報双方より、そのような動きは無いと聞いております。帝国に隣接する植民都市郡も同じでしょう。そうなると...俄に信じがたいことではありますが、やはり山越えの手立てができたのではないかと」
国王は一枚の羊皮紙へ視線を落とした。
「となると、報告書にある、”大公国の研究施設付近で鳴り響く、小規模な破裂音”というのが、その手立てに関する研究のようだな」
それだけ言うと、国王は狭い室内を歩きだした。国王の執務室に隣接する窓も暖炉も無いこの部屋は、国王が内密な話をする時によく使う部屋だ。大きな砂時計といくつかのテーブル、チェアが置かれているだけの簡素な部屋だった。国王が信頼している執事長は隣の執務室に待機し、それ以外の使用人は全て廊下や他の持ち場へ散っている。しばらくすると、執務室側からノックオンが2回、短く聞こえた。
「あぁ、もう少しだ」
国王はそれだけ返事をすると、あらためてヴァステマン侯爵の向かい側に座った。ヴァステマン侯爵はすっかり冷めきった紅茶をすすり終えると、再びティーテーブルへ身を乗り出した。
「公国も、さすがに次の冬までには間に合わないでしょう。動きがあるとすれば、1年後か、その先の雪解け後か。こちらではそう見ております。いざ、山越えをされたとなると、現在の国防状況では、」
「苦しいな」
国王も紅茶をすすりながら答える。数枚の羊皮紙を取り上げ、話を続ける。
「アルペンハイム侯爵領、ラッセン男爵領、この城は大丈夫だろう。だが、他領は分からない。それに、必ずしも北東側から超えてくるとは考えられんな。最悪の場合、」
「「ボワギルベール侯爵領」」
二人の言葉が重なり合う。ピリネウス山脈はエスタライヒ王国の北側一帯を囲んでおり、北東側がアルペンハイム辺境伯領、北西側がボワギルベール侯爵領となっている。そして同じくシャルリー大公国がその一帯で接しており、二人は強固な守りをもつアルペンハイム辺境伯領ではなく、今や城壁の作りが脆くなっているボワギルベール侯爵領から攻め込まれることを危惧しているのだ。
「ボワギルベール侯爵の動きはありません。わざと国境警備を薄くしているわけではなく、一応城壁の修復作業はしているようです。ただし、予算が限られる、の一点張りでここ10年以上は造りがそのままです。わずかながら、朽ちている箇所もあることでしょう」
「あやつは怪しいと思っていたが...中々しっぽを見せないな」
「ホーヘンボーム宮中伯の助言では、必ず何かある、とのことでした」
二人は机に広がる資料を片付け始めながら、対策について検討し始めた。部屋に飾られた砂時計の砂は、今まさに尽きるとこだった。
「あの爺さんが言うのなら、やはりそうなのだろう。引き続き各領の監視を頼む。いずれにせよ、公国は動き出した。築城の貴族と、侯爵以上の者を招集し、国王諮問会を開く。ただし、事を荒立てたくはない。静かに、行おう」
「久しぶりに、ラッセン男爵の出番ですな」
二人は資料の片付けを終えると、冷え切った身体を身震いさせながら、執務室へと出ていった。
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