ぐいぐい来る先輩にいつの間にか落とされていた

横糸圭

僕たちは神様に愛されている、ということにしている

 きっかけは何だったのか、いまだによく分かっていない。

 先輩に聞いても、「うーん、偶然?」とはぐらかされてしまう。


 だが、先輩と偶然よく出会うようになったのはいつからか、そのことだけは覚えている。

 あれは、9月の終わり。体育祭が終わってすぐの3連休明けの学校だ。


 

 

 もう2年生になって、この駅から学校までの景色もすっかり見慣れてきた。

 まだ夏の色が抜けていないせいか、はたまた行事が終わってしまったせいか、どこか憂鬱ゆううつな気分にさいなまれる。


 自分ははたして、入学前に思い描いていた色鮮やかな青春を送れているだろうか。

 活き活きした青色というより、惰性にまみれたグレーの方がお似合いだろうか。


 どうせまた、何の変わり映えもしない平凡な日常が続くんだろうとぼんやり思い描きながら歩く。


 教室に入って、いつものように仲の良い友達に挨拶を交わしてから自分の席に着こうとすると、そこには見慣れない光景があった。


 ――自分の席に自分の知らない人影があった。


 「それでね…あっ」


 その女性は僕に気付いたのか、話を中断させてこちらを見上げてくる。


 黒い滑らかな髪が川のように流れていて、目に含んだ多少の水気が彼女の瞳を輝かせている。

 それに…上から見てしまうと、どうしてもそのでっぱりに目が行ってしまう。


 おしとやかな雰囲気も相まって、かなりの美少女であることは一目瞭然だ。


 「ごめんなさい、使わせてもらってます」


 静かに、でも耳に浸透していくその声の持ち主は、多少見覚えがあった。だが、どこで見たかと言われれば言葉に詰まるのが正直なところ。


 「いえ、全然いいですよ。むしろすみません、会話の邪魔をしちゃって」


 ただ一つだけ分かるのが、この人は自分よりも一つ学年が上だということ。校章の色が3年生のものだ。

 3年生の先輩と話すのもお互いに気を使うだけだろうと思ったので、荷物だけ置いて他の友達の席に移動しようとすると先輩に引き留められた。


 「……どうせだったらお話ししましょう? 初対面とはいえ、そんなに気を遣う必要もないから」


 この一言が、この出会いが――この人が――僕の日常を変えてしまう、そんな予感がした。

 

 

 「名前は荒川奏多あらかわかなたくんって言うのね」

 「先輩の名前はお聞きしても…?」

 「私? 私は白石静香しらいししずかって言います」


 初対面らしい硬い自己紹介を済ませた後は世間話に花を咲かせた。

 先輩は何組でどの部活に所属していたのか、とか逆に僕は帰宅部です、とか。


 なんだかんだ先輩との、しかも美少女との会話ということで緊張しながらも10分くらいは話していた。

 途中で先輩が話に来ていた相手というクラスメイトの女の子が会話から外れたので2人きりで話してしまっていたが、とても楽しかった。


 何よりも、時々見せる先輩の笑顔がとても綺麗だった。秋なのに満開の桜を思わせるその笑顔に見蕩みとれてしまったくらいだ。


 「じゃあ白石先輩、そろそろホームルームが始まりますから」

 「そうだね。じゃあまた会ったら声をかけてね」

 「わかりました!」


 先輩のような素敵な人と出会えただけで今日はもう満足だ、と思っていた。


 

 その日の帰り、級友と無駄話をしてから教室を一人で出たところ、偶然にも朝に話をした先輩と下駄箱のあたりで会った。


 「あ、白石先輩」

 「あれ、奏多くんじゃない。偶然ね」


 先輩に名前で呼ばれたところには心臓が思わず跳ねそうになったが、なんとなく初心だと思われるのも恥ずかしかったので顔を逸らすだけにした。


 「…どうしたの? 奏多くん」

 「べ、別に何もないです…」


 どうやら先輩には動揺したことがバレてしまったらしいので、慌てて話を変える。


 「先輩は徒歩で通ってるんですか?」


 この学校は住宅街の中にあるので、徒歩通学をしている人も珍しくない。だが先輩はいじらしく笑うと、


 「うーん、残念っ! 徒歩じゃなくて電車です!」


 なんて無邪気に言うもんだから本当に心臓に悪い。


 というか、先輩ってこんなキャラだっただろうか。もう少しお淑やかなイメージだったけど。正直こちらの方がタイプなので大満足というかこのままで居てほしいけど。


 「ぼ、僕も電車ですよ! ぐ、偶然ですね!」

 「あ、そうなんだ。じゃあ一緒に帰りましょう?」


 そう言ったと思うと、先輩は僕の腕を引っ張った。


 一緒に帰る? 誰が? 僕が? 誰と? 先輩と? え?


 頭が混乱している間にも先輩が先導して駅へと引っ張っていくので、なかなか頭がめなかった。


 

 「ねえねえ、奏多くんって『RINE』とかやってる?」

 「あのメッセージアプリのですか? もちろんやってますよ」

 「じゃ、交換しよ?」


 この1日で分かったことは、先輩は唐突に話題を切り替えてくるタイプだということだ。さっきまで朝ごはんの話をしていたのに、急にこんなことを言ってくるのでこちらとしては落ち着くことが出来ない。


 「え、えーと、自分でよければ…」


 そう言いながら携帯の画面にQRコードを映し出して先輩の方に見せる。先輩の気が変わらないうちに連絡先の交換を済まさなければ。先輩は気まぐれだから。


 「お、早いね~。じゃあ、登録っと」


 僕が期待していることを先輩に見透かされたようでばつが悪かったが、なんとか先輩と交換することが出来た。

 僕の携帯の画面には『新しい友達 ”静香”が追加されました』と出ていて、先輩と連絡先を交換できたことを実感する。


 「じゃ、私はここで降りるから! またね!」


 颯爽さっそうと降りていく先輩の横顔を見たが、こんな美少女と関われているという実感は全く湧かなかった。

 

 

 その日から先輩とは電車の中でよく見るようになった。


 今まで視界に入っていてもそう認識していなかっただけかもしれないが、電車の中で話すことが増えて自分の学校生活に彩りが付いたように感じた。

 朝から楽しいことがあると自然と1日頑張ろうと思えるし、夕方過ぎに先輩と帰りの電車で会うと今日一日が楽しかったと思えるというのは本当に不思議だ。


 廊下ですれ違うと会釈えしゃくをするような関係にまでは発展し、それだけで発展と言っているようじゃまだまだヘタレだな、と自分に落胆する。


 こんな忙しない日常に、今まで感じたこともないような充足感じゅうそくかんを感じ始めていた。

 

 「奏多、最近お前楽しそうだよなー」

 「そうか? そう見えるか?」


 まあ、見えるだろう。自分でも客観的に見たらそう見える。


 「楽しそうなのはいいことだけど、次の体育には遅れるなよなー」

 「へいへーい」


 体操服を着て教室を出ていく友達を、背中越しに返事しておく。悪いが非リアのお前とはいつか決別してしまう。恨むなよ。


 やがて着替え終わった僕は、意気揚々と廊下をスキップしながらするすると人の間を抜けていく。

 と、調子に乗っていた自分は、廊下の角で人とぶつかってしまった。


 「いてて、す、すみません、前見てなくて」

 「い、いえ、大丈夫ですから」


 ぶつかった反動で後ろに倒れてしまったので、壁に左手をついて立ち上がりもう一度謝ろうとしたが、


 「え、先輩…?」

 「えっ…! 奏多くんじゃない」


 そこにいたのは、最近一番話しているであろう白石先輩だった。


 「ご、ごめんなさい、ちょっと調子に乗ってて」

 「う、うん大丈夫よ。……いや、大丈夫じゃない」


 平気そうな顔をしたと思ったら、少しの間をおいて突然顔を深刻そうにしかめた。


 「ちょっと足をくじいちゃったみたい」

 「え⁉ だ、大丈夫ですか⁉ ご、ごめんなさい…」


 いてて、と先輩は片方の足を地面から離して、手で患部を触っている。


 「ごめん、これちょっと歩けないや。肩、貸してもらえる?」

 「い、いえ! 自分の肩だったらいくらでも貸しますっ! 使ってください!」


 ケガをさせてしまったことへの罪悪感と焦燥感から、僕は急いで先輩が痛めている足の側に立って先輩の手を自分の肩に回した。


 「すぐに、ほ、保健室に行きましょう‼」


 そのまま何も考えずに保健室に連れて行った。


 

 「し、失礼しまーす。…誰もいないみたいですね」

 「そうね…」


 先輩の方を見ると、慣れない片足での移動に疲れたのか顔が赤らんでいる。


 「とりあえず、そこのベッドに腰掛けてください。色々と持ってきますので」

 「ええ、ありがとう」

 「元はと言えば自分のせいですから」


 先輩に礼を言われる筋合いなんて微塵みじんも存在しない。完全に自分の過失で、自分が調子に乗っていたのがいけない。


 保健室には少し前にも入ったことがあるので、なんとなくどこに何があるのかわかっている。棚から氷嚢ひょうのうを持ってきて中に氷と水を入れ、後は湿布を持って先輩の元へ駆け寄った。


 「……えーと先輩、すみません、手当てをしたいのでストッキングを脱いでもらえると…」

 「ま、また…? 体育祭の時も靴下脱がされたんだけど……」

 「先輩、どうしましたか?」

 「い、いえ、何でもないっ!」


 先輩は何かを決心したように履いていたストッキングを脱ぐ。


 そこにあらわになったのは、みごとな曲線美を描く脚。細身ながらも健康的で、だが太ももの方はしっかりと肉付きがあってなまめかしい。

 足の方は、しっかりと切り揃えられた血色のよいピンクの爪に、無駄な贅肉ぜいにくを全て落としたような細い足首。


 「あんまりじろじろと見られるのは恥ずかしいんだけど…」

 「あ、あ、すみませんっ!」


 あまりに長時間見てしまっていたのか、先輩がもぞもぞと足をくねらせながら恥ずかしそうにしていて、その姿まであやしいのだからもうダメだ。


 …ん?


 「先輩、足綺麗ですね」

 「だからそんなにじろじろと見ないでって…」

 「いえ、そうではなく…いや、綺麗ですけど。…どこを怪我したんですか?」


 先輩の足はとても綺麗で、どこか赤くなっていたり、膨れ上がっているということはなかった。


 「え、えーと! そう! この辺が…すじの方を痛めてしまったのね、きっと」


 そう言って指さすところは、まあたしかに色眼鏡で見れば…多少痛めているように見えなくもない。


 「じゃあ湿布だけでいいですかね」

 「ま、まあそうね…」

 「じゃあ貼っときます…ってこっちの怪我はどうしたんですか⁉ 逆足の方!」


 湿布を張ろうとして足首側から覗いたところ、逆側の足の甲に擦り傷があった。


 「あ! それは! 見ないでえっち!」


 そう言って、怪我をしているはずの方の足のかかとで思いっきり頭を蹴られて僕は意識を失ってしまった。


 後日、先輩にめっちゃ謝られたが、倒れるときに何か白くて純情なものが見えてしまった気がしたので、こっちの罪悪感を増長させないためにおあいこということにした。


 …あれは記憶から消さないとな。

 

 

 部活もせず先輩と一緒に話しながら帰ったという、最近の僕にとっては珍しくもなくなってきたある冬の日。

 宿題を済ませ、夕食もお風呂も済ませ、ベッドに横になってダラダラとしていた。


 RINEで友達からのメッセージに既読を付けて返していると、先輩のプロフィール画像が変わったことに気が付く。


 今まではキャラのアイコンだったが、新しく変わったものは先輩が友達と撮ったと思われる写真。コーヒーの入った容器で顔を少し隠して恥ずかしそうにしている。


 「やっぱ…かわいいよなぁ…」


 どれだけ見ていても飽きない。どうしようもなく視線が引っ張られる。


 正直に打ち明ければ、先輩のことが…好きだ。


 からかうような仕草も、時々こぼす笑顔も、少しお茶目なところも。


 先輩のすることはどんなことでも可愛いし、先輩を笑顔に出来たらすごく嬉しい。


 ――あんな人を彼女にできたら。


 そう思っては、しかし途方もない現実感の無さに打ちひしがれる。想像してもやっぱり雲のようにたちまち霧散むさんしてしまう。


 分かっている。僕が望んでいるのは前に進むことではなく、現状維持なのだ。

 この楽しい瞬間を引き延ばし続けたい。引き延ばした先にそういった未来があれば、そう思っている。


 …いかんいかん。らしくないことを考えすぎだ。こういうときはもう一回先輩の顔を見て…。


 そう思って先輩の写真をもう一度タッチしようとすると、突然そのアイコンが携帯の真ん中に現れ、音楽が鳴り出した。

 思わずノータイムで通話ボタンを押してしまう。


 「もしもし…?」


 出てからすぐに後悔をした。こんなに早く応答しては、ずっと待っていたイタイ奴みたいに思われてしまう。


 「え…もしもし? 奏多くん?」


 ほら、先輩もあまりの早さに戸惑っている。


 「え、えーと、す、すみません…。たまたまRINEを開いていたものですから…」

 「い、いや、なんで奏多くんが謝ってるの?」


 たしかにそうだ。テンパりすぎだ、俺。


 緊張をほぐすために一つ咳ばらいをして、それでもドキドキして顔が熱くなってくる。


 「ど、どうして電話を…?」


 少し落ち着いたところで、会話するために何か手ごろな話題を、と思ったのだけど。


 「い、いや、うん、あの、間違い電話ってやつ? そうそう、間違えて奏多くんにかけちゃったーあはは」

 「そ、そうだったんですか……」


 一気にへこむ。

 声が聞きたいみたいなロマンチックな理由ではないと思っていたけど、せめて、からかってみたかったから、みたいなのを期待していたのに。間違い電話…。


 「そ、そうだったんですか…。じゃあ切りますね…」


 泣く泣く電話を切ろうとすると、スピーカーから大きな声が突然出た。


 「ちょっと待ってっ!」

 「ど、どうしました…?」

 「せ、せっかく偶然にも電話が繋がったのだから、少しは喋らない?」


 間違い電話ということだったから別の誰かに電話する予定があるはずだ。だから引き留められるとは思ってもいなくて…とても嬉しかった。


 「僕も先輩が良いなら…話したいです」


 こうして、初電話の緊張が解けた僕たちはこの後2時間半くらい話し込んだ。

 

 

 だがしかし、そんな現状維持を望んでいた僕の心を見透かしたように僕と先輩の関係性は変わっていく。


 学校の方は冬休みに入り、先輩と会うことが出来なくなっていた。


 あれから、何回か電話をしていたが、冬休みに入ると先輩から電話がかかってくることはなかった。

 自分からも電話をかけてみようかと何度も思ったが、結局いつも二の足を踏んでしまう。


 おかげでクリスマスも大晦日おおみそかも予定がなく家族と過ごす羽目になった。

 想像していたような冬休みは来ず、焦がれるような気持ちで新年を迎える。


 「あんた、初詣くらいは行ってきなさい。普段の行いがよくないんだから、せめて少しくらい祈らないと天罰がくだるよ」


 母親におせっかいなことを言われ、追い出されるようにして家を出た。

 近所にある小さい神社にはあまり人が多くない。さっさと済ませて帰ろう。


 神社に着き、赤色が少しすすけた鳥居をくぐると、だがそこには見知った顔があった。


 「先輩…」

 「奏多くん」


 そこにいたのは紛れもなく自分が最近ずっと会うことを待ち望んだ人だった。


 「久しぶりね」

 「そう、ですね」


 久しぶりに先輩に会って嬉しいというのに、会話が上手く続かない。

 少しの間会っていなかったというだけで、お互いに距離感が測れなくなっているのか。それとも。


 「先輩はどうしてここへ?」

 「……偶然、かしら」


 どこか物憂げな浮かべている先輩。

 何かを言おうとして、それでも堪えている。やるせない、そんな表情。


 「…参拝、行きます? 時間があるなら…」

 「……」


 先輩は僕と顔を合わせようとしない。その顔は怒っているようにも、哀しんでいるようにも見えた。


 お互いの間を吹き抜けるのは冷たくて痛い風。僕らの吐く白い息を無感情にさらっていく。


 そして、先輩は足を向ける。

 賽銭箱さいせんばこの方ではなく、鳥居の方へと。


 「またね」


 思わず先輩を引き留めようとした手は空を切った。

 そのまま僕はその背中を追うことはできなかった。


 

 それからというもの、3学期が始まっても先輩とは会わなくなった。


 電車ではいつもと同じ車両に乗ったが、先輩はいなかった。

 廊下でもすれ違わなくなったし、帰りが一緒になるということもない。


 それでも僕は先輩のところには行けなかった。


 3年生である先輩の受験勉強の邪魔になるといけない…。それくらいの言い訳を作ることは容易かった。


 だが、その実、僕が先輩のところに行けなかったのは、行く理由が作れなかったからだ。行けない理由は簡単に作れるのに、行く理由ができないというのは小心者の自分にはよく合っている。


 いや、行く理由になりうるものはあったはずなのだ。


 先輩に会いたい、そんな思いが。


 

 卒業式の日、先輩の顔を見れなかった。


 失望されているのではないか、そう思ったら怖くて足がすくんでしまうのだ。


 だが、今思い返せば、先輩から僕に話しかけることはあったけど、僕から先輩に話しかけることはなかった。先輩から電話をかけてくることはあったけど、僕から電話をかけることはなかった。


 そして、冬休みが始まっても僕から先輩に歩み寄ったことは一度もなかった。


 受け身の方が楽だったし、先輩はいつまでも同じように接してくれると思っていた。甘えていた。


 だから先輩は失望したのだろう。自分からは何もできないこの僕に。

 最後の最後、卒業式の日にそれに気が付いていて、それでも何もできない僕に。

 

 

 先輩は卒業してしまった。東京の大学に行ってしまったので、以前のように偶然会うことはない。


 ――いまだに偶然とか言っているのか、お前は。

 ――先輩が偶然だと言って会いに来てくれていたのを、本当に偶然だと思っているのか。

 ――お前は偶然が起きないと何もできないのか。

 ――お前から偶然を起こすことはないのか…。


 自分で自分を諦めそうになる、寸前。先輩の顔を思い出す。


 ダメだ。ここでやらなきゃ、ダメだ。


 季節はまだ春。あと1年しかないが今からでも十分に間に合うだろうか。


 違う。間に合うだろうかなんて他力本願めいた言い方では僕はいつまでも僕のままだ。


 ――間に合わせるしかない。


 先輩を失望させた男。がんばれ。

 二度と、先輩に呆れられるな。諦められるな。


 理由なんか、適当でいいんだ。

 

 

 桜咲くキャンパスを一人で歩いていく。


 近くではスーツ姿になって3、4人で写真を撮っている者がバカ騒ぎをしている。

 ジャージ姿の体つきのいい人が太鼓を打ち鳴らしたり自らの声を張って勧誘を行っていた。


 入学式を終え、向かっているのは特徴的な赤色の校門。


 待っている人の元へ、走り出したい気持ちを抑えて進む。

 早く会いたいけど、もう少し楽しみとして取っておきたい。よくわからない感情だと自分でも思う。


 やがて、人が多く集まって記念写真を撮っている門から少し道の方へ行ったところ。


 周りに咲き誇っている桜にも負けず美しく、その人は凛として立っていた。


 「――先輩」


 お目当ての人は緊張した面持ちでたたずんでいたが、こちらの顔を見て笑顔の花を咲かせた。


 そう、この顔。この笑顔。

 1年以上も見れなかった、この笑顔。


 「奏多くん」


 僕はどうしてあの時、この笑顔を追わなかったのだろう。どうして追わずにいられたんだろう。

 そんな後悔や疑問が浮かんできたが、今となっては笑い話だ。自分にとっては。


 「こんなところで会うなんて、偶然ね」


 先輩が少しからかうように言う。


 「待ち合わせをしたと思うんですけど」


 だから僕も笑って返す。胸を張って。


 「あら、待ち合わせなんてしてないわ。…してくれなかったじゃない。1年前」


 むすっとした顔でこちらを見てくる。目に小さい水たまりが出来ているのが、どうしても僕の心を貫く。本人は責めるつもりもないのだろうが、勝手に僕は罪悪感に浸る。


 「でもまさか奏多くんが受かるとは。ここ、一応すごい大学なんだけどなぁ」


 と思ったら、今度は不思議そうに顔を上げる。ころころと表情を変える先輩に僕も楽しくなってきてしまう。あの頃を思い出すようで。


 「――先輩」


 先輩を正面に据える。自分の全てを込められるように。自分の気持ちを余さず伝えられるように。


 先輩も僕の方を見て佇まいを整える。


 「先輩。ずっと好きでした。付き合ってください」


 言葉に全ての想いが乗っかるように、一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐ。

 先輩からは目を逸らさない。逃げちゃダメだ。


 暖かい陽気の中、心地よい風が二人を包むように流れてくる。


 先輩は顔を恥ずかしがって顔を下ろすが、それでもか細く鈴のような音で。


 「――こちらこそ、よろしくお願いします」


 二人の偶然は決して偶然ではなかった。

 偶然だったのは始まりだけかもしれない。

 だが、それもそのはず。

 この物語は、二人で作り出したものだから。

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ぐいぐい来る先輩にいつの間にか落とされていた 横糸圭 @ke1yokoito

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