第110話 音の表情
翌日。
ちょうど俺とイザベル両方授業が無くて職員室にいたので聞いてみた。
「何かまたクロエ達が怪しい実験器具を作っているみたいだな」
「あれも元は校長先生が原因なのですよ」
えっ、俺?
そう言われても思い当たる事は無い。
「元々は校長先生が1組の授業で、『水が沸騰する温度って、何処でも同じ温度なのか』って話をしたのがきっかけなのです」
「ああ、圧力鍋の話の時に聞いたな」
だから覚えている。
「そう、圧力鍋が最初なのですよ。それで他にも校長先生が言った色々な事を実際に試してみようという話になったのです。校長先生は色々知っていそうだから、あえて校長先生に相談しないで自分達だけで考えてという事で。例えば酒の中にある酔っ払う成分と水とを分けて取り出す方法とか、火が燃えるのには空気中の成分が必要だとか。その辺を考えて色々作ったところ、色々面白い物が出来たのですよ」
酒を分ける方法が蒸留装置か。
でもどうにもわからない装置もある。
「あの蝋燭バーナーというのは何だ?」
「火の中に空気を送り込んでやればもっと燃えるか、その実験をした時に開発したのです。明るさは蝋燭よりも暗いけれど卓上で使う分には文句無く高火力。なので色々便利だし面白い代物なのです。熱の施術と違ってある程度の高温を長時間保ってくれるので色々重宝するのですよ。例えば金属を燃やすとどんな色で燃えるのかとか、酒を水と酔う成分に分けるとか、そんな実験をするのにちょうどいいのです」fjnext
なるほど。
「あの子達は今はまだ知る事全てが面白いという状態なのです。知識を得る事そのものが面白い状態なのです。でもいつかは紙の上に書かれたり他人に語られたりした知識だけでは満足出来ない時がくると思うのです。ただ知識だけを得る事を無意味だと感じる、そんな壁にぶつかってしまう時期がくると思うのですよ。
その時にああいった道具があれば。知識が知識だけで無く世界と結びついている事。かつてそう感じさせてくれた事を思い出させてくれると思うのです」
うーむ。
「あの子達4人は私も驚くくらい知識の吸収が早くて飲み込みも良く、その上応用も効くのです。知識も考え方も授業の範囲内にとどまらず教えられる限り教えこんだのです。国立とはいえ中等学校程度の試験ならよほどの事が無い限り問題無いのです。
だから試験のための勉強はもういいのですよ。私がこの学校であの子達に教えるべき最後のものは知識というものの面白さ、知識を使う事の面白さ、知識を探し調べることの面白さだと思うのです。あの実験道具は単なる実験道具では無く、いざ行き詰まった時にその事を思い出させるための御守りなのですよ」
なるほど。
正直言うとイザベルの言おうとした事の全てが俺に理解できた訳では無い。
でもあいつら4人に対しての思いはわかる。
だからちょっと思った事を感想がわりに言ってみる。
「3年間というのは短いよな」
「でも前に進む為の基本的方法は教えられたと思うのですよ」
なるほどな。
まだまだ授業も残っているし入試もある。
そうなのだが、それでも色々と感慨深いものがあるのは事実だ。
クロエちゃんやエレナちゃんは最初は文字すら読めなかったのにな。
そう思うとやっぱりこの学校を作ってよかったなと思うのだ。
勿論俺達が拾えたのは同じような環境にいる子供のうちごく一部。
拾えなかった子供も大勢いるのはわかっている。
教団の活動だってそう。
手を差し伸べられるのは困っているうちの一部にしか過ぎない。
使徒とはいえ元はただの人間。
出来る事は限られている。
それでも俺はその大部分に手を出せなかった事を嘆くだけでなく、一部でも拾えた事を誇りたいと思うのだ。
自己満足とか偽善とか色々単語が思い浮かんだりもするけれど。
鐘の音。
ざわめきが聞こえる。
授業が終わったようだ。
そう思って、そしてふと気づく。
左右の耳近くをそれぞれ指で軽く叩いてみる。
現状認識ではないな、これは。
「イザベル?」
「何なのですか?」
間違いない。
イザベルの声、これは音として聞こえた声だ。
「聴覚も戻ったみたいだ。現状認識ではない。確かに音が聞こえる」
「本当なのですか!」
がたがた、どさっ。
今のはイザベルが急に立ち上がったせいで椅子が動いてひっくりかえった音。
現象そのものは現状認識で確認したが音は確かに音だ。
認識からくるただの情報じゃない。
音にも色々表情があるんだな。
改めて感じる。
「本当に聞こえるのですか」
「ああ。間違いない」
「良かったのです。あとは目だけなのです」
「ああ」
ふと思う。
イザベルの声はこんな声だっただろうかと。
話し方も発音も確かに間違いなくイザベルだ。
でも前はもう少しだけ声が高かったような気がしたのだ。
俺の気のせいだろうか。
「取り敢えず今晩はお祝いなのですよ」
「いいよまだ。別にそう変わる訳じゃ無いし」
「なおお祝いとは校長先生がお祝いに甘いものを作って振る舞ってくれるというものなのです」
おいちょっと待った!
「何故俺のお祝いを俺が作るんだ」
「使徒様の方が私よりデザート類の知識が豊富だからなのです。適材適所なのです」
「何だそりゃ」
声にも色々表情があるんだな。
そう改めて感じる。
「まあいいか。カップケーキくらいは作ってやる」
「もう少し豪勢に、そう言いたいのですがまあ我慢してあげるのです」
何だかなと思うけれどまあいいかとも思う。
こいつにも色々心配かけたしな。
カップケーキくらいなら簡単に作れるし。
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