自分で書いたノートをテストに持ち込めないのはおかしくないですか、先生
rinaken
第一話 あ、持ち込み不可だったんですね、先生
国立大学法人
石橋を叩いて渡る蓮台寺は、当然、大学入試でもリスクをとることはしなかった。安全圏だった能生大学人文学部を受験したのだ。一般に「ツブシが効く」といわれ、就職活動に有利とされる法学部や経済学部は、蓮台寺の安全圏にはなかった。
能生大学は、蓮台寺の地元からは電車で2時間ほどの距離で、自宅通学は面倒くさい。そこで彼は、大学の近くに下宿していた。安アパートだがそれなりに快適で、大学まで徒歩10分といったところにある。
春の騒々しい部活・サークルの勧誘の嵐をどこか第三者の目でぼんやりとみているうちに、初めての定期試験がやってきた。新生活の始まりと、高校までとはまったく違う、何かと学生の自主性に任せられる大学のノリにとまどっているうちに、もう試験といったところだ。
能生大学人文学部の授業の多くは、ふだんの授業への貢献度で成績の評価が行われる。ようするに、テストは「かたちだけ」のことが多い。それに、高校までとは違って、大学のテストには、「持ち込み可」のものがある。つまり、教科書やノートなど、あらかじめ許可されたものを持ち込んで受験してよいものがある。
そして、能生大学人文学部の試験は、ほとんどの科目が「持ち込み可」だった。蓮台寺が何度か行った部活・サークルの説明会という名のパーティでは、「テスト? そんなの受ければ通るって!」と何度聞かされたかわからない。
そう、蓮台寺の関心は常にテストにあった。テストに合格しなければ、入学できない。卒業できない。目立つこともできない。
蓮台寺にとってテスト対策は大きな関心事だった。高校まで、スマートに好成績を稼いできた。おかげでいつも、スクールカーストでは上位をキープしてきた。と、蓮台寺は思っていた。
大学にも、スクールカーストはあるはず。高校までとは違い、月曜日から金曜日まで同じメンツが揃うといったことはないため、わかりにくいだけだ、と蓮台寺は思っていた。きっとそのハイカーストに、成績上位者のグループがあるはずだ。
GPA(Grade Point Average)という成績評価の数値があり、学生の優劣は客観的に定まる。だが、周囲の新入生や先輩は、たいして気にもとめていない様子だった。
テストで合格するのはもちろんのこと、高得点をゲットする。そうすれば、自分は目立つはずだ。教師の覚えもめでたくなる。スクールカーストの支配者階級である教師の覚えがめでたくなれば、学校生活はバラ色だ。
そのはずだった。
「きみ、学籍番号は?」
テスト中、なぜか唐突に声がした。もちろんテスト中なのだから、誰も声など発するはずもない。発していいのは試験監督くらいのものだ。
蓮台寺が、声のするほうを振り向くと、まさにその試験監督と目が合った。
「はい?」
つい、声を出してしまう。
「もっと声を小さく。試験中ですよ。それは?」
蓮台寺に声をかけた試験監督は、授業の補助をしている20代後半の女性だった。ふだんの授業で会うことは滅多にない。厳しい目つきをしていた。
「それ?」
教師に対しあるまじき間抜けな回答である。だが、蓮台寺には事態がよく呑み込めなかった。
「それです、それ」
女性試験監督は、手で、蓮台寺の試験用紙の隣に置いてある教科書を指し示した。
「教科書ですけど」
蓮台寺は、きょとん、として答えた。
「このテストは、持ち込み不可ですよ」
女性試験監督の目は、さらに厳しさを増していた。その授業の担当者である50代の男性教員も、眠そうな目をこすりながら蓮台寺の座っている席まで近づいてきた。
「どうしたんですか?」
と、その男性教員は女性試験監督に聞いた。
「不正行為です」
少し大きめだった女性試験監督の声には、すでに断罪の響きがあった。近くの学生の目がチラと蓮台寺たちのほうを向いた。
蓮台寺は、ようやくことの重大さに気が付いた。
「持ち込み不可」なのを忘れていたのだ。
周囲を急いで見渡すと、教科書を広げている者など誰もいない。
試験前のアナウンスを聞き逃していたのか? それとも、教員がアナウンスを忘れたか。どちらにしても、持ち込み不可であることは授業中や掲示板、メールで事前に受講者に周知されているはずなので、「知らなかった」では済まない。現に、教科書を広げているのは蓮台寺だけだった。
「あ、持ち込み不可だったんですね、先生」
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