第16話
平日の午後一時。梓と圭太は二人とも学校を欠席して喫茶店にいた。梓はいつも通りジャージを着ていた。
「おさらいするけど、今日、暴力団の幹部会が開かれる。幹部と組長が集まるの。そこを狙って組長と幹部を生け捕りにして情報を得るわ。他にも人が居るでしょうけれど、その人たちの生死は問わない」
梓の向かいに座る圭太がオレンジジュースをストローですすっている。
「生死は問わないっていうけどさー、人殺しはだめなんだろ?」
「まあ、そうよね。でも自分が殺されるのがもっとだめだからね」
梓は圭太の目を見て言った。
圭太は少し悩む仕草をした。
「その、さ。あっちゃんは人、殺したことあるの?」
梓は目を見開いてうつむいた。
「えっと……その……」
そんな様子をみて圭太は苦笑いをして、顔の前で手を振った。
「あーやっぱいいや。まあ、プラシーボ? に踏みいるのはよくねえな」
「ありがと……あとそれたぶんプラシーボじゃなくてプライバシーじゃないかな……」
「ああそうそれそれ」
梓は息をはいた。
「ところでさ、その生死は問わないっていう護衛の人の写真とかねーの?」
「ないわ……あるのは組長と幹部の写真だけ。とりあえずこの人たちは生け捕りね」
そういって梓はスマートフォンを操作し、テーブルの上に置いて圭太にも見えるようにした。
圭太はストローを口にくわえたまま、机に置かれたスマートフォンを操作して写真を次々と切り替えていく。
「三人なのか? 生け捕りって」
梓もスマートフォンを操作し、写真を切り替えながら説明した。
「そうね。この人が組長。で、この人が知能犯罪系の幹部、こっちが暴力犯罪系の幹部。たぶん、全員関係してるでしょうから、全員を生け捕りにする必要があるの」
「ふむ」
「で、すでに強化された構成員を四人捕まえてるから、向こうも警戒していると思うの。一応、幹部会が開かれる日は今日で間違いないみたい。施設でも調査したんだって。だから、目標の人物がいない、ってことはないでしょうけど、それでも警備の人数は増やされてると思った方が良さそうね」
「警戒されてるから油断するなって事か」
「そうね。あと、ごめんなさい、やっぱり一人じゃ無理だったわこの任務……施設から流出した注射の数と、これまで使用されたと思われる回数にはまだ差があるから、向こうにもまだ注射のストックがあると思う。つまり今回も強化された人との戦闘になる。けーくん――過剰適合者の情報は向こうには漏れていないはずだから、けーくんがメインで私がサポートに回らせてもらうわ……。そのためにも拳銃を持ってきてる。私が拳銃で相手の動きを制限するから、けーくんが接敵して捕らえるか、倒すかしちゃってちょうだい。ただ、けーくんの自制が効いているうちに生け捕りにした方がいいから、できるだけ目標の三人を優先的に捕縛してちょうだい」
「おう!」
「ちなみにだけど、相手も拳銃を持ってるでしょうから、拳銃を持ってる相手には直線的に向かうんじゃなくて、横とか斜めとかの移動を混ぜて接近すれば狙われにくいわ」
「あーなるほど」
圭太はうんうんとうなずく。
「あとはとにかく油断だけはしないでね、怪我だけは出来る限りしないで……」
「おう! あっちゃんもな!」
「うん」
そこで一度会話が途絶えた。
梓は圭太の心音に注意を傾けてみたが、ゆっくりと落ち着いていて、とてもこれから素人が暴力団の事務所に突入する前の状態とは思えなかった。
余りに落ち着きすぎていて、事態を楽観視しているのではないかと不安にもなったが、これまでも圭太はいつも心音に乱れがなかったことを思い出した。梓は改めて、圭太が普通の人とは決定的にズレている、と感じてしまった。
しかしもう、口で伝えるべき事は伝えた。あとは圭太を信じ、自分にできるベストを尽くすだけだ。
梓はそう思い直し、甘ったるいコーヒーを口に運んだ。
幹部会の時間帯、二人は暴力団のビルの近くまで来ていた。ビル全体が暴力団の事務所になっており、幹部会は三階で行われている。
「やっぱり心音だけじゃ強化されてる人がいるかはわからないわね……。でも一応会話は聞き取れるわ。それっぽい話をしてるからたぶん幹部会が行われていると思って間違いないと思う。……けーくん、準備は大丈夫?」
「いつでもいいぞ」
「じゃあ事前に説明してたとおり、けーくんの心音の異常に気づかれないように、私が先に行くね。けーくんは私が三階に着いた頃合いを見計らって強化して来てね」
「あいよ」
「じゃあ……」
梓はすっと体勢を低くした。
「開始」
そう言って梓は一足飛びでビルの階段の上り口まで移動し、踊り場の壁を蹴って階段を上る。
その時梓は驚愕した。急激に移動する梓の心音に反応した心音が一つや二つではなかったからだ。
(この数……八人くらい!? この数は……まずいか!?)
梓は逡巡したがここで引き下がることはできない。下では圭太が待機しているし、ここから引き返しても逆に追跡されるおそれもある。引き返すという選択肢はなかった。
圭太は梓が二階辺りに移動した頃合いを見計らって、目をそらしながら自分の左腕に注射をしていた。少しして周りの世界が非常にゆっくりとなり、あらゆる感覚情報が鮮明に聞き取れるようになる。
圭太は動揺する梓の心音と、梓の動きに反応した心音をとっさに聞き分けた。
圭太もまた、敵の数を把握し、急ぐ必要があることを悟る。
圭太はすっと体重をおろして地面との摩擦を大きくすると、地面とスニーカーの摩擦で煙をあげながらビルの階段入り口に移動し、梓の数倍の速度で階段を飛び上る。
圭太が三階の壁に着地したとき、ちょうど梓が三階の鉄製の扉を蹴破っているところだった。
ゆっくりと蹴破られる扉。その向こうに、入り口の扉に向かって銃を構えた人間を圭太は見た。
梓はまだ気づいていない。
圭太は階段を飛び上がってきた勢いのまま、梓を引っ掴んで扉を通り過ぎ、三階扉の脇の壁に着地した。
梓はとっさに引っ張られて訳が分からなかったが、次に轟いた発砲音で状況を理解した。
圭太の足が壁から地面に着くと、圭太は梓を地面に下ろした。
「援護頼んだ……」
「ありがとう。もとよりそのつもりよ」
威嚇するように、怒号と共に散発的に銃が放たれる。
圭太は梓に言われたとおりに、変則的に突っ込むことにした。
飛び交う銃弾の隙を縫って、半回転しながら飛び上がり、入り口の扉の上側の縁に両足を着ける。
その瞬間、顔を上げて室内を見渡した。
(全員……銃持ちか……)
長方形の室内の全員が銃を構えてゆっくりと圭太に照準を合わせようとしていた。
圭太は足を着けた扉の縁を蹴り、室内の地面へと急降下する。
しばらくおくれて、複数の銃弾が圭太がいた扉の上部をかすめていく。
圭太は地面に四つん這いになり、両手足で地面を蹴って、壁と天井の交わる部屋の上部の隅に両足を着ける。
圭太が入り口に視線をむけると、梓が入り口の対面、部屋の中央付近にいる男に照準を合わせているのを確認した。
その男は完全に圭太に意識を向けており、梓に気付いていない。
圭太はその男から仕留めることにした。
圭太は天井と壁の境界線を思い切り蹴った。
そして天井を踏み抜いた。
(なっ……)
天井は圭太の力に耐えられるほどの強度がなかった。圭太は咄嗟に壁に指を突き刺し、腕力で地面に急降下した。
天井を踏み抜いたことで動きが一瞬鈍くなってしまったため、全員の銃弾が圭太の足先をかすめていった。
それとほぼ同時に、梓の拳銃から弾丸が発射された。
その弾丸は回転しながらするすると移動していき、目的の男の手にめり込んでいき、その男が手に持っていた拳銃をはじき飛ばした。
圭太は飛び降りた地面から入り口の梓に視線をやると、梓は別の男に照準を合わせていた。
部屋の中に視線を巡らせると、何人かの男が梓に気付いて照準を扉の方に向けようとしていた。
圭太は梓に手を撃たれた男の所に、腰からロープを取り出して飛びかかる。
ロープをひろげながら、男を飛びこえつつ、男の頭上から両腕が締まるようにロープを引っかける。
男にロープが掛かったことで減速し、引っかけたロープを軸にして回るにように、天井を踏み抜かないように軽く蹴って男の後ろに着地する。
こちらに銃口を向けている人間を確認する。一番近くにいる男が銃口を向けていた。生け捕りの対象ではない。
圭太はしゃがみながらロープを引っかけた男に後ろから足払いをし、柔道でいう肩車をするように、その男の下に滑り込み、一番近くにいる銃口を向けている男に投げ飛ばす。
それによって圭太は銃口から隠れる形となった。
ロープを引っかけた男がゆっくりと飛んでいく間、ロープを結びながら、低姿勢で駆け出す。
投げ飛ばした男の下を駆け抜け、ロープを握ったまま銃を持った男の足下まで駆け寄る。
銃を構えた男の真下から掌底を放ち、男の手の内にあった銃をはじき飛ばす。
室内に目を配る。
梓の拳銃によって、二人目の男の銃がはじき飛ばされているのを確認する。護衛の一人の拳銃のようだ。こちらに銃口を向けようとしている人間がまだいることも同時に確認する。
駆け寄った勢いのまま、男の胴にロープを回し、強く引っ張る。
先にロープで縛って投げられた男が、胴にロープを回した男に衝突する。
そのタイミングでロープを強く結び、二人の男を拘束する。
二人の男は、投げられた男が衝突した勢いのまま、ゆっくりと転がっていく。
室内の状況を確認すると、圭太を狙う人間の照準が徐々に圭太に合わされていくことがわかった。
圭太は両手足で地面を蹴り天井付近の壁に飛びつく。
銃口は圭太を追えていない。
圭太は自身がまだ自制が効いているかを意識し、まだ問題無いことを確認する。幹部を後回しにするとまずい。自制が効かない状態で生け捕りにすることは難しい。
幹部のうち、こちらに銃口を向けようとしているのは反対側の壁付近に立つ男だけだった。男の両脇には護衛と思しき人間が二人銃口をこちらに向けている。
圭太は壁を思い切り蹴り、反対側の壁に着地する。
男はまだ圭太を追い切れておらず、圭太に背中を向ける状態になっている。
圭太は壁を蹴って男の立つソファの背後に着地する。
圭太は下からソファを真上に投げ上げる。
男は圭太が移動していった天井をゆっくりと仰ぎながら圭太の方に振り返ろうとしている。
幹部の男は両手を曲げるようにして振り返ろうとしていた。
圭太は腰からロープを取り出し、曲げた両手と胴体ごとロープを巻き付ける。
後ろから強くロープを引っ張り、男の両手を胴体に固定する。
強く縛り、男の両手に持つ拳銃を掌底ではじき飛ばした。
その際、引き金にかかっていた男の人差し指があり得ない方向に曲がった。
周囲の状況を確認。
梓は一旦壁に隠れている様子だ。両脇の護衛はゆっくりと圭太に照準を合わせようとしていた。
圭太はそれぞれが持つ拳銃を右手と左手でつかむと、思い切り扉に向かって投げた。
その際、小さく骨の折れる音が聞こえた。おそらく護衛のどちらか、あるいは両方の指の骨が折れたのだろう。
これで計六つの拳銃を無効化できた。あと二つ。
対面のソファで立ち上がって銃を構えている幹部と組長の二人。
組長は部屋の奥に配置された豪奢な机の奥にいた。
圭太は自身の視界がうすぼんやりと赤くなってくるのを感じた。
(まずい……自制が……)
急がなければならない。
圭太は自制心を持って行動できるのは後数手しかないと感じた。
三つの銃口の照準は立ち上がっている圭太に向かい始めていた。
圭太は重力に任せてしゃがむよりも素早くしゃがむため、両脇に立つ護衛をつかみ思い切り上に投げ飛ばす。その反動で素早くしゃがみ、地面との摩擦を大きくする。
地面との摩擦が最大になった瞬間、地面から煙を出しながら低姿勢で部屋の隅に飛ぶ。
その位置は、組長の真横だった。
圭太は腰からロープを取り出しながら壁を蹴り、組長に飛びつく。
組長は拳銃を手放し、懐から短刀を取り出し、縦にかざす。
圭太の動きが読まれ始めていた。
このまま飛んでいくと、かざされた短刀で圭太の体は真っ二つになってしまう。
だが問題は無い。
ロープによる格闘術は対刃物も考慮されている。
ロープをゆるく張り、刃物に巻き付ける。
そのままかざされた腕にロープを巻き付け、刃物と腕を固定する。
組長の後ろを通り過ぎる際に首にロープを回し反対側の腕も取り、手首にロープを回す。
飛んできた勢いのまま組長を引きずりながら、組長の背中で縛り上げる。これで組長は完全に拘束できた。引きずったまま、反対側の壁に着地した。
(あと一人……)
視界が大分赤くなってきている。
もう時間が無い。
扉の方から発砲音が聞こえた。梓だ。組長の背中から確認すると、最後のターゲット、二人目の幹部が持っていた銃がはじき飛ばされていた。
これで全ての拳銃が無効化された。
圭太は組長を掴み、幹部に投げ付けた。
壁を思い切り蹴り、低姿勢で組長の下を駆け抜ける。
幹部の男はソファの向こうに立っている。
目の前のソファを片手で横に投げ飛ばす。
幹部の男の足が目の前に見えた。
下から見上げると、梓に撃ち抜かれた手を押さえている。
好都合だった。
素早く両手ごと胴体にロープを回し、縛り上げる。
「けーくん! 拘束できてない三人は私が対処する! そろそろ引き上げて! 動きが粗くなってる!」
梓の言うとおりだった。圭太はもう自制が効かなくなり始めていた。
視界が赤い。
このままロープを引っ張り続け、胴体を引き裂いてしまいそうだった。
「まかせた……」
圭太は速度を落とし、入り口に向かって歩き始めた。
梓によって拳銃をはじき飛ばされた護衛の男は、武器を短刀に持ち替えていた。
歩く圭太を横から切りつけようと、男は短刀を振りかぶった。
圭太は脇目でちらと男を見ると、振り下ろされた手を掴み、短刀の柄ごと握りつぶした。
短刀の柄が潰れる音と、男の手の骨がぐちゃぐちゃに潰れる音の後、少し遅れて男の悲鳴が響いた。
「けーくん!」
「ああ、すまん……」
圭太はそのまま入り口まで歩いて行った。
梓が入れ替わるようにゆっくりと飛び込んでいく。
圭太は入り口の脇に座り込み、俯いた。
しばらく、梓が男達と格闘している音がしたが、それもすぐ止んだ。
「終わったわ。引き上げましょう」
「おう……」
そう言って梓はゆっくりと入り口に向かって駆けてくる。
圭太もゆっくりと立ち上がり、梓のあとにゆっくりと付いていった。
梓は階段を降りる間に後処理担当に連絡を取っていた。
「階段の下で休みましょう」
「おう……」
二人は階段を下りきると、通りから見えにくいところに座り込んだ。
しばらくすると、白いバンが止まり、作業服姿の男が複数人階段を上っていった。
そしてすぐに青いビニール袋に包まれた八つの何かがバンに放り込まれた。
作業服姿の男が全員乗り込むと、バンは去って行った。
「落ち着きそう?」
「まだもうちょっとかかる……」
「わかった」
二人は静かに座っていた。
ふいに梓が呟いた。
「これで……終わり」
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