第14話
その日から、毎日圭太の家で勉強会が開かれた。圭太のバイトがない日は訓練の後に、バイトがある日はバイトの後に。
勉強会の方は順調で、圭太は高一の内容はほぼ問題なくなっていた。高二の一学期期末テスト直前の状態としては芳しい状態とは言えない。それでも、進歩だけを見れば目覚ましいものがあった。
一方で、梓は施設に注射の副作用について問い合わせていたが、こちらは何も進捗がなかった。何度問い合わせても『調査中』という内容しか帰ってこなかった。
梓は、副作用が判明しないことの埋め合わせをするように、勉強会に力を入れた。
ある日の訓練の帰り道、家が近くなると、梓が意を決したように口を開いた。
「ねえけーくん、あ、あの……たまには、うちで勉強しない……?」
「おお、いいぞ! じゃあ勉強道具持ってあっちゃんち行くよ」
「そ、そう! わかったわ! あ、そんなに急がなくていいから、ゆっくりでいいからね! 二〇三号室だから!」
「おう! ゆっくりいくぜ!」
そうして二人は家の前で別れた。
圭太は言われたとおり、家でゆっくり風呂に浸かり、買っておいてまだ読んでいなかった漫画を数冊読み、それからゆっくりと勉強道具を用意して、梓のマンションに向かった。
そして言われた二〇三号室の呼び鈴をならした。
しばらくして勢いよく玄関が開かれた。怒り顔の梓はジャージ姿ではなく、以前買った服だった。
「遅い! 何してたの!」
「え? いや、ゆっくりでいいって言うからゆっくり来た」
「いくら何でもゆっくりすぎよ! いったいどんだけ時間かけてんのよ!」
「おお、わるいわるい。すまんかった」
圭太は手のひらを合わせて頭を下げた。
「全く……まあいいわ……いやよくないけどさ……とにかく始めましょ!」
「おう。お邪魔しまーす!」
圭太は中にいるであろう梓の保護者に聞こえるように大きめの声で挨拶をした。
しかし中から返事はない。
「あれ? あっちゃん、親は?」
「え? 私一人暮らしよ?」
「あれ? だって親の転勤って祥子ちゃんいってたじゃん」
「ああ、書類上の親はいることになってるのよ。その方が色々と都合がいいのよ」
「ほー。そんなもんなのか」
「そんなもんなのよ」
梓が先導して部屋の中に入っていった。部屋の内装は非常に簡素だった。
目に付くのは、勉強するためであろうテーブル、布団、ノートパソコンと生活家電くらいだった。
特徴らしいところと言えば、テーブルの横に数冊の分厚い本が重なっていることくらいだろうか。
男子が想像するような、甘い香りの女子の部屋とかそういったものではなく、至って無臭だった。
「ま、まあ、何もない部屋だけどくつろいでいって」
「ほんとになんにもねえなあ。もうちょっと女の子らしい部屋を想像してたぞ」
「ほっといて! 引越が多いから荷物を多くできないって言ったじゃない!」
「おお確かに言ってたな」
「じゃあちょっとテーブルに座ってて。飲み物用意するわ」
「あいよ」
圭太はテーブルの上に勉強道具を広げていると梓が一人分のコップを持ってきて圭太の前に置いた。
「おうサンキュー……ってあれ? あっちゃんの分は?」
「……一人分しかコップがないのよ」
「そうか! じゃあ俺はいいよ! あっちゃん飲め!」
「いいよ! けーくんは今はお客さんなんだから!」
「そうか! じゃあもらうぜ!」
圭太は自分の手元にコップを置いた。
「しかしコップが一人分とは、本当に物を持たないんだなあ」
圭太がコップに注がれた麦茶を飲みながら言う。
「うーん……引越の時に捨てればいいのかもしれないけど、なんか情が移って捨てられなくなっちゃうから、持たないようにしてるの」
「あー、あっちゃん物持ちがいいからなー」
圭太は納得してうなずく。そして、梓の首元を指し示した。
「そのネックレスもあれだろ? 小学生の時、夏祭りの出店で俺が買ってあげたやつじゃないっけ?」
梓がテーブルに勉強道具を並べていた手を止めて、圭太の方に振り返った。
「え、覚えてたの……?」
「そりゃあなあ。俺があげたやつだし。いつもつけてくれてるよなそれ。ありがとな」
「そ、そう……まあ、気に入ってたし……」
梓はうつむきながら勉強道具を並べるのを再開した。二人は勉強道具を並べ終わると勉強を開始した。
しばらくは圭太が梓に質問していくと言う形で勉強が進んでいたが、ふと、圭太が何かに気づいて梓に問いかけた。
「そういえばさ、なんで急にあっちゃんの家でやろうなんて言い出したんだ?」
その問いに対して、梓は気まずそうに答えた。
「その、苦手なのよ、けーくんのお母さん。何考えてるかわかんないし。……それにけーくんにも冷たいし……」
「そうか。じゃあ今度からあっちゃんちで勉強するか」
「そ、そう? ありがとう……」
「そうなるとあれだな。コップもう一つないとだめだなあ」
「え、いいよ私の分は」
梓は胸の前で手を振った。
「まあまあそう言うなって。今度来るとき俺の分持ってくるよ」
「あ、それなら私が用意しておくわ。元々私の家にしたいって言い出したの私だし」
「そか。じゃあまかせた!」
「うん。まかされた」
話題が一段落つくと、勉強が再開された。
しばらくすると、梓のスマートフォンが振動した。
梓はメールのタイトルを確認して声を上げた。
「あ! けーくん! 副作用が一部だけど判明したって!」
「おお! なんだって?」
「えーっと」
そう言ってメールを開き、梓の顔から表情が消えた。
「どうしたあっちゃん? なんて書いてあるんだ?」
「えっと……その……」
梓は言いよどんでいた。
「……副作用は、効果が切れた際の激しい痛み、数時間後の失神、そして……長期記憶の喪失、筋繊維の萎縮……」
圭太は首をかしげた。
「むう? 最初の二つはわかるが、後の二つはなんだ?」
梓は言い辛そうに口を開いた。
「長期記憶の喪失は、昔の思い出を忘れちゃうって事。筋繊維の萎縮は、体中の筋肉が弱くなっちゃうこと……」
「ああー。なるほどなー。確かに思い当たるわー」
圭太はあっけらかんと答えた。
「思い当たるの!? 例えばどんな!?」
梓が身を乗り出した。
「なんかなー。あっちゃんと昔の話してるとき、あっちゃんがぜんぜん俺が覚えてないこと言ったりしてること結構あるし、まあ他にも最近思い出せなくなることが多くなったなーとは思ってたんだよなあ」
「そんな……」
「あとな、なんか最近身体が重いなーとは思ってたんだよ。鞄持ってもなんか重いし、歩くのもなんかだるいし。体調悪いなーくらいには思ってたけど、なるほど筋肉弱くなってたんだなー」
なるほどとのんきにうなずく圭太。
「なんでそんなにゆっくり構えてられるの!? 記憶がなくなって、筋力も衰えちゃうんだよ!?」
梓はテーブルを強く叩いた。
「ああ! 私はなんてことを!」
梓は両手で顔をおさえてへたりこんだ。
「まああっちゃんそんな気にすんなよ。今はそこまで問題になってねえし」
「今はそうかもしれないけど! もしこれが一度でも使ったら徐々に進行していくものだったら……!」
「あーそれは怖いかもなあ。でもそこまで書いてないんだろ? まだ決めつけるのは早いって」
梓は立ち上がって大声で怒鳴り散らした。
「どうしてそんなに冷静でいられるの!? 自分のことでしょう!?」
圭太は座ったまま、腕を組みながら答える。
「まあ自分のことだからなあ。まあいいだろ。でもこれが」「バカ! 何で自分のことを大事にしないのよ! 自分は一人しかいないのよ!? 替えなんてきかないんだから! もっと自分のことを大切にしなさいよ!」
梓はひとしきり叫んで肩で息をしていた。
「むう……まああっちゃんがそう言うならもっと気にすることにする」
圭太が渋々といった体で口にした。それを聞いた梓は鋭く圭太を睨んだ。
「なんなの!? けーくんはいつも私の言うことばかり聞いて! そりゃ私にとって都合がいいわよ! でもけーくんはどうなの!? わかんないよ! 私にはけーくんが何を考えてるのかわかんない……!」
梓はそう言ったっきり、立ったままうつむいた。
「そりゃ、大切な……幼なじみだからだ」
圭太は腕を組んだまま、うつむいた梓に向かってそう言った。
うつむいた梓を圭太が見つめてしばらくの時間がたった。
「……ごめん、今日はもう終わりにしよう……。勉強できる気分じゃない……」
梓が片手で顔を覆いながらつぶやいた。
「わかった」
そう言って圭太は勉強道具を片づけだした。
「ごめん……明日までには自分の中で整理つけるから……今日は、ごめん」
「そうか。わかった」
圭太は勉強道具を鞄につめ終えると、玄関へと向かった。
「じゃあ、あっちゃん、また明日な」
「……うん」
梓は小さく答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます