小雨

@seizansou

本文

 静謐さと厳かさを備えた旧家。

 その縁側に、背後の障子戸に背をもたれて座る二人の男女がいた。

 多くの人は彼と彼女の容姿を美しい、と評するだろう。目鼻立ち、肌、髪……人によって、どこを美しいとするのかは変わるに違いない。それほどまでに完成され、全てを挙げることができないほどの美があった。

 だが、大半の人間は共通して、その美しさを称賛することはないだろう。

 二人を見る彼ら彼女らが感じるのは「不気味さ」だ。

 縁側に座る男女、そのどちらもが備える美しさは、極めて非人間的であった。

 普通、美しいとされる男や女は、美しいとされつつ、その美しさの中に何かしらの特徴を持っている。物憂げな瞳、高潔な意志を感じさせる眉、怜悧さを感じさせる口元。

 そういった人間的な性質をこの二人の容姿に見出すことは出来なかった。ある人は言うかも知れない。「人間そっくりに作らせた人形だ」と。


 障子戸に背中を預けて座る二人は、ぼんやりと中庭を眺めていた。

「まだ、止みませんね」

 女が口にしたとおり、今朝からずっと小雨が降り続いていた。

 女は男の肩に頭を乗せ、しなだれかかるようにして男に寄り添っていた。

「こういう雨のことを、『涙雨』と呼ぶそうですよ、姉様」

 男は自分の肩に乗る女の頭に、自身の頭を傾け、柔らかく添えるようにしていた。

 その様子は、もし彼らがするのでなければ、互いに心を許しあった夫婦のようであっただろう。

 だが実際にはそのような温かな光景ではなかった。

 精巧に作られた人形に、人間のふりをさせているかのような、倒錯的な光景だった。

 彼らは言葉を口にしながらも、ただぼんやりと、小雨の降る中庭を眺めていた。

「何かあったのですね、姉様」

「兄様はなんでもおわかりになるのですね」

「もう手遅れだったようですが」

「いいえ、言葉にせずともおわかりになってくださっただけで、私は胸が満たされます」

「姉様にひどいことをしていた『動物』のことでしたら、先ほど僕の目の前で『事故』に遭いました。制裁が下ったのです」

「まあ、そうでしたの。でも兄様、動物だなんて、そんな言い方をしては彼らにひどいじゃありませんか。彼らもれっきとした人間なのですから」

「いいえ姉様。奴らは理性を持たないけだものです。彼らはろくでもない人でなしなのです」

 言葉こそ感情的なものを用いていたが、彼と彼女の顔に表情らしきものは一切浮かんでいなかった。

 計算され尽くされたかのような箇所に目があり、鼻があり、口があり……そして言葉に合わせて動くのはただ口だけだった。

「私には命を奪うことはできません」

「姉様は優しすぎるのです」

「いいえ、いいえ。私は随分と身勝手な女なのです。ですからこうして、兄様を悲しませることになってしまいました」

「……確かに、そうなのかも知れません。命を奪うことができないと言いながら、姉様自身の命は粗末に扱う。それにそのままでは宿った命が道連れになる」

「ええ。わたしが身勝手な女だと、おわかりになりましたか? 兄様はこんな私を軽蔑なさいますか?」

「僕が姉様を軽蔑することなど、想像することすら恐ろしい。そんなことはありえません。姉様は、なにがあろうと、僕の姉様です」

「そう言ってもらえると、少しだけ、救われた気持ちになります」

「今は言葉にすることしかできないのがもどかしい思いです。姉様、僕は姉様のためなら、この世のものども、いやそれでは足りない、あの世のものどもですら、姉様に仇なすものに立ち向かい、姉様を守りましょう」

「どうかご無理をなさらないで。もしも、ああ、想像することすら恐ろしいのですが、それで兄様が傷つき、命を落とすようなことがあったなら、それは私にとって生きながら地獄の責め苦にあうようなものです。兄様、今の私の願いは、私の最後を兄様のおそばで過ごさせていただくことです。それ以外、何も求めるものはありません」

「ええ、わかっています、わかっていますよ、姉様。ですからこうして、姉様のそばに寄り添っているのです」

「そうでしたね。ありがとうございます、兄様。……もう既に過ぎ去ったことですが、もっと早くから、もっと沢山、こうしていたかったと思うのは強欲でしょうか」

「でしたら、僕も強欲なのでしょう」

 ぼんやりと中庭を眺めているだけだった女の瞳が、ゆっくりと閉じ始めた。

「ああ、兄様。少し、眠くなってきました。兄様、もう少しこうしていたかったのですが、ときが来たようです」

「大丈夫ですよ、姉様。僕は言いましたよね。それをもう一度繰り返しましょう。あの世のものどもからも、姉様を守ります。だから姉様、どうか心安らかに」

「ええ……ありがとうございます。……兄様」

 その言葉を最後に、女の瞳が完全に閉じた。

 男は、自分に寄り添う身体の重みが増したことを感じた。そして懐から取り出した短刀を抜き、自身の首にあてがった。

「では、いま参ります、姉様」






「っていうのどうよ? 良くない?」

「夢女子乙」

 全国に高校は腐るほどある。その中の一校、それでも彼女たちにとっては青春時代を過ごす事になる校舎の一室で、二人の女生徒がだらけた様子でだべっていた。

「いやいや、夢女子違うし。あと私視点ではどっちかっていうとお兄さん視点だし」

「なに? あんたそっち系なの?」

 そういって椅子をガタガタ揺らしながら距離をとった。

「ちゃーう! 違うから!」

「あ……ごめん、性的マイノリティに対して配慮が足りなかったね。……大丈夫! 私達、『友達』だもんね!」

「いらん気遣いだし! あと無駄に『友達』を強調するな! わざとらしい」

 本来は何らかの文化部の部室のようだが、彼女たち二人の他は誰もいない。

 昨日から続く小雨が窓を濡らしていた。

「でも何で急にそんなこと言い出すのさ。あんたそんな趣味じゃないでしょ」

 それは、幼い頃からの長い付き合いから出た言葉だった。

「んー、言われてみれば確かに。なんでだろ? 昨日ふっと浮かんだんだよねえ」

「ふーん」

「いやそれがさ、ちょっとうるっと来ちゃったのよ」

「って言い方の時は大体号泣してるよね」

「んんん! まあーまあー泣いたかもーしれないーなー」

「それってあれ? 前世の記憶とか?」

 小馬鹿にしたように口にする。

「お? 馬鹿にするか? お? やるか? おおん?」

「ごめんごめん、悪かったって」


 その後も二人はとりとめのない会話をだらだらと続けていた。

 外の暗がりが増した頃に、最初に話をしていた女生徒が「バイトあるから」といって部屋を出て行った。

 残されたもう一人の女生徒は、閉じられた扉にずっと視線を送っていた。

 さっきまでは顔にコロコロと変わる表情が浮かんでいた。しかし今、その顔に表情と呼べるものを見出すことはできなかった。

 そうして、ぽつりと、口から言葉がこぼれた。


「いつまでも、いつまでも。お待ちしております。兄様」

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