第103話 気をつけろ 俺らが Watching you~後編~
「そろそろ取り掛かるぞ。
「ええっと…………距離1,885メートル。
高倍率スコープの向こうには、ターゲットであるバルフェット侯爵の姿――――その容貌が映し出されていた。
灰色の髪を後ろに撫でつけ、彫りの深い顔立ちにカイゼル髭となかなかに整った顔をしている。
ルックスだけで見れば、若い頃はさぞや浮き名を流したことだろう。
ほんの少し前まで貴族派筆頭であったクラルヴァイン辺境伯が領地に戻って動けない今、貴族派を率いている男だ。
この男もなかなかの拡張論者であり、帝国にとって第1攻略目標でありエルフの国でもある『大森林』への侵攻を目論んでいるとされる。
今回、聖堂教会が立てた計画にゴーサインを出したのもこの男だと目されている。
照準は既にショウジの頼りない観測結果とPDAの指示通りに修正済み。
あとは引き金を引くだけで、このナイスミドルの顔はスイカのように弾け飛ぶ。
――――それは、同時にこの男の家族もまた憎しみの連鎖に巻き込むことを意味する。
「結局、これもただの人殺しか。……だが、それすらも含めての戦いだ」
再び思考の渦に沈みそうになる中で、口から漏れた言葉に反応するかのように目元がかすかに痙攣する。
人間を相手に今まで経験したことのない距離での狙撃となるだけに、押し寄せる緊張感が半端なものではない。
トリガーにはまだ触れてもいないのに右人差し指は今にも攣りそうだ。
だが、今更中止や変更をするわけにもいかない。
時間をかければかけるほどにリスクは高まっていく。
幸いとでもいうべきか、俺にはサダマサの相伝コースにより施されたさよなら人類に近い身体能力と、この『お取り寄せ』能力がある。貴族派・教会派相手に立ち回れと言われれば、最終的には、ヤツらを全員この世から消すこともできるだろう。
だが、それらは最終手段だ。よほどのことが起きなければ、そんな内戦を引き起こしかねない自爆行為はしないし、したくない。
しかし、だからと言って可能性が一切ないわけではない。
家族やベアトリクスには俺のように身を守る手段が十分に備わっていない。
もちろん、彼女たちも貴族の子弟としては考えにくいほどの強さは持っている。
とはいうものの、それもベアトリクスの場合は剣技と銃器の扱い、イゾルデの場合は格闘術に魔法といった具合で偏りがある。
もしも、それらの能力で太刀打ちできない敵が現れたら?
そう考えるだけで、俺はぞっとしてしまう。
現に俺たちは、帝室派に属し貴族派・教会派と対立している。 それが表面化した事件として、今回聖堂教会が帝国へ干渉をしようと『勇者』を使った浸透作戦が実施されたが、それは幸運にも自分たちが標的となったことで水際で防ぐことができた。
だが、もっと用意周到な方法に出てきたとしたら?
連中は裏の人間を使って関係者の誘拐や暴行くらいはやってのけるだろう。
自らの手を汚さなければ、人はとても残酷になれる。
地球の戦争という枠組みの中で戦ってきた俺には、今更ながらにまったく違う形の戦争に参加したような気分となる。
それまでの戦争の中で殺してきた相手は、あくまでも任務としてであり、能動的に殺したかった相手ではない。
それが、今度は能動的に――――いや、俺の意志で殺さねばならなくなっている。
だが――――それでも危険性がある『敵』は、叩いて潰すしかない。
ふと視線をスコープから外すと、俺の方を見るショウジやサマダマと目が合う。
その目は、勘違いでなければ俺の思考を理解しているようなものであった。
「この場にベアトリクスさんを連れて来なかった理由はそれですか?」
……存外に鋭いヤツだ。今まさに迷いの中に身を置くがゆえにわかる感情だろうか。
狙撃を行う場合、
そして、スポッターは狙撃手の支援を行うため、彼ら自身においても当然のようにスナイパー並みの射撃技能が求められる。
何度危険なことをするなと言っても一向に聞こうとしないベアトリクスには、俺もさすがに諦めて銃の取り扱いだけでなく、遠距離攻撃手段の少ないこの世界では比較的危険の少ない狙撃についても、知っている限りの技術を教えこんだつもりだ。
つまり、本来ここへ連れて来るべきは、スポッターとしてのスキルを持つベアトリクスなのだ。
にもかかわらず、この場にベアトリクスを連れて来ていない俺は、彼女を信頼しきっていない――――と思われるかもしれない。
こんな状況だからか、そんな考えすら脳内に浮かんでくる。
「……いくら能力があっても、こういうことにはあまり関わらせたくないんだよ。もういくぞ――――ヘッドショット、エイム」
迷いを振り切るように、俺はターゲットの頭部に再び照準を合わせトリガーに指をかける。
あとは呼吸を安定させ、羽毛が舞い降りるようにトリガーを引き絞るだけだ。
なのに――――呼吸がイマイチ安定しない。
僅かな呼吸のブレでさえ、遥か遠距離では致命的な誤差となるというのに。
くそ、こんな時に余計なことを考えてしまった……。
俺は指をトリガーから一旦外す。
いくらサプレッサーを付けていて発射音を抑えると言っても、弾丸が音速を突破する衝撃波までは消すことはできない。
ターゲットが銃や弾丸の存在を知らなくとも、何かが音速で付近を通り過ぎれば攻撃されたと感付かれる恐れがある。
ままよ……と覚悟を決めて引き金を絞ろうとした瞬間、不意に俺の耳に差し込まれていた連絡用インカムにノイズが入る。
なんだ?
「誰か通信をしたか?」
二人を見るも揃って静かに首を振る。気のせいか――――?
不思議なことに、そこで一旦思考の空白ができたためか、次第に呼吸のリズムが落ち着いてくるのがわかった。
それが確信に変わるのを待って、俺は再びトリガーに人差し指を持って行く。
先ほどまでの緊張がなりを潜め、嘘のように軽くなった人差し指は、トリガーの描く滑らかな曲線に触れると、そこを愛撫するように静かに滑り所定の位置へと辿り着く。
「――――
そう告げてから、俺はゆっくりと呼吸を吐き出し、身体の動きが最少になったところでトリガーを絞る。
俺の胸の中の感情の波を飲みこむかのように、サプレッサーが銃口から放出される強烈な火薬燃焼ガスを吸収し、くぐもったような音だけを銃口付近に残して発射された弾丸が、遥か向こうのターゲット目掛けて高速で飛翔していく。
数秒の後、.408Chey-Tac弾はターゲットの頭部に吸い込まれるように着弾。直前まで確かに存在していた顎から上を綺麗に消失させた。
「――――
突如として降って湧いた出来事に、草原の向こうがにわかに慌ただしくなっていく気配を感じながら、俺はいつもの癖でボルトを引いて空薬莢を排出。
それを手袋ごしに残った熱を感じながら回収し、ライフル共々魔力へと戻すと、代わりの武器――――サプレッサー装備のHK416アサルトライフルを『お取り寄せ』して立ち上がる。
サプレッサーの効果で、銃声は遥か遠方までは届いていないハズだが、それでも決して油断はできない。
ピンポイント狙撃という概念がこの世界にはまだ存在しない以上、こちらの所在を突き止めることはほぼ不可能に近いと思うが、それでも痕跡を残すことだけは万が一を考えて絶対に避けなくてはならないのだから。
来た時から既にジャングルブーツの上に麻袋を履いてあるため、森の腐葉土の上に足跡を残さず撤退することは可能だろう。
そうして一切の痕跡を残さず――――俺たちはその場から静かに立ち去って行く。
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