第67話 挨拶に肉体言語を混ぜるのは間違っちゃいないだろうか


「ただいまー」


 体力を奪われクタクタとなりながらも、アウエンミュラー侯爵家帝都別邸まで戻って来れた。

 帰宅を告げると、待ち構えていたかのようにパタパタと小走りに近寄って来る足音を俺の聴覚が捉える。

 特有の軽やかなリズム。誰のものか俺にはすぐにわかる。――すぐに腰を落として構える!


「お帰りなさい、兄さま!」


 言葉と行動がまるで合っていない。セリフだけを置き去りにし、こちらに向けた満面の笑みのままタックルしてくる小さな影。

 不意討ちのテストなら、文句ナシに合格点を出せる速度だ。制止の言葉を投げかけるヒマもない。


「それは挨拶じゃないんだけど!?」


 どう見ても完全な直撃コースだった。あまりに見事なタックル過ぎて回避すると突っ込んできた本人が危なくなる。


「う、よっと……」


 ギリギリで避けたくなる葛藤をおくびにも出さず、シャレにならないレベルの衝撃をしっかりと受け止める。上半身のみならず下半身全体まで使ってようやく受け流せる一撃だった。


「……いつも言っているだろ? もう少し加減してくれって」


 悪意のない愛情表現であることはわかっているのだが、もう少し考えてやってくれよという思いをちょっとだけ俺に抱かせる。


「むー。楽々受け止められないようなら修行が足りない、ってサダマサ先生が言ってましたよ?」


「なにもこんな時までやらんでいいんだよ」


 奇襲をかけてきた犯人は我が麗しの妹イゾルデだ。特に悪びれた様子もなくニコニコと笑っているので頭を撫でる。かわいいなぁ。


 聖堂教会異端派がやらかしてくれたあの誘拐事件から5年以上が経ち、年齢は11歳の半ばも過ぎてその個性が身に現れてきたのか、顔立ちも少しずつ大人びてきたと周りの大人たちに言われるようになった。

 10歳を過ぎれば前世基準で青年扱いくらいはされる早熟な世界限定の話なのだろうが、事実が空想を凌駕する如くイゾルデは女らしさを蓄えていくようだ。


「やれやれ。日増しに見違えるようだよ、イゾルデ」


 タックルのキレが、とは言わない。どちらにせよ難しい年頃だ。

 あまり邪険に扱うと溢れる魔法で稲妻を落とされかねない。ご機嫌をとるのも同居している兄貴の役目のうちだろう。


「もういっぱしのレディですから!」


 そうかな? 俺から言わせれば、ベアトリクスのようになるにはもう2~3年必要だと思う。

 プライドを傷つけないよう言葉にはしないが、客観的に見てもまだまだお転婆な貴族令嬢の雰囲気は抜けきっていない。


 と言っても、この可憐な少女を見た目だけで判断してはいけない。


 あの突き刺さるようなタックルからわかるように、俺やベアトリクス同様、サダマサから鍛錬――主に格闘術の手解きを受けており、咄嗟に受身やカウンターをとるくらいは難なくこなす技量を持っている。

 全身全霊のタックルを回避しても間違いなく問題ないのだが、本人的にはスキンシップの一環と思っているため、避けたら避けたで面倒なことになる。


 だから、こうして毎回きちんとキャッチしているのだ。


「……相変わらず、ホント仲がいいのね」


 俺たちのじゃれ合いを眺めるベアトリクスの声は、笑顔こそ浮かべているもののその実何とも言えないものも含んでいた。


 貴族社会で生きていれば、身内相手とはいえこうはならないのだろう。

 そりゃ、ウチが相当特殊なのは自覚しているが、いずれは夫婦となるのだからそろそろ慣れて欲しい。


「ベアトリクス姉さまもお帰りなさい!」


 内心にあるもやもやを知ってか知らずか、イゾルデはベアトリクスへと抱きつく。

 さすがに、俺相手にカマしたタックルはしないものの、実の姉に甘えるように嬉しそうに飛びついていた。子犬でも見ているような気分になる。


「イゾルデ……」


 先ほどはあんな様子だったベアトリクスも満更でもないのか、困った笑みで胸元にあるイゾルデの頭を撫でている。

 うーん。本人は堪えているつもりなんだろうが、しっかり頬が緩んでいるぞ。


 意外にも……と言っては失礼だが、彼女たちが将来の義姉妹として仲良くやっているのは既に承知の上だ。

 出会った当初、半年くらいはこうもいかなかった。

 もっとイゾルデに侯爵家の家格に相応しい令嬢となって欲しいと思っていた様子のベアトリクスだったが、婚約者の俺や周りの非常識な連中がフリーダム極まる感じなのも相まって、いつの間にか諦めたようだ。

 ……アウエンミュラー家の家風に毒されたと言うべきかもしれないが。


「やれやれ騒がしいのう。されどクリスよ。その優しさをもう少し妾に見せてくれてもよいと思うのじゃが」


 そう嘯きながら、まるで保護者のようなゆったりとした足取りで、後から現れたのはティアだった。

 ヒト族の社会の中に出て来た関係で、神魔竜であるティアも今は身体を完全に人型へと変化させている。

 竜峰の一件以来、どういうわけか俺について動いているため、こうして帝都の別邸にもサダマサと同様に居を構えている状態――要は居候だ。


「お、仕上がったのか。似合ってるじゃないか、それ」


「ふふふ、もう少しばかり気の利いた言葉を使って欲しくはあるが、褒められて悪い気はせぬのう」


 俺の言葉に相好を崩しながらティアは嫣然えんぜんと微笑む。

 その姿に、俺は少しだけ心拍が強くなるのを感じた。


「俺が褒めるなんて貴重だからしっかり聞いておけよ?」


 恥ずかしさからつい誤魔化して軽口を叩いてしまう。

 それにしてもティアの持つ超然とした美はいつ見ても溜め息が出そうになる。

 特に、今回俺が言及した部分――黒染めの絹に金糸で龍の刺繍を入れた生地から作られたゆったりとした日本の着物をイメージした衣装を纏った姿は、この国の人間にはいない黒髪と黒瞳、更には隔絶した美貌とも相まって遥かな異国からやって来た貴人を思わせる情緒を醸し出していた。


「ふふ。そういうことにしておいてしんぜよう」


 ちなみにこの衣裳、どうせティアの身元が表に出せないなら、侯爵家の情報や弱みを探るのに必死な連中が、調べたとしてもかえってどうにもならないようにしてしまおうと、サダマサと示し合わせた上で実際に着物を『お取り寄せ』して見本とした上で、それっぽい服を侯爵家お抱えの職人に作らせたのだ。

 色々な情報を混ぜてしまえば、知らない者にとってはどれが本当のものなのかわからなくなってしまうというヤツだ。諜報活動の基本である。


 本人もなんだか着物を気に入っているようだし、監修役にサダマサもいるので和風かぶれの外国人のいい加減さにはなっていない。これなら上出来だろう。


「ティア姉さま、素晴らしい衣裳ですね。とてもお似合いですわ。もうすこしその優雅さをクリスにも見習ってほしいものです」


 ベアトリクスは優しくイゾルデから自分から離し、貴族令嬢としての癖なのだろう、すぐに居住まいを正して貴人に礼儀を見せる。


「褒めてくれるのは嬉しいが、あまり言うてやるでないベアトリクスよ。この家の者たちに常識を求めるのは無駄じゃろうて」


「お姉さま……」


 どこかからかうような笑みを浮かべたティアの言葉を受けたベアトリクスは困惑を深める。それを眺めるティアは苦笑しながら繊手を掲げて続きを制する。


「よい、そうかしこまるでない。そなたは少し真面目に過ぎる。妾はこの家では客人に過ぎぬのじゃ」


 元々、貴人として教育を受けているベアトリクスは、それが本来であれば当たり前なのかもしれないが、ティアに対してかなり丁寧な接し方をする。

 本人曰く、俺やサダマサのような脳筋じみた方法で友誼を結んでいないかららしいが、それはそれで何気に失礼な物言いである。


「……そなたから見て、クリスやイゾルデのそれが貴族という身にそぐわぬ振る舞いをしておるのはわかる。じゃが、そういった作法も別に家の中にまで持ち込むものでもなかろう。そなたももう少し肩の力を抜くことを覚えるがよいぞ。そんな調子でクリスと共に居ては、それこそ身体がいくつあっても足りぬでな」


 まるで母親みたいなことを言うんだなと思ったが、年齢部分を茶化したらマジで殺されかねないので心の奥底に留めておく。


 しかしながら、こういうフォローをさりげなく入れてくれるあたりはさすがだ。

 人間のように感情的になって嫉妬を覚えるわけでもなく、社会の中に入っていこうとする存在だとわきまえた上で、まだ成長の途上にあるヒト族の少女たちの導き役となってくれている。

 俺は恵まれている、そう素直に思う。


「そうですね。日々身に染みております」


 ……婚約者相手なのだから、もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいと思うんだけどなぁ。


「しかし、どうしたんだ? いつもはみんな総出でこんな風に出迎えなんてしないだろう?」


 心当たりがあるとすればダンジョン踏破の件となるが、その情報が外に漏れるにはまだそれなりに時間がかかるはずだ。


「そうじゃな。要件を言うのが遅れた。先ほど、そなたが設置した無線で連絡が来たのじゃ。ヘルムント殿が数日後よりこの屋敷に移って来るとな」


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