第18話 水くせぇこと言うんじゃねぇよ
「なぁ、クリス」
話もこれで終わりかと思い、椅子から立ち上がろうとしたところで、不意にヘルムントが声をかけてきた。
「はい」
「これだけは聞いておかねばならないと思ったんだが、君はなぜ、私たちに素性を打ち明けてまで協力してくれる気になったんだ?」
いきなり核心に切り込んできた。
「さわりを聞いただけでも、成長して分家筋となってからだって帝国中枢部に食い込めるだけの知識や能力を持っているだろうに。そこがわからない」
俺としてはこのまま
突然のことに一瞬思考が停止しかけるが、俺は紡ぐべき言葉を脳内で組み立てながら、再び覚悟を決めて口を開く。
「……私は一度死んだ身です。そこから別の世界に転生させられ、条件のようなものまで付けられているとなれば、もはや安穏など望むべくもないと思っていました」
俺は一旦そこで言葉を切る。
「でも、あなたたちは私を深い愛を持って今日まで育ててくれた。それだけで私にとっては十分でしたし、いっそ世界に混乱をもたらすような知識のほとんどを封印して生きても良いとさえ思っていました。私にしてみれば、創造神との話とて所詮は口約束程度のもので、絶対に履行しなくてはいけない契約にはなっていませんでしたしね」
少し自嘲気味なセリフになってしまったなと、俺は小さく溜息を漏らす。
死んでからこの方、なるべく前世のこと、特に俺自身の身辺に関わることは考えないようにしてきた。
それが今、自分自身の立ち位置が微妙になったところに至って、郷愁の感情とでもいうかのように思い起こしてしまったのだ。
あの世界に置いてきた家族のこと、恋人のこと、戦友のこと……。
だが、もう顔がはっきりと思い出せなくなりつつある。たった6年程度だというのに。
俺とあの世界との繋がりは、香も簡単になくなってしまうものなのだろうか。
「では、なぜこのような行動に?」
俺の浮かべる表情に何か思うところでもあったか、今度はブリュンヒルトが尋ねてくる。
聖堂教会に属する彼女の前で、主神を愚弄するともとれる言葉を口にしたが、その表情に怒りの色は含まれておらず、ただ俺に真意を問い
余計な思考にはまりかけていた俺にとっては非常にありがたい行動だった。
「イゾルデが
「そうしなかったのは、協力者の痕跡ですね?」
そう、イゾルデの誘拐に関わった人間がオスヴィンだけであれば、オスヴィンを始末した後イゾルデの救出はヘルムント達に任せて、俺は証拠を隠滅した後で山の中を迷っていたことにでもすればよかったのだ。
だが、そういうわけにはいかなくなった。
どうもあの礼拝堂には、オスヴィン以外の異端派が少し前までいたと思われる形跡があったこと、さらにはオスヴィン自身がそれを匂わせる発言をしており、ソイツがオスヴィンからイゾルデに関する情報を異端派中枢部に持って帰った可能性が極めて高いと考えられたためだ。
もはや、オスヴィンひとりを始末した程度で、イゾルデの持つ魔法への高い素養を隠しきることはできないところまできており、彼女を物理的にも政治的にも守るためには侯爵家ごと巻き込んでいくしかないという考えに至ったのだ。
「白々しく聞こえるかもしれませんが、私にとってイゾルデは大事な『家族』です。その『家族』をあらゆる意味で害そうとする存在は、この世界から排除しなければならない。そう思ったがゆえに、こうして私が今まで隠してきたことをおふたりにお話ししたのです」
結局、俺がこうすることさえ、創造神の望む道を歩くことになるわけだが。
「……俺はな、クリス」
「はい」
少し逡巡するようにして放たれたヘルムントの言葉。
その一人称が、先ほどまでの会話のものよりも砕けたものへと変わっていることに俺は気がついた。
あえて言葉に出しての説明はしていないが、侯爵という立場から個人の立場になって話すということなのだろう。
試されているというわけではないだろうが、そういうものを含めて察しろと言われているように感じた。
……もしそうなのであれば、俺もそれに応えなくてはならない。
「まぁ、その、なんだ。こういう話をするのは、お前やレオが成人する頃かなって思っていて、今いきなり話すってなったからまとまってないかもしれないが……」
気恥ずかしいという感情なのだろうか。
頬を指で
少しだけ考えをまとめるようにすると、彼は意を決したのか小さく息を吐いてから口を開く。
「俺は両親を流行り病で早くに亡くしている。おかげでこの家は滅茶苦茶になった」
「あの時は本当に大変でした」
ブリュンヒルトも小さく笑いながら頷く。
「なまじ大きな貴族家だったからな。たまたま若い叔父が後見人になってくれたから良かったが、下手すれば没落していたかもしれん。実際、ヤバいと思うことも何度もあったし、爵位なんて飾りみたいになったことすらある。何かあった時のためにと、ヒルトにはレオくらいの年齢から聖堂教会に入ってもらうことにもなったしな」
傍らに座っていたブリュンヒルトへ向けるヘルムントの視線には、『家族』へ向ける親愛の情以外にも、苦労をかけさせたという感情からか
ブリュンヒルトも口にこそ出さないが、それは承知した上でもう気にしていないという顔をしていた。
これも、長い時間を経ても深い絆を保ち続けることができたからこそ成り立つ距離感なのだろう。
「だからか知らんが、自分に『家族』ができたら、普通は貴族的な振る舞いとか教育とかしなきゃならないんだろうが、何よりもまずひとりの人間として大事にしてやりたいって思った。そりゃ人間いつ死ぬかわからないからな。自分が味わったようなことを子どもに経験させたくないってのもあった。まぁ、お前も家族を持ったら、貴族とか立場とかあるかもしれんが、そういうモノよりもまず『家族』の温かみってのを教えてやって欲しい」
……ん?
「……あー、兄上? 後半部分は成人した子どもに話すような内容になってますよ?」
俺の覚えた違和感をブリュンヒルトも覚えていたらしい。
確かに、ヘルムントの話してくれたことは素直にいい話だと思う。
だが、なぜに6歳の子ども相手に結婚前夜の親子の会話みたいな話をしているのだろうか、この親父殿は。
「……あ。あー、いやー、なんだ? クリスの中身は俺とそう変わらないくらいらしいものだから、つい……」
あ。とか言うな。
せっかくいい話になってたのにと言いたげな俺とブリュンヒルトからの微妙な視線を受けて、再びしどろもどろになりかけるヘルムントだが、小さく咳払いをすると俺を再度見据える。
「正直、イゾルデが攫われた時、俺はすごく取り乱しかけた。マリーが卒倒しなければ、俺にあのタイミングで冷静な判断ができていたかはわからない。そして、クリス。お前が行動してくれなければ、きっと取り返しの付かないことになっていたと思う。本当にありがとう。お前が俺たちをどう思っているかはわからないが、すくなくとも俺はお前を『家族』だと思っている」
その言葉に、俺は一瞬言葉を失った。
「……もったい無いくらいの言葉です。ですが、正直に言ってしまえば、私──俺には負い目があります。結果的にはあなたの次男に成り代わっているようなものですから」
俺の言葉に、ヘルムントとブリュンヒルトは顔を見合わせ、一瞬困ったような表情を浮かべる。
それから、少しだけどういう言葉を放つか選ぶ時間が欲しいとばかりに、ヘルムントはここにきて少しぬるくなりつつあった紅茶で唇を湿らせると、おもむろに口を開いた。
「貴族ってのはな、俺が言うのもなんだが業の深い生き物だ。権力という猛毒に吞まれて身内同士で殺し合うなんて枚挙にいとまがない。骨肉の争いっていうんだろうな。イヤってほど見てきたよ。それなのに、転生者っていう負い目があっても
水臭いことを言うなとばかりに笑みを浮かべるヘルムント。
横ではブリュンヒルトも同じような顔をしている。
そして、ふたりの瞳にある感情は、俺の気のせいでなければ『家族』に向けるそれと同じものであった。
たしかに、何をしなくても血縁上は俺とヘルムントは家族として扱われる。
だが、そんなある意味では表面上のものではなく、それ以外の特異としか言いようがないどころか厄介の種とすら言える要素さえ理解し受け入れてくれた上で、ヘルムントは俺を『家族』として見てくれているのだ。
そうわかった瞬間、俺はやっと、そして今さらながらにヘルムントたちと『家族』になれたような気がした。
「俺も……」
不意に、少しだけ目頭が熱くなった気がして言葉に詰まる。
なぜだかわからない。
きっと肉体年齢に精神年齢が引っ張られているのだろう。いや、ガキだから目周辺の筋肉が未発達なのだ。きっとそうに違いない。
「俺も……あなたのことを『家族』だと思っています、親父殿」
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