44 夏祭りに行ったんだが
夕方であるにも関わらず目の前の通りは賑わっていた。通りの両端には等間隔で出店が並んでおり、どこか別の世界に迷いこんだのではないかと錯覚するほど俺にはその光景が異様に見えた。
「祭りなんていつ以来だろうな……」
俺が眼前に広がる光景に感嘆していると突然後ろから肩を叩かれる。
振り返れば椎名えりの姿、彼女は何かを聞きたそうな顔をしていた。
「何か用か?」
しかしそんな彼女に俺が声をかけると彼女はどこか慌てた様子で俺から目を剃らす。
「やっぱり何でもないわ……」
「お、あそこで浴衣を着付けてくれるサービスやってるって! 早く行こう!」
「おい、ちょっと待てって!」
椎名えりの方も気になるが先に行ってしまった向島葵を放っておくわけにもいかない。
一先ずは向島葵を見失わないように一人先に行ってしまった彼女を視線だけで追いかける。
「あ、葵ちゃん走らないでくださいよ!」
「走ったら危ないわよ!」
しかし俺とは違い他の二人はすぐさま彼女を追いかけてしまう。
この状況で俺だけ留まっているわけにも行かず……。
「仕方ない、俺も行くしかないか」
結局俺も三人に続いて浴衣を着付けてくれるという旨がかかれた貼り紙の指す方向へと向かった。
貼り紙が指定していた場所に来てみると、そこは普通の和服店だった。
店内は見渡す限り人、人、人の大混雑。中の人ほとんど全員が浴衣を着ていることからここが浴衣を着付けてくれる場所で間違いはないようだ。それにしても無料で貸し出し、着付けまでやってくれるとは宣伝にしてもかなり太っ腹である。
「おーい、そこで何やってるのさ! 早く早く!」
急かすような声に顔を向ければ、そこには店員らしき人と一緒にいる連れの三人がいた。
遠目から見るに浴衣の柄でも選んでいるのだろう、店員の持つパネルに俺を呼ぶ向島葵以外の二人が釘付けになっている。
「勝手に走って行くなよ、ただでさえ人が多いんだから」
俺は彼女達のもとに向かうと同時に向島葵にそう注意する。
「拓也まで説教? もう二人ので聞き飽きたよ」
そのあとに続いた向島葵の『そんなにカリカリしてるなんてカルシウム不足?』という発言にうるさいと一喝した俺は店員が持つパネルに目を向けた。
「そういえば向島は浴衣選ばないのか?」
「そうだった、私まだ浴衣選んでないや。拓也も何か選べば?」
「俺が浴衣か?」
いやないだろ、似合わないだろと俺が心の中で思っていると、どこからか俺が浴衣を着ることに賛同する声が聞こえる。
「早坂君が浴衣ですか? 良いじゃないですか。この際全員浴衣で行きましょうよ」
「そうよ、一人だけ浴衣じゃないのも不自然よ?」
「いやでもな……」
俺が渋っているのには似合わない他にもう一つ理由がある。それは単純に恥ずかしさ、祭りで男が浴衣を着ているのをあまり見かけないのもそれにいっそう拍車をかけていた。
「どうしてそんなに嫌なんですか?」
「だって俺が着ても似合わないだろ……」
相坂優と話している最中に声が聞こえ、その声に耳を傾ければ、そこでは椎名えりが店員と何かを話していた。
「彼にはこの柄をお願いします」
というか俺が着る前提で浴衣の柄を選んでいた。
「おいちょっと待て!」
勝手に何やっとるんじゃいと言わんばかりにすぐさま彼女を止めるが店員はもう動き出している。
既に遅かった。
「何かしら?」
「何かしらじゃないだろ。俺が浴衣を着るっていつ言った?」
「確かに口には出していないわね。でもあなたに浴衣を着てほしかったから仕方なく……」
「願望かよ!」
「ほらもう準備が出来たみたいよ」
これ以上彼女に話を聞く気はないようで、その言葉を発した彼女はそれからすぐに浴衣を持った店員のもとへと向かった。
まぁ今からキャンセルして店員に迷惑をかけるわけにもいかない。
腹を括った俺は渋々彼女のあとについていった。
◆◆◆
大きな道路を埋め尽くす人だかり、近くの海にいた人達がそのまま祭りに来ているのか、ほとんどが日焼けをしている。
大きな道路にいる人達の話し声と道路端にずらりと並んでいる出店の店主と客の会話で辺り一帯がかなり混沌とした喧騒に包まれる中、俺はとある出店でたこ焼きを購入していた。
道行く人達が並んでいる俺を興味津々に見ているが気にしたら負けである。
「いらっしゃい! 兄ちゃん。いくつだい?」
「二パックで」
「はいよ、二パックで千円だよ」
やはり男で浴衣を着ているのが珍しいのだろう。
店主も口には出さないが物珍しそうに俺を見ていた。
大丈夫、注目されるのは始めから分かっていたことだ。いずれこの視線にも慣れる。
「まいどあり!」
そんなことよりも俺は早く集合場所に向かわなければならない。
予定していた時間より既に十分以上もかかっているのだ。
それぞれで出店の食べ物を買ってシェアするということだったが、この調子だと集合場所に着くのはかなり遅くなる。SNSで一応連絡は取れるようにしているのだが混雑の影響か使えず。
それならと唯一俺が知っている椎名えりの電話番号に電話をかけて状況を説明しようとしてもスマホをバッグの中にしまっているのか繋がらない。
となれば他には急いで戻るしか方法がなかった。
「走るしかないか」
浴衣の裾を上げ、少しでも動きやすくした後、集合場所へと急いで向かう。
走りとはいかないまでも歩きよりは幾分かマシな速度で進んでいると俺から見て左手──ベンチがいくつかあるだけの公園のベンチに見知った人が座っていた。
「あれは相坂か?」
歩みを止めて目を凝らすと確かに相坂優、本人だった。しかし何故だか様子がおかしい。何か問題でも起きたのか確認の意味も込めて彼女のもとへと向かうと、彼女も俺に気づいたようで慌てて笑顔を作り、こちらに顔を向けた。
「ここで会うなんて偶然ですね。早坂君はたこ焼きを買ったんですか」
彼女の何かを隠すように浮かべたぎこちない笑みに違和感を覚えた俺は彼女に問いかけた。
「何かあったのか?」
俺の問いに彼女は『何でもないです』と返すだけだったが俺はそのとき彼女が向けた視線の先を見逃さなかった。
「ちょっと見せてみろ!」
「い、いきなりなんですか!?」
彼女は左足をベンチの下に入れて俺から逃れようとするが、彼女の足首を掴んでそれを止める。
「やっぱりな、鼻緒でずれたか」
俺が掴んだ彼女の足首の先──足の親指と人差し指の間は赤く腫れていた。
慣れない下駄を無理して履いたのが災いしたのだろう。
「大丈夫です。このくらい……うっ!」
彼女は痛みに耐えるような声を上げながら顔を歪ませる。この様子を見て大丈夫だと思えるほど俺も馬鹿ではなかった。
「とりあえず背中に乗れ。おぶってやる」
「背中に乗れって……無理です。私そんなこと出来ませんよ!」
彼女は赤い顔で『そんなこと出来ません!』と何度も繰り返しながらブンブンと両手を振る。
確かにおぶられること自体恥ずかしいとは思うが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「お願いだ、相坂はもし俺が怪我をしてたら置いていくのか?」
「それは……」
彼女はそれから少しだけ考えるような素振りを見せ、遠慮がちに両手を俺に向けて伸ばした。
「あまりこっち見ないで下さい。恥ずかしいです」
「分かった、しっかり捕まってろよ」
「はい……」
顔を赤くする彼女に背中を向け、彼女をおぶった俺は公園から出店が立ち並ぶ人の多い通りへと出た。
それから少ししてもうすぐで集合場所へと着こうとしている頃、人気が少ない路地に入った俺は今更ながら緊張していた。よくよく考えたら今俺は女の子を背負っているのだ。
首筋に当たる吐息、背中に押し付けられる柔らかいナニカ、漂ってくる良い香り。どれも俺の思考をかき乱してくる。
「あーやっぱり人が多いと疲れるよな……」
とにかく何か話をして誤魔化そう、そう思った俺が口を開いた直後、背中にいる相坂優の吐息が俺の耳元に当たった。
「私、やっぱり早坂君が好きです……」
突然かつ、いきなりの言葉に俺は何も言葉を返すことが出来ない。
彼女が俺の肩に顔を埋める中、俺は彼女をおぶったまま、ただその場所で立ち止まっていた。周りは静かで出店が並ぶ通りのような喧騒は一切ない。
ただ唯一、ドクドクと鼓動する俺の心臓の音だけが鳴っていた。
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