25 暑さにやられたんだが

 この頃よく続いている雲一つない快晴の空。

 空の下にあるアスファルトの道路は当然夏の強い日差しをもろに受けている。

 そんなアスファルトから立ち昇るモヤモヤとした空気で頭がボーッとする中、俺は家を目指して歩いていた。隣に美少女を連れて。

 そして同時に後悔もしていた。隣に美少女を連れていることを。


「どうかしたの? もしかして……」

「いや、大丈夫だ」


 俺は今、ビニール袋を挟んで隣にいる美少女──椎名えりと手を繋いでいた。

 いや正確には手を繋いでいるわけではない。

 それぞれ品物が入ったビニール袋の持ち手を掴んでいるだけだ。

 だがこれはなんというか、とてつもなく、想像していたよりも恥ずかしかった。

 時折すれ違う人に微笑ましい表情をされるのはまだ耐えられる。

 通りすがった子供に『あの人達付き合ってるの?』と指を指されたときは流石に恥ずかしくなって椎名えりの顔をまともに見れなかった。

 往復するのが嫌で椎名えりの厚意に甘えたがこれなら素直に往復していた方がマシだったかもしれない。


「本当に大丈夫なの? さっきからボーッとしてるわよ」


 そう言って椎名えりは俺の顔を覗き込んで来る。

 心配してくれているのはありがたいんだが、いかんせん顔が近い。

 彼女の髪の匂い、吐息が鮮明に感じられるほどの近さである。


「本当に大丈夫だ! ほらもうすぐ家だぞ!」


 自分の顔が真っ赤になるのを感じながら俺は慌てて椎名えりから距離を取る。

 明らかに不自然な行動だが、そうでもしないと頭が暑さと恥ずかしさでおかしくなりそうなのだから仕方ない。


「そうね、じゃあ早く行きましょうか」


 家まで残り数十メートルのところで椎名えりと共にラストスパートをかける。

 そしてようやく家の前にたどり着いた俺は玄関の扉を開け椎名えりを家に招き入れた。


「お邪魔するわね」

「まぁ少し休憩でもしていってくれ」


 仕事を手伝ってくれた人に対して用事が済んだから帰れ、なんていう非常識な言葉はかけない。

 一先ず冷たいお茶だと椎名えりよりも先にキッチンへと向かおうとしたところで急な目眩が俺を襲った。

 それから歪む視界、平衡感覚もおかしくなり咄嗟に膝をつく。


「早坂君! 大丈夫なの!?」


 最後にそんな言葉が聞こえたところで俺の意識は途切れた。


◆◆◆


 目を開けると自分の部屋の天井が見える。

 顔には水滴のようなものが伝っており、それを手で拭うと額から何か白いものが床に落ちた。

 それを拾うために起き上がると今度は部屋の扉が開く。


「あ、もう大丈夫なの? お兄ちゃん」


 そう言って部屋に入ってくるのは妹の夕夏梨。

 その手には水の入った桶を持っている。


「どうして俺はこんなところで寝てるんだ?」

「覚えてないの? お兄ちゃんを二人で運ぶの大変だったんだから。ホント勘弁してよね」


 夕夏梨はよくも迷惑かけてくれたなと言わんばかりのキツイ視線で一瞬だけ俺を睨み付けるが、その後すぐに心配そうな表情へと切り替わる。

 一見怒っているのか、それとも心配しているのかよく分からないが床に転がるタオル、そして夕夏梨が持つ水の入った桶を見る限り怒っているということはなさそうだ。


「状況がまだ飲み込めてないんだが」

「倒れてたんだよ。玄関で」


 玄関……そういえば夕夏梨に頼まれてスーパーに買い物に行ったな。

 その後椎名えりを連れて家に戻ってそれから冷たいお茶を持ってこようとして。

 

「そうか、だから玄関で倒れてたんだな」

「やっと思い出した? 多分熱中症だよ。水分補給はしっかりしてっていつも言ってたのに」

「すまん、心配かけたな」

「別に私は心配なんてこれっぽっちもしてないけどお姉さんがね」


 夕夏梨は俺から視線を外し、初めから心配なんてしていなかったと言い張るが表情は今もなお部屋に入ってきたときのそれだ。

 まぁなんというかそれなりに心配をかけたようである。


「ところでアイツはまだいるのか?」


 だとすれば椎名えりにもそれなりに心配をかけているはずだ。

 彼女にも一言言っておいた方が良いだろう。


「アイツって……お姉さんでしょ? お姉さんならまだ下にいるよ」

「ああ、分かった」


 ベッドから立ち上がると何故か体の所々に痛みを感じた。

 確かに熱中症で体が怠くなる、筋肉痛になるというのは聞いたことがあるがこの痛み、筋肉痛というよりはどこかで打ったようなそんな痛みなのだ。

 そういえば俺が意識を失ったのは一階の玄関、ここは二階だ。

 もしかしてこの痛みはそのときに。


「夕夏梨、一つ聞いていいか? 体が痛いんだが運ぶときにどこか打ったか?」


 俺の質問で突然目を泳がせる夕夏梨。

 妹の反応を見る限りどうやらそういうことらしい。


「大丈夫、頭だけは打ってないから」


 頭だけは打っていないという言葉に安心して良いのものなのか、安心したら駄目なものなのか判断に困るがこうして無事に動けるので生死に関わる部分はしっかり守ってくれたのだろう。

 それに具体的にどこを打ったかなんて聞きたくもない。


「そうか、それなら良かった」


 助けられた身としてもっと丁重に扱ってくれなどと言えるはずもなく。

 一先ず俺は夕夏梨にその一言だけを返し一階へと向かった。



 階段を下りるとリビングに人の気配を感じた。

 夕夏梨はまだ二階にいるので先程夕夏梨が言っていた通りこの先には椎名えりがいるのだろう。

 心配をかけた身としてはまず無事を伝えることが最優先。

 俺はすぐさまリビングに繋がる扉のノブへと手をかける。


「今日は色々迷惑を……」


 それから恐る恐るリビングに入ると軽快な音楽が俺の耳に届いた。


「ちょっと逸れたわね。でもまだ挽回できるわ」


 俺の前方、テレビ前のソファーには椎名えりが座っていた。

 彼女はテレビの画面を凝視しており、その手にはゲームのコントローラが握られている。

 そんな彼女の見慣れない光景にもう一度テレビの画面へ視線を移すとそこでは個性的なキャラクター達がカートに乗って競うことで有名なレースゲーム、『ナリオカート』通称ナリカーのレースが今まさに繰り広げられていた。

 そう、椎名えりは我が早坂家のリビングでナリカーをしていた。


「あそこで爆発しなければ一位を狙えたわね」


 しばらくしてレースを終えた彼女はやや不満げにレースを振り返っている。

 彼女の様子をみるにレースの結果はあまり望ましいものではなかったようだ。


「えーと」

「あら早坂君じゃない。気がついたようで良かったわ。それとゲーム機借りてるわよ」


 椎名えりは俺に気づくとそう声をかけてくる。

 俺が『おう』と返事をするも束の間、続いて彼女は俺をナリカーに誘ってきた。


「そういえばこのゲーム二人でも出来るらしいのよ。一緒にどうかしら?」

 

 あまり心配されていなかったことに関しては多少複雑ではあるがそれでもやはり心配してたと言われるよりはずっと気が楽だ。


「俺は速いぞ?」

「面白いわね」


 ともかく俺は彼女の誘いに乗ることにした。

 誰かがやっているのを見ると自分もやりたくなる、それがナリカーである。

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