22 膝枕されてたんだが

 それは遠い昔の記憶、とある夏の日の懐かしい匂いのする公園でのこと。

 その日はいつものように少女と遊んだ後、少女と共に公園内の木陰のベンチで休んでいた。


「今日も楽しかったね!」


 木陰にいてもなお太陽のような輝きを失わない少女の笑顔に少しドキッとしながら僕はそうだね、と一言返す。


 このままこの時間が永遠に続けば良いと思っていた。

 ずっとこうして毎日過ごせたらどんなに楽しいだろうかと。

 しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に先程まで笑顔を浮かべていた少女はどこか暗い表情をしていた。

 僕が見ていることに気づいたのか少女はゆっくりと口を開く。


「実はね、もうすぐお別れしなきゃいけないの」


 その言葉に僕はどうして? と少女に聞き返す。

 もちろんこれは少女と離れたくない一心での言葉だ。

 それに対して少女は顔を俯けた状態でポツリと話し始めた。


「お母さんと一緒に遠くのお家に帰らないといけないの。だから遊べるのは夏の終わりまで」


 僕は何も言えなかった。

 だってそれだとあと三日しか遊べない。

 そんな僕の表情を見てか少女は再び笑顔を浮かべて僕の肩をポンポンと叩く。


「大丈夫、今度もまた会えるよ。そのときにまた遊ぼう?」


 少女の言葉、笑顔に反する悲しそうな瞳と寂しげな仕草に僕は思わずあらぬことを口走ってしまった。


「だったら次会ったときは僕のお嫁さんになってよ!」


 自分が失言をしてしまったと理解した途端に顔がカーッと熱くなる。

 一体何を言っているんだとは思うものの実際にそう思っていたのは事実。

 どんな答えが返ってきても受け止める覚悟を決めた僕は赤い顔のまま、まっすぐに少女の目を見る。

 対して少女も恥ずかしかったのか顔を赤くして顔を俯けるが、その後すぐに小さな声で返事をした。


「うん、分かった。約束よ?」


 そう言って小指を差し出す少女の仕草があまりにも眩しくて僕は咄嗟に顔を背けた。


◆◆◆


 やや冷たい風が頬に当たる。

 続けて後頭部に伝わる温かい感触。

 その状態に俺はふと目を開ける。

 視界に入ってくるのは二つの丘。

 それも何故かアルファベットのWのように逆さで映っている。

 そんな不思議な光景に興味本意で手を伸ばすとポヨンという柔らかい感触が返ってきた。


「スライム?」


 妙に弾力のあるスライムだなと何度か触っていると時折そのスライムから声が聞こえてくる。

 それでも何度か触っていると徐々にその声は艶かしいものへと変わっていった。

 スライムから発せられたまるで人間みたいな声に俺は一度そのスライムに触るのを止める。

 徐々に回転する頭、段々と状況を理解していく。


 これってもしかしてスライムじゃなくないか?


 なんとなく見覚えのある形、なんとなく知っている感触に最近触ったような触っていないような既視感に陥っていると、どこからか声が聞こえてくる。


「ようやく気がついたようね、早坂君。お楽しみのところ悪いのだけれどそろそろ止めてもらえるかしら?」


 その声で俺の頭は完全に覚醒した。

 そして同時に理解した。

 声の主が椎名えりだということ。

 先程まで俺の触っていたものが彼女のあれだということを。


「いや、これは違うんだ。起きたら目の前にあったからスライムだと思ったんだ」


 我ながら何を言っているのか分からないが、わざとやったことではない。

 少なくともこれだけは分かって欲しい。


「別に良いのよ。私は気にしてないわ」


 気にしてないという言葉に安堵を覚えると同時に少しは恥じらってくれてもいいんじゃないかという謎の不満が頭の中に浮かぶ。

 だがそれは頭が覚醒したときからずっと気になっていたことによって全て掻き消された。


「なあ、聞いていいか?」


 ずっと気になっていたこと、それは俺の体勢。

 現在俺は横になっている。

 まぁこれは気を失なっていたのだから当たり前、寧ろ直立した状態で目覚めていた方が怖かった。普通に夢遊病を疑う。

 問題なのは俺の後頭部に当たる柔らかくも温かい何かと目を開ければ見える椎名えりが所有する二つの丘。

 もしかしなくてもこれって世間一般でいう膝枕ってやつなんじゃないか?


「何かしら? 胸の大きさを聞くつもりならセクハラになるわよ?」

「違う、俺が聞きたいのはこの体勢だ。もしかして俺って膝枕されてるのか?」

「どこからどうみてもそうじゃない?」

「何で?」

「さぁ何でかしらね?」


 椎名えりはそう言っていつものように答えをはぐらかす。まぁ答えてくれないのは初めから分かっていた。

 と、ここで俺はあることを思い出す。


「そういえば安藤はどうなった?」


 俺の突然の質問に椎名えりは驚いた様子を見せることなく淡々と答える。


「彼女なら同じ部屋の人に付き添われて部屋に戻ったわよ」

「そうか、それなら良かった」


 それから俺は目を閉じる。

 これは別に膝枕を堪能したい……というわけではなく単純に疲れたから。他意はない。


 しばらくして頭に人の温もりが加わる。

 状況からみるにどうやら頭を撫でられているようだが心地よいため特に抵抗することはしない。


「何も出来なくてごめんなさい」


 目を閉じて休んでいると椎名えりから謝罪の言葉が降ってくる。

 そんな彼女の声音からは歯痒さみたいなものが滲み出していた。


「気にしなくていい」


 対して俺は適当に言葉を返す。

 といっても俺が思っていることも実際その言葉の通りなので本心といえば本心だ。

 しかし椎名えりはそれを皮肉と捉えたのか、聞き様によってはただの暴言とも取れる言葉が打ち返されてきた。


「あなたって相当な鬼畜野郎よね」

「あんたもな」


 反射的に俺も同じことを言い返す。

 だって俺が鬼畜野郎なら彼女は鬼畜マイスターである。


「良い意味での鬼畜野郎よ?」


 良い意味での鬼畜野郎ってなんだよとは思ったが声に出すことはしない。

 今までの彼女とのやり取りを振り返っても話すことが無駄なのは分かっている。

 それならばスルーするに限る。


「とりあえず少しの間だけでも休ませてくれ」

「そう……」


 話は戻るが一先ず安藤ひゆりの件についてはこれで良い。

 幸運なことに相坂優と安藤ひゆりはまだすれ違っているだけで完全に仲違いしたわけではない。

 ならば単純にそれを有耶無耶にすれば関係を戻せるのではないかという俺の浅はかな考えだが、俺が出来るのは彼女の敵となりその役割を果たすことまで。

 それが上手く行くかどうかは神のみぞ、いや二人のみぞ知ることだ。

 とにかくこれから先は彼女と相坂優、二人の問題である。


 これで借りは返したってことでいいよな……。


 体が夜風にさらされて寒さを感じる度に、より椎名えりの温もりを感じ取れるようになっていく。

 その温もりを堪能しているうちに段々と意識が薄れていき、俺は気づけば夢の世界へと旅立っていた。


◆◆◆


 宿泊学習が終わり、週が明けた月曜日の放課後。

 俺はいつものように部室に入り浸っていた。

 そこにはこれまたいつものように椎名えりもいる。

 しかし、今日はそんないつもの光景にいつものではないのが混ざっていた。


「早坂君はどうして部活動をしないんですか?」

「依頼がないからだ」

「それなら学校中を廻って依頼を探しましょうよ!」

「めんどい、一人でやれ」

「なんか冷たいです」

「気のせいだ」


 俺にやたらと絡んでくるこの人物──相坂優は俺が部室に来たときには既にいて椎名えりと一緒にお茶を楽しんでいた。


 一応言っておくと俺の知る限りであのあと安藤ひゆりの告白が実行されることはなかった。

 もしかしたら秘密裏に告白しているかもしれないがあんなことがあった後に告白するとは思えないので可能性としてはほぼないだろう。

 つまり結果的には安藤ひゆりの依頼は失敗に終わり、相坂優の依頼は成功裏に終わっていた。

 そして肝心の相坂優と安藤ひゆりの関係についてだが今日クラスで二人の様子を見ている限りお互い普通に話していたので結果としては上手くいったと言って良いだろう。

 まぁその代わりに俺は新たにクラス内で不名誉な地位を確立していたのだがそれはまた別の話だ。


「それよりもどうしてここにいる? 早く帰ったらどうだ?」

「そんなこと出来ませんよ。部活中です」

「だったらその部活に顔を出したらいいじゃないか」

「だから今出してるじゃないですか」

「ん?」

「はい?」


 どういうことだ? と椎名えりに視線を向けると彼女は自らのバッグの中から取り出した一枚の紙を机の上に叩きつける。

 机に置かれた紙を見るとそこには入部申請書の文字。

 そして名前の欄には相坂優の文字が記入されていた。


「マジか……」

「マジです」


 この怪しい部活に相坂優が何故入部しようと思ったのかは正直よく分からない。

 俺に分かるのはただ一つ、今日この日に彼女がこの部活の部員になったという事実だけだった。

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