20 仲直りしたんだが
日が落ち、辺りはすっかりと闇に包まれている夜の九時三十分、俺を含む多くの桜木高校の生徒は宿泊施設の玄関前に集まっていた。
目的はナイトウォーク、今回の宿泊学習で唯一自由参加の企画だ。
「それじゃ出来るだけグループ毎に行動するからまずはグループを作ってくれ!」
そんな教師の掛け声に逆らうように俺は玄関前から離れる。
向かった先はとある広場。
そこには既に一人の少女がいた。
「もう遅いよ。いつまで待たせる気なの?」
少女の正体は安藤ひゆり。
今からあの早見優人に告白する乙女な少女だ。
「それは悪かったな。でも俺は結構早く来たつもりだったが一体いつから待ってたんだ?」
「一時間くらい前かな?」
「一時間前!? いくら最近少し暑くなって来たからって夜はまだ冷えるだろ。風邪引くぞ?」
「うるさいな。大丈夫だよ」
そう言葉を返す彼女の顔はほんのり赤みを帯びていた。まさか本当に風邪とか引いてないよな?
「ちょっと待ってろ。今温かい飲み物でも買ってくる」
「もう、大丈夫だよ!」
安藤ひゆりは慌てた様子で俺を止める。
もしかして後でお金を請求されるとでも思ったのだろうか? そうだとしたら俺ってだいぶ信用されてないな。
「まぁ俺からの応援だ。もちろん奢ってやるから受け取っておけ。それで飲み物は何がいい?」
「そういうことなら……私コーヒー。ブラックで」
「ブラックって、飲めるのか?」
「飲めないけど」
「じゃあ何で頼んだ……」
「今はそういう気分なの!」
安藤ひゆりはふいっと顔を背ける。
本当に女子が何を考えているのか俺にはよく分からない。
「分かった。じゃあココア買ってくる」
「それ注文違うよ!」
「もし飲めなかったときに捨てるのは勿体ないからな。俺もブラックは飲めないし」
「じゃあもうそれでいいよ」
それから俺は飲み物を買うため広場を離れる。
自動販売機は建物の中にしかなく飲み物を買うためには一度建物の中に入らなければいけない。
建物の入口近くに来たところで靴を脱ぎ、急いで裏手にある休憩スペースへと向かう。
息を切らしながらもようやくたどり着いた休憩スペースには既に先客がいた。
「椎名……」
あれだけ探し回っていた人物だがいざ対面するとどうも狼狽えてしまう。
「飲み物を?」
「ああ」
対する彼女も俺と同じように狼狽えているのか言葉にたどたどしさを感じた。
一先ず目的を果たすために自動販売機の前まで行き、お金を入れてからココアのボタンを二回押す。
その後自動販売機から二つのペットボトルを取り出し彼女の方へと体を向けた。
「……」
しかしそれだけだ。
声をかけることはない。
というよりかける言葉が見つからないと言った方が正しい。
そんな俺を見て椎名えりは恐る恐るといった感じで俺に声をかけてきた。
彼女もこの空気はいくらか気まずいらしい。
「何か用事なの?」
「あ、いやその……」
上手く言葉が出てこない。
以前までなら簡単に色々な言葉が出てきたはずだ。
しかしどうしてか、今は上手く言おうとすればするほど頭の中から言葉が消えていってしまう。
そんな中やっとのことで絞り出した言葉はたったの四文字で構成されたシンプルなものだった。
「すまない」
きっとこれでは伝わらない。
一体何に対して言っているのか全く明確になっていない。
たった四文字の言葉で気持ちを伝えるには無理がある。
俺自身そう思っていた。
しかし実際彼女から返ってきたのは俺にとって予想外の、けれど半分望んでいた言葉だった。
「……私の方こそ悪かったわ」
彼女の言葉も一般的には言葉足らずという括りに分類される。
だがそれが昼の一件のことだと俺にはすぐ分かった。
つまりはそういうことだった。
謝るとき、言葉の選択はもちろん大事だ。
適切な言葉を選ばなければ誤解されてしまうことだってある。
しかし、それ以上に大事なのは気持ち。
本心から謝りたいという気持ちがなければ、どんな綺麗な言葉で謝っても、どんな上手い言葉で謝っても伝わらない。
逆に気持ちさえ込もっていれば、それが例えどんなに簡単な言葉だったとしても伝わる。
相坂優の言っていたことが今ようやく分かった気がした。
「……」
「……」
その後は無言の時間が続く。
謝れたのは良いものの次に何を話して良いのか分からなくなっていた。
「「あの」」
何か話そうと口を開くと向こうも同じように口を開く。
ただの偶然であるが俺は何故かこの状況が段々と面白くなっていた。
それはどうやら表情にも出ていたようで。
「顔が笑ってるわよ」
「あんたもな」
そういう椎名えりも俺と同じように笑っていた。
コロコロと笑う彼女はまるで無邪気な子供のようで普段とのギャップに思わず見とれてしまう。
俺が無言で彼女の顔をじっと見ていたからか彼女は冗談っぽく俺に問いかけた。
「もしかして見とれてた?」
「うるせぇ」
彼女の言うことが図星だったため俺は何も言い返せずただそう誤魔化すことしか出来なかった。
◆◆◆
椎名えりに短く別れの言葉を告げた後、俺は広場で待っているであろう人物のもとへと急いでいた。
ここで待っている人というのはもちろん安藤ひゆり。
急ぐのも夜に女の子を一人外で待たせるのが心配だからである。
決して拗ねたら面倒くさそうと思ったからではない。本当だ。
「おーい、飲み物買って来たぞ……?」
広場につき、安藤ひゆりの姿が見えたところで彼女へと声を掛ける。
てっきり一人で待っていると思っていたのだがそこには安藤ひゆりの他にもう一人いた。
「相坂か?」
顔は薄暗くてよく見えないが立ち姿から相坂優であることは分かる。
一体何をしているんだ?
そう疑問に思ったところで彼女の依頼した内容が突如として頭の中に浮かんだ。
安藤ひゆりの告白を阻止する。
もし今二人で話しているのがそれに関係することだとしたら……。
それだけは勘弁してくれと願いつつ二人のもとへと向かう。だが時は既に遅かった。
「……だからひゆり、このままだと告白は成功しないと言ってるんです。分かってくれますよね?」
「なんで……なんでそんなこと言うの?」
「ちょっと待って下さい!」
俺が二人のもとにたどり着いたときにはもう何もかもが終わっていた。
建物の方に走り去っていく安藤ひゆりと顔を俯けて地面を見つめる相坂優。
これを見て何も起こらなかったと判断するのは少々無理があった。
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