魔法のありか

みどりこ

第1話 1時間目は作文の時間

この世に魔法があるとしたら?



そんなテーマを与えられて作文を書いた事を思い出した。


小学校の五年生で、うす茶色のプリントにはいくつかの例文と、『想像力が羽ばたく』という面白味のない一文が添えられていた。

シャーペンの尻で顎をつつきながら、ははぁ。と私は気が付いた。

オトナたちは私たちに、とびきり幻想的な突拍子もない文章を書いてもらいたいのだ。

子供はこうでなくちゃ。夢があっていい。と、なんと言ったっけ…そう、感傷にひたりたいのだ。

まあ、これは乗ってあげるべき。そうしたら大人たちに喜んでもらえる。

誰でもそうだろうけど、わたしも誉めて貰うのは好きだ。少なくともがっかりされるよりは。

イイコぶって点数稼ぐのは嫌だけど、たまにはそうするのも悪くない。何事もバランスだ。


だいたいわたしはそういう子だった。

読書感想文にはその本の山場、文章が目配せするままに、大人が好きそうな感動的な言葉を書けばいい。イベントごとがテーマなら……そう、例えば運動会や、合唱祭……だったらそれまでに練習で頑張ったことや、本番での緊張と、『素直な』自分の気持ちを書く。

それと終わった後の成果に関わらず達成感。そのあたりをそこそこまとめておけば、先生や親はいちころだ。


そう。見え見えなのよ。

お気に入りの赤と白のチェック柄ペンケースからおろしたての消しゴムを引っ張り出す。


わたしは夜空をかける流れ星と見渡す限りのつやつやした真っ黒な布を滑り降りる子供達のキラキラした笑い声をかけて書いた。

マジカルでキラキラ。うん。

あまり小難しく書いてはいけない。大人びた子供は好かれなくて、無邪気な『子供らしい』子供が好かれるんだから。


なかなかうまく書けた。

三十代半ばくらいで焼けた肌が冬でも暑苦しい担任の先生は、わたしの原稿用紙を受け取ると嬉しそうににこにこして、わたしは誇らしかった。


みんなもそれなりに頭をひねって魔法らしい現象をそれぞれの視点から書き連ねた。

授業も残り十五分ほどになり、先生の机には原稿用紙が山になっている。


「後はお前だけか。珍しいな」

ちらっと時計を見て立ち上がり、紙をとんとん合わせながら言った先生の視線を追って、わたしはちょっと驚いた。

ちょっとではなかったかもしれない。


そこに居たのはあいつだったからだ。教卓から遠い一番後ろの席。このクラスで私と同じくらい勉強ができて、走るのも同じくらい速くて、同じくらいの人数友達がいて、この夏は水泳で決着を着けよう、望むところだ!……のあいつ。

いつもなら作文もほとんど同時に書き終わって今ごろライバル同士の目線を交わしているはずだった。


だがあいつは鉛筆を握りしめた片手を白い原稿用紙の上にどっかり置いたまま、不機嫌そうにもうちょっと。

と低く言った。


あと十五分で何ができるだろう。まともな文章になるかどうかも怪しい。

わたしは席に戻りながらあいつを睨んだ。分からないけど、とにかくあいつの真っ白な原稿用紙にイラッとした。

何の約束もしていなかったが、手酷く裏切られたような気がしたのだ。


あんたって、その程度だったの!?


あいつの目線が教室の向こうからこっちに向いた。


鋭くて大きな目。無造作に見えるほど適当に短くしたカットの髪だけど、日が透けて黒にグレーが混じる不思議な色合いを見せている。

尖らせた口で何か言った。

得意がるんじゃねーとか、みてろよ、とか可愛くない言葉だ。


わたしは頬杖をついてニヤリと笑ってやった。

あいつはたちまち眉を逆立てて口を引き結ぶと、凄い勢いで原稿用紙を埋め始めた。


先生が書き終わった人用に黒板に漢字を書き始めたけれど、わたしはずっとあいつを見ていた。


なにを書くんだろう。

こんな短時間で何を思い付いたんだろう。

机を削るような勢いで作文を書くあいつ。もう原稿用紙以外には目もくれず消しゴムはついに一度も使わなかった。


チャイムと同時に書き終わったあいつは片手で力作をひらっとつまみあげ、大股に先生の机に歩みより、紙の山の一番上に綺麗に伏せた。


「珍しくギリギリだったな。じゃあみんな、これは来週の授業で返すからなー」

先生は紙束やプリントを持って出ていった。

休み時間だ。皆が一斉に動き出す。わあっと周りのボリュームが上がる。

…あいつはまだ教卓のところにいた。

変な顔をしている。

なんだか後悔しているように見えた。

私はそれを、間に合わせの適当な作文を書いてしまったからだと思った。

「さっきはどうしたの。なに? ついに私に負けたかった?」

「うるせ」

いつもならここでバシバシと言い合うのに、あいつはさっさと廊下へ飛び出して行ってしまった。

変だ。


「ちょっと、何その態度!」

私も追いかけて廊下に出た。すぐにダッシュしたのか、あいつはもう廊下にはいなかった。こんな時だけ逃げ足が速い。

私は廊下側の窓に飛び付いた。もしあいつが一階に行ったなら、すぐ下の渡り廊下を通るかもしれなかった。

大きな窓を苦労してあけ、身を乗り出して下を覗き込む。


残念。


通ったのは先生だった。そうか、職員室は向こう側の校舎だもんね。先生は小脇に日誌を挟み、片手に黒板に貼り付けて使う大きな定規を握りしめ、両肘には教材が入った紙袋を下げていた。

そんな不安定な状態で原稿用紙の束を両手でなんとか水平に持って運んでいるようだった。私たちと同じように先生も休み時間が惜しいのかなと思うとちょっとおかしかった。

そのまま見ていると、原稿用紙の一番上が一枚ひらひら浮きそうなのに気がついた。


何を書いたんだろう。あいつ。

凄く気になって仕方なかった。出来るならコッソリ読んで見たかった。

いっそ飛んでしまわないかな。あの原稿用紙。

私の願いが通じたかわからない。けれど、先生は立ち止まった。ひらひら浮くあいつの原稿用紙を持ち直そうと思ったのかもしれない。

そして片手で一番上の一枚、あいつの作文を何気無く表返した。私は思わず身を乗り出してしまう。

先生の頭と肩ごしにあいつの原稿用紙が見えた。

……いくらなんでも遠すぎる。文字は一つも読めなかった。

あんな勢いで書いたからか、ざくざくした見づらい大きめな文字が紙面を埋めていた。

「なんだこりゃ」

ぽつんと先生は言った。

いつものあいつらしくない拙い作文にがっかりした。という感じではなかった。

本当にわけがわからなかったから反射で出た言葉のようだった。

「どうしたんだろ?」

風が吹いてあの原稿用紙がここまで飛んでくれば良いのに。


ぴん。

と音がした。オルゴールの高い一音のような。

どこから聞こえたんだろう?キョロキョロしてもそれらしいものはない。

視線を戻すとあいつの原稿用紙がふわりと宙に舞い上がっていた。

まさか、思った通りになる!?


心臓が止まるかと思った。

風はそよ風程度なのに紙はひらりと舞い上がる。

先生が慌てて空いている片手を振り回した。だが、原稿用紙はするりと逃げてもっと高く飛んだ。渡り廊下の屋根を越えて、私の居る二階の窓を越えるあたりまで。


ひらひらと不思議なひるがえりかたをしながら…ちょっと待って?

原稿用紙にしてはいやに色がついて見える。ふちのあたりが青みがかっているような。

見ているうちに色はどんどん変わってゆく。角のあたりなんてもう鮮やかな青だ。形も、紙の両端はよれて形を変えながらするりと伸び、頭と尾になった。

頭部は片手に包めるような小さな三角形。空へむけてぴんと立った真珠色の角がある。

…それは小さな青い竜!

原稿用紙の名残はどこにも無く、空の下宝石のような鱗を煌めかせて鮮やかな緑の瞳でこちらを見た。

私はぽかんと見上げるしかなかった。

背中に小さな羽まであって、それがせわしなくパタパタ動いている。セキセイインコと同じほどの華奢な手足がやけにリアルで、顔は目が大きくてかわいいといえばかわいい。

なにこれ。

なんだこれ!


竜は私に向かってニヤリと笑った。

さっき私があいつにしてやったような感じに。


そして、空中で見事な8の字飛行を披露すると、すぐさまぱちんと弾けて消えてしまった。後にキラキラ虹色の光が舞い散る。



「なーに見てんのー?」

「わあっ!」

バシンと背中に誰か当たってきた。すぐにひょいと友達……ユカリの顔が同じように私の隣から窓の外を覗き込んだ。

「せんせーい!」

ユカリが大声を出したので、先生はここからみても分かるほどビクッとした。

「羽田、水沢?」

日焼けした先生の顔が心なしか白っぽい。

「なんかあったんですかー?」

ユカリは目を丸くしたまま一言も発さない私と、先生とを見比べて言った。

「あ、いや」

先生は原稿用紙の一番上を用心深くめくった。ちらっと見えた文字はあいつのではなかった。

「なんでもない。お前たち、なにか見たり聞いたりしなかったか?」

先生の目は主に私を見ていた。

「なんにもー。」

ユカリは能天気に言い、私を見た。私は首を横に振った。見たと言っても、見ただけで何もわからないことに変わりなかったからだった。

「……そうか」

先生はもう一度一番上の原稿用紙を見た。それがアイツの原稿用紙でないことを。

つまり、本当に竜に化けて消えてしまったのだということを……たぶん、確認すると私たちに向かって曖昧に微笑んで背を向けた。脇に挟んでいた日誌が足元に落ちているのにも多分気付いていない。

そして、まいったな、と言いながら重い足取りで渡り廊下の向こうに消える。

ぽつんと取り残された日誌が、今起こったことの異常性を静かに訴えていた。

「ユカリ」

わたしは言った。

「やっぱ何かあったの?」

ユカリは微妙な顔で私を見た。

「この世に魔法はあるのかな」

「何それ?」

彼女はきょとんとした後、不機嫌そうに顔をしかめた。

「あのさー。あんたはさっきの作文さらっと書けたから良いかもしれないけど。こっちは一行も思い浮かばないところから脳みそぞうきん絞りして絞り汁みたいなめちゃめちゃ文章書いてたんだからね。嫌がらせなら怒るよ!」

そうだ、ユカリは作文は苦手だった。悪いコトをした。

「ゴメン。なんでもない」

「行こ。休み時間終わっちゃう!」

腕を引っ張られて私は廊下へ駆け出した。やっぱり本人に聞くしかないよね。

あいつに。

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