第9話 腐敗した想い
失意の果てに
背中に広がる血の染み。それを見下ろす、小太刀を手にした
「姉ちゃん!」
姉を追って来たのだろう。
「おい、なんだよ、これ! ……どうして!」
血を流し、動かなくなった栞。返り血を浴び、凶器を持った姉。状況は一目瞭然。
康介の後からついて来た
「……当然でしょうぉ? だってぇ、全部この子のせいなんだからぁ……」
いつもと変わらない間伸びした口調で、陶酔した笑みをたたえながら、晶子は答える。
「この子のせいで、私は居場所を失ったの。みんなにいじめられたの。私はなぁ〜んにも悪くなかったのに、全部こいつが悪いのに。
「……姉、ちゃん……」
爆発する感情。昂る怨嗟の声。
戸惑う弟が何より信じられないと思ったのは、紡がれる姉の本心に、『私』以外の存在が何一つ含まれていないことだった。
「私は悪くない。全部コイツのせい! コイツが犯人を手伝って綾ちゃんを攫ったのに、私のせいにされた! コイツが私を綾ちゃんのところまで連れて行ったのに、私が気味悪がられた! それなのにコイツは、事件の後も普通に学校に通って、普通に大人になって、事件のことなんて忘れてた! ふざけんな! お前の代わりに、私がどれだけめちゃくちゃ言われたか、分かってんのか⁉︎」
激情が彼女の本性を曝け出す。
そこに殺された友人を偲ぶ気持ちは微塵もなかった。
周囲から非難される娘を守ろうとしてくれた両親への感謝も、ずっと気にかけてくれたの弟への労いも、友人の仇を取ろうとする憎しみすらなく。
すべては、自分一人の昔年の恨みを晴らすためだけに。
「ねぇ? なんとか言ったらどうなのよぉ!」
気を失い、何の反応も示さなくなった栞に向かい、晶子は理不尽な怒りをぶつける。
小太刀を逆手に握り直して、狂刃が再び振り下ろされた。
『――ヤメロ』
驚きのあまり動けなかった静夜たちに代わり、黒く澱んだ影が栞を覆う。
凶器を弾き返し、晶子の元から栞を連れ去ったのは、未だ身体にいくつもの穴を開けた
「……だぁれ? あなた……」
晶子はそこで初めて妖の存在に気付き、ドロリとした睨みを効かせる。
『俺ノ妹ニ、手ヲ出スナ』
「妹? ……もしかして、あなたが金代久遠? へぇ、普通に見えるじゃなぁい」
普段は目に映ることのないの異形を知覚し、晶子はその笑みをさらに喜色に染めた。
「……だったら、お前も愛しの妹と一緒に、私が殺してあげるぅ!」
「姉ちゃん、ストップ! 落ち着けって!」
小太刀を振り上げ、襲い掛かろうとした姉を、康介が後ろからはがいじめにして止めようとする。
晶子は必死に抵抗するが、身長も抜かれてしまった成人男性の弟の筋力に今更勝てるはずがない。
――普通であれば。
「――私の復讐の、邪魔をするなぁ!」
激昂が爆ぜて風を起こす。爆風に押し退けられて、康介は後ろへ吹き飛んだ。
「おい、
「……うん。……たぶん、そうだと思う」
風が彼女を中心にして渦を巻く。感情が、怨念が、執着が、念の力となって溢れ出している証左だった。
それを発する坂上晶子は今、――
「――妖に堕ちかけている」
何が、そこまで彼女を追い詰めたのか。
誰が、そこまで彼女を責め立てたのか。
理由や原因は分からない。
ただ一つだけ分かること。それは、坂上晶子が胸の内に溜め込んでしまった感情は、周囲の人たちが思っていた以上に、朽ちて腐り、澱み汚れて、今に至ったのだという事実。
目の前で起きている彼女の変貌が現実である以上、それを受け入れて適切に対処しなければならなかった。
邪念に満ちた風を纏い、晶子は小太刀の切っ先を虚ろな青年の妖に向けて、そのはらわたを切り裂かんと正面からの突進を仕掛ける。
静夜はすかさず印を結んだ。
「――〈
結界に囚われ、晶子の足が止まる。
百瀬姉妹が、康介の腕を引っ張り避難させている間に、
「――引き剥がせ!」
言霊に命じて、栞の身体を妖の腕から解放させる。
しかし、――
『……渡サナイ』
夜の暗闇をさらに深く染めた漆黒が栞の身体を覆い隠す。
同時に妖の身体も闇と同化し溶け込んでいった。二人の気配が薄まり、遠ざかるのを感じ取る。
逃がすわけにはいかないと、静夜は素早く九字を切った。
「――青龍、白虎、朱雀、玄武、
だが、一歩遅く。
霧が晴れ、そこへ手を伸ばした舞桜の左手は虚空を掻くばかりで何も掴めず、妖となり果てた金代久遠の影は消えていた。
「逃げられたぁ! 逃げられたじゃない!」
結界に捕われた復讐鬼が小太刀を振り回し、喚き散らす。
彼女から放たれる念の力はさらに強さを増し、既に妖力へと昇華して結界を内側から押し返した。
膨張する気魄に結界が耐えたのは一瞬。卵の殻を割るように力を解き放ち、妖として羽化した晶子は先程の久遠と同じように暗闇に沈んで姿を眩ませた。
「クソッ!」
弾かれた印を拳に変え、悔しさと不甲斐なさのあまり、感情に任せて地面に叩きつける。
アスファルトで舗装された渡月橋を殴りつければ傷付くのは当然、拳の方。
皮膚は抉れて血が滲み、指の骨にはひびが入った。
「静夜」
荒ぶる彼を、らしくないと舞桜が咎める。
今は自分を痛めつけている場合ではない。
「うん、分かってる。すぐに追いかけよう。行先なら、見当がつく」
静夜は切り替え、茫然と立ち尽くしたままの友人を鋭く睨んだ。
「康介! ……悪いけど、車、出してくれる?」
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