【11本目】ゴジラ(1954年・日)

【あらすじ】

 日本近海を公開途上の船舶が、突如次々と沈没する事件が発生した。対策として結成された調査団のメンバーである山根博士とその娘の恵美子、恵美子の恋人でサルベージ機関の所長である尾形は、事件現場付近の大歳までの調査の途中で、見たこともない巨大な怪獣に遭遇する。怪獣の正体は、水爆実験が原因で人間界に姿を現した、200万年前に生息した太古の生物であった……


【感想】

 はい、【ザ・怪獣映画】でございます。

 日本はもちろん世界における怪獣映画の金字塔ですね。

 のちにフォロワーが山のように現れる”怪獣もの”系SFの元祖でもあります。

 東宝製作の下1954年に上映された同映画は、同年度の初日観客動員数を瞬く間に塗り替え、当時国民の10人に1人が見たという計算結果になったほどの人気となりました。

 作品の背景にあるのは当時行われていた水爆実験への批判で、プロデューサーの田中友幸は当時社会問題となっていた第五福竜丸の被ばく事件から着想を得て、この映画の企画を立案しています。

 また1950年代という戦争のトラウマがまだ生生しかった時代の映画であり、避難民や野戦病院、廃墟と化した東京の描写が空襲を受けた都市の市民たちを彷彿とさせたり、長崎で直接原爆の被害に合った人物が(モブとはいえ)登場したりしています。


 ……とまあ、反核だの戦争のトラウマだのは今までいろんな人がさんざっぱら語りつくしたテーマなので僕がいまさら語るまでもないんですが、僕が今見て気になるのは、なんで足が二本あって見るからに陸生生物なゴジラが海から現れるのか、っていう問題なんですよねぇ。


 他のシリーズはともかくこの映画では、ゴジラは現代によみがえった二百万年前の古代生物として描かれています。劇中の山根博士の発表では「海生爬虫類から陸上獣類への進化途上の生物」と説明されていますが、海生爬虫類の要素があるならプレシオサウルスやモササウルスのように手足がヒレ状にいないのが不自然なわけで、ゴジラのモチーフになっているのは明らかにティラノサウルスなどの陸生の恐竜です。そのゴジラが山中とか地底ではなく、海底の洞窟で長年暮らしていて、海から現れる、というのは、どうにも違和感を持ってしまいます。


「単に当時水爆実験が海上で行われていたから」「山中に巨大な怪獣が隠れるのは無理があるから」と言われればそれまでかもしれません。しかし別の角度からゴジラの描写を見てみると、この怪獣が反核、科学の負の側面以外の顔が見えてきます。

 映画前半で登場する大戸島では、水爆もない時代から海や陸を荒らしまわる「呉爾羅」の言い伝えがあり、海での嵐や不漁の原因とされていた、という描写があります。時化がひどいときは若い女性が生贄に捧げられた、なんて笑えない言い伝えも飛び出しますが、これは明らかに日本各地(世界各地だな)に存在する水神伝説のメタファです。日本においては水をつかさどる神はしばしば龍の形を持って登場しますし、ヤマタノオロチ周りの龍神伝承では河川が荒れる原因となり、生贄も捧げられた、という言い伝えも残っています。

 また最近の深夜番組では、俳優の佐野史郎さん(怪獣映画オタク)が「怪獣映画のルーツは日本神話」と語っており、ゴジラは南の島からやってくる龍蛇さまを基にしている、とも語っていました。


 その辺を総合して思うのは、もしかしたらゴジラは20世紀に形を変えてよみがえった龍神、という側面も持ち合わせているんじゃないか、ということなんです。かつての神話の時代は竜が川の氾濫を引き起こして人間の村を破壊しましたが、科学文明が社会を形作り、古くから人々の生き方を規定してきた伝統的な神話や伝説が忘れ去られつつあった時代に、人間の文明を破壊する全く新しい海の神がゴジラだったのではないか、という解釈もできてしまうんです。

 そう考えると、海上での水爆実験が原因で現れ、東京を破壊するゴジラ、という存在は、単なる科学文明批判以上の意義をはらんでいるように見えてくるんですよね。



【好きなシーン】

 上記の戦争のトラウマが生々しかった時代を思わせるシーンも深く記憶に残りますけど、改めて見て印象的なのは山根博士の怪獣を殺すことばかり考えてはいけない! と主張するスタンスです。後半になると科学のためにゴジラの生命力を分析しよう! とまで言い出して、見てる側としてはすでに何件もの被害が出ている中でその意見は人間的にどうなの? と思わなくもありません。それがあるから有名なラストの「あのゴジラが最後の一匹とは思えない……」というセリフも、個人的には「あんた内心期待してないか?」という感想を抱いてしまいます。


 しかしながら、上記の新しい龍神伝承としてのゴジラ、という解釈で映画を見てみると、山根博士のその立ち位置は、ゴジラの持つ破壊の側面とは異なる、恵みの側面を描写していたのかもしれないな、とも思えてきます。

 日本古来の龍神伝承でも、水をつかさどる龍神は村を破壊する洪水をもたらすだけでなく、作物を実らせる雨をもたらす存在でもありました。

 20世紀によみがえった龍神は科学文明を破壊するのみならず、科学文明にさらなる恵みを与えてくれるかもしれない。その可能性を遠回し主張する存在が、山根博士だったのかもしれません。

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